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今日からは、双方ともに神である(続き)

今日までは、夫と言い妻と言っていたが、今日からは寅の年に金子大明神、卯の年には金子明神というご神号をさし許してやる。今日からは、双方ともに神であるぞ。

 金光教教典
 351頁
 仁科志加
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おはようございます。

「双方ともに神である」とは、人がそのまま神であるということです。今日は、このことについて求めていきます。

最初に申し上げておきますが、これは、わたしがこのように頂くということであって、いよいよの所はこれを読んでくださる方お一人お一人が、自分の頂き方を求めるということが大切かと思います。
それが「自分の腹から練り出した信心」ということになりますから。

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神様とは、人の命の元であり、人が助かり立ち行く御働きそのものです。その御働きには休みがなく、終わることがありません。
この神様の御働きを受けて、わたし達は生かされて生きています。

この神様の働きは、わたし達自身もまた現すことができます。それは、わたし達が魂を頂いているからです。魂は神様の御分霊です。人が困っているのを見ると助けてあげたいという気持ちになるのは、この魂が働くからです。

困っている時だけではありません。いつもお役立ちたいと思っています。いつも喜んでもらいたいという気持ちがあります。

その気持ちが現れて、目の前の人が助かり、目の前の人に喜びが生まれた時、助けた人は生神になります。

夫は夫であり、妻は妻であり、社長は社長であり、社員は社員として生神になることができますし、また、そうであることにこのお道の尊さがあります。

でも、人は人である限り、我情我欲が出ます。そうすると、生神としての働きは奥に引っ込みます。生神としての働きを現したり、人心が出たりを繰り返すのが人間ではないでしょうか。

信号のように青(生神)になったり赤(人)になったりしてしまうのがわたし達ですが、そんな点滅を繰り返すのではなく、いつもコンスタントに青でありたいと思っています。

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目の前の人に喜びが生まれる。
このことをいつも心にかけていたいと願っています。

当教会二代、西村トヨ子先生はそれを「ひとさま」という言葉で端的に示してくださいました。

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