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いつか終わりがあるから、咲き誇っていたい

子どもの頃から、桜を見ると、心癒される反面、なぜか少し切なく寂しくなっていた。


昔から不思議だったこと。なぜなのだろう?

みんなそう思わないのかなぁ。

と以前主人に話してたところ「俺にはよく分からない」と言われた。

そうなのか。

これは自分だけの感覚なのかな。


自分なりに考えてみる。

咲き誇る満開の桜、ライトアップされている夜桜。春の季節の桜はさまざまな表情を見せる。

どこか、幻想的なふわりとした花の灯り。


「時間の限り」があるからこそ、美しく、そしてちょっと切なく感じるのかもしれない。



昨日、近所の公園の桜を、家族で見に行った。

さすが桜の名所、人が多かった。

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市内を一望できる山の上から、海と桜に目を奪われる。


今年も春が迎えられたこと。

家族でまた美しい桜が見られること。

当たり前のことがとても嬉しいな、と感じながら、隣で歩く主人と息子の楽しげな会話を聞きながら山道を歩いた。



桜は毎年同じように咲いてる。

去年の今頃も、同じような桜の写真を撮っている。


けれども、なぜ人は毎年同じような風景の写真を撮ってしまうのだろうか。


周囲でパシャリと桜を写真を撮る人や目の前の桜達を眺めていて、そんなことをぼんやり考えていた。


もしかすると。
景色はもちろん、人は「今この瞬間」を残しておきたいと、無意識に思うからかもしれないな。


咲き誇る桜達は、数日後には風に乗って散る。


「満開の桜」を見れば見るほど、無意識にそう感じて切なくなるのかもしれない。


ずっと、そこにはいられない。


望む望まないは別として、自然界や環境は。

変わらないようで、変わってしまう。

それは、人も同じかもしれない。




春は出会いと別れの季節。

終わりとスタート。

入園、入学、卒園、卒業、入社、異動、新年度…


4月は何かと、節目の年である。


自分はイベントはなくても、周りの環境は変わってくる。


現にわたしの職場も、来月は新入社員が入ってくる。わたしも教える立場になるし、業務内容もまた変わるのだろう。


その独特の、騒々しいバタバタした変わりめに、無意識に「変わるのだな」切なくなるのかもしれない。

期待や、不安を感じている自分や周りの感情を、無意識に感じとるからかもしれない。

人によっては、わくわくしたり、希望に溢れているのだろう。


桜を見て長年感じていた、切なさと寂しさは、その「変わりめ」を、桜の姿から感じていたからかもしれないと感じた。


ずっとそこにいられない。


良いことも、悪いことも。


居心地も、価値観も、性格も、年齢も…。


状況は自分の気付かないうちに、ゆっくり、ゆっくり移りゆくものなのだ。


変わらないようで、みんな変わっていく。


桜のように。



私が桜と家族の写真を撮るのは、写真の中の私と主人と、息子は一年ずつ、少しずつ変わってると感じるから。

それをまた時間を置いて見比べるのが楽しいから。


息子のはしゃぐ笑顔が見られて、今年もうれしい。

だからまた来年も、今年と同じような桜の下で、写真をパシャリと撮るのだろう。

次に迎える桜の季節を、わたしはどんな気持ちでいるのだろうか。


何をしているのだろう。


主人は、息子は、親は、周りの人はどうなっているのだろう。


みんな、私のそばにいるのだろうか。

それともいないのだろうか。


どんな出会いと別れがあるのだろうか…。


さまざまな気持ちが入り混じる。


けど、どんなことがあったとしても。


満開の桜みたいにわたしは「今のこの瞬間」の自分を誇っていたい。

いつか終わりがくる、その瞬間まで。

すると、周りに咲いてた、ふわふわと幻想的な桜達が、強く、今を凛と咲き誇る桜に見えた。

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