目の前の体験を楽しむために、生まれてきた
4月がスタートし、早くも中旬。
新生活もスタートする方も入れば、なんとなく世間の気忙しい雰囲気で無意識にもお疲れモードの方も入る時期なのかなと思います。
お疲れさまです。そんな中、この記事を開いていただきありがとうございます。
私は怒涛の2週間過ぎ、今日は朝から小休憩。久々にカフェに立ち寄り、ホッとしてパソコンを開いています。
今日は「執筆を休むぞ~!」「頭を休ませるぞ」と思ったけど、結局こうしてnoteを書いたり、本を読んでいる。
なんだかんだ「書く・読む(=考える)」が好きなのだろうなと思います。
無意識にやってしまう行動って、きっと大切なギフトのはずです。それらはなるべく、自分や他者がより良くなるために私は使っていきたい。
今月前半をざっくりふり返るとこんな感じでした。
こうやってふり返り、言語化すると今の現状を客観視できます。まぁまぁなお品書きだな。
こういう状況には慣れてしまっているけど、流石に大変だった……!体調面もだけど、感情も揺れ動きも多かった気がします。
でも、毎日少しだけ時間を取って、心を整える時間を大切にしてみました。
フォロワーさんやたまたま表示されたnoteの発信を見て誰かの体験や気づきに触れたり、専門的な知見がギュッと凝縮された本を読んだりして自分の「ワクワク」や「発見」、「心地よい状態」を数分でも意識。
「あの人もがんばっているなぁ」
「この気づきは大切だな」
「素敵な行動力だなぁ」
「わたしもやってみよう」
とはいえ、スムーズにいかない自分の状況に対して焦りや苛立ちもフッと生まれます。
でも、以前よりもスッと切り替えができるようになったのは「今」に集中して状況を分析して、少しだけ自分を信じられるようになったからだと思います。
を、目の前の出来事から自分の中で後から仕分けて「仕方ないよね」「これは自分が気を付けよう」「『今』は敢えてやらない、考えない」などと心の整理が早くできるようになったから。
すると、悩むことやネガティブに支配される時間が減ります。
「無くす」よりも「減らす」のほうが現実的だし、自己批判にならず、どのような自分も受け入れることにつながると思っています。
「マジか~」
「こんなことって起こるのか」
という出来事が起こるたびに、人は喜怒哀楽が生まれ、その自分の感情に翻弄されてしまいます。私もそうです。
けれど「多分、私はこれらを体験しに生まれてきているのだろうな」とどこかで知っていて、もう一人の自分が冷静に受け入れている自分もいるんですよね。あとの人生で「必要な要素」というか。(言語化が難しいけれど、幼い頃からこういう感覚がある)
そうして体験したことをきちんと納得して腑に落とせたタイミングで、他者にも気づきになりそうなことは自分なりに言語化して発信していきたいな、とも思っています。
最近また末吉宏臣さんの『発信する勇気』を再読して、大切だなと本当に感じたことや学びは、誰かのためにも発信していきたいなと、シンプルに思う自分に気づきました。
そのほうが、ただ楽しそうだからだ。気づきや学び得たことは出し惜しみせず、単純に人に伝えていきたい。
とはいえ、今もこういうことを書くたびに
「私は、やっぱり子どもっぽいのかもしれない。単純だなー」
「もっと、ちゃんとしたほうがいいよなぁ」
などと、ずーっと無意識に感じています(笑)
だから他者から「ちゃんと考えろ」とか「そんなに甘くない」とか思われるのが今も怖い。今は大人になったし、誰ももう私を責めないのに、です。そもそも「『ちゃんと』とは?」なのですが。
でも、そうした楽しい感情に素直に人は行動したほうが、もっと世界が明るく、楽しくなりそうだなとも思います。
なのに我が子にも、ついつい、そのような厳しい言葉をかけてしまうこともあります。そのたびに、今「親」の私は過去や自分自身をしっかり振り変えざるをえないなと毎度感じます。
子供の頃から、周りの大人を見て感じていたこの漠然とした想いを、大人になった今の視点も、どっちもギュッと大切にして明日も過ごしたい。
自分、妻、親など、1日でコロコロと変わる立場や視点で気づきや感情が生まれる。「あれ?自分矛盾してない?」みたいなこともあり、正直戸惑っているこの頃です。
それらもまた、楽しんで体験していこう。
最後までお読みいただき嬉しいです♪ありがとうございます!これからも心を込めて執筆していきます。