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自分と対話することで、しあわせは近づく

長男の卒園式が終わってから、ホッとしたのも束の間、長男は発熱。病は突然やってくる。

病院に行ったら、ただの風邪っぽい。

子どもを家でみながら、仕事を進めたり家事を進めたり。

我が子たちが産まれて、こういう臨機応変なスケジュール変更はもう慣れたものだけど、やっぱり大変でもある。バタバタ。次男も昨夜は珍しく夜泣きしてきたため、少々寝不足でもある。

それでも、自分なりに自身の機嫌を取って、落ち着いて子どもたちと向き合える頻度は、最近は少し増えた気もする。

なんだろうか、自分と対話して向き合う時間が最近増えたからだろうか。だからこそ、状況は変わらないけど、心の余裕が生まれているのかもしれない。

自分の声をガン無視して人のためにがんばっていたときは、ささいなことで心がささくれ立つことが多かった。そして、その影響は家族達に出てしまう。

他者にやさしくするのは難しくないけど、自分や家族など近しい人に向けてベストな対応を取るのはやはり難易度が高い。甘えや不機嫌など、感情が出やすくなるため、意識的に言動をコントロールする必要がある。

数年色々やってみたけれど、そのためには、こうして自身の気持ちをアウトプットするのが私の場合は割と効果的だった。

私は自分のことが「子どもっぽいなぁ」と生まれてからずーっと感じている。

少しは、「大人」になれているだろうか。

子どもの頃から、自分は「書くのが好き」と思ってけれど、こうして原因や対策、感情の動きとバランスなど、私はあれこれ「考えるのが好き」らしい。

そして、体感したことを他者に共有することも好きだ。だから、noteの発信は続くのだろう。考える過程が多いライティングの仕事も、楽しく続いているのだと思う。

書く過程で、一旦自分の言動を冷静に客観視しやすいから、より最適な答えが見つかりやすいのだ。話すときは、少し頭の中で考えていることを言語化するのに時間がかかるから、「話すのが苦手」と感じやすいのだろう。

だとすると、話す内容をまとめておき、出来事からアウトプットまでに時間をおけば私はスムーズに話せるのだ。

あとは、実体験ならスムーズに楽しく話せる。意見や提案とは違い、答えは自分の感じたことだからだ。考える過程が少なく済むから。

こういう風に、また一つ自分への理解が進んで腑に落ちる。

ぼんやりと自分に感じていた得意不得手を

  • 書くのが好き→考えるのが好き

  • 話すのが苦手→考える過程が多いと言語化に時間を要するだけ

と、深掘りしてみた。

そうすることで、仕事をするときや、他者に何か貢献したいときにも役立つ。無駄に自己批判をしたり、人と比べなくて済むのだ。

まだまだ、自分のことはわからない。

だからこそ、日々の出来事をアウトプットして自分なりの解を出していく内省は続けていきたい。

納得感の多い人生は、やはり自分なりのしあわせを生きることだと思うからだ。

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