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通勤前、急な涙で仕事を休んだ派遣社員が、ライターをはじめたときの話

「あ、今日仕事に行けない……」

キッチンで片づけをしている途中、世界がじわっと歪んだ。ポタポタと、涙。

深呼吸をして職場に電話をかけた。風邪でも事故でもないのに「体調不良」と言い、急に仕事を休むなんて。自己嫌悪と罪悪感でいっぱいになった。

仕事を休んでしまった自分を正当化したくて、人生初の「心療内科」へ行った。

「往復2時間の職場で、派遣をしていました。人間関係もよくて、落ち着いてできる仕事です。なのに今朝、急に涙が出て止まらなくなったんです……」

おだやかにこちらを見る心療内科の先生は、うなずきながら、カルテに何かを書き込んでいた。本が多い乱雑な机の上で。

「まじめなんですね。きっと……なので……うつ症状ですね」

ぼんやりしていたのか内容はうろ覚えだが、私には病名がついた。薬が処方されたので飲み続けた。でも、数日後「何か違う。私は本当に病気なのだろうか……」。薬を飲み続けても「私の場合は」変わらない気がする。

違和感を覚えた私は、地元の個人カウンセラーさんを見つけて通うようになった。そのカウンセラーさんは過去、うつの症状で転職を複数くり返していたからだ。派遣で転々としていた私と似ていた。「この人に聞けば、何かわかりそうな気がする」。ステージ裏の暗幕に、パッとスポットライトが差し込んだ瞬間だった。

このとき、「一般論」や「他人」に合わせてばかり生きていた私が、「自分」を根拠なく信じた最初の瞬間だった気もする。

「正しいか間違っているかは気にせず、そのとき、どう思いましたか?」

やさしく真摯にカウンセラーの先生は、さまざまな角度から「私の感じていること」をたずねた。正解のない質問が苦手な私は、当初「うーん……」と考え込むことが多々。自分のことなのに、わからない。泥水のなかで、バタバタともがいているようだった。

あるときは、幼少期をふり返る機会もあった。

母がうつ状態で、苦しんでいた姿が浮かぶ。真っ暗の部屋で寝たきりの母。言い争う両親。怖い。他人と関わるのも怖い。思い出すたびに恐怖や悲しみの渦が湧いてきた。

なのに、私は母と同じような状態に近づいている。もう、くり返したくない。子どもにそんな思いをさせるもんか。

カウンセリングが数か月経過したころ、次第に自分の思考のパターンや本音に気づけるようになっていった。

「家族が笑顔でいて欲しい」
「子どもの急な発熱で、職場に電話をかけたり謝ったりする瞬間がつらい」
「家で自分の得意なことで働いて、いろいろなことをチャレンジしてみたい」

そして、カウンセリングの一環で「理想の働き方」をノートに書いてみた。

カウンセリングノートに書き出した「理想の働き方」

今の「うつ状態」を抜け出すには、働き方を変えることが突破口になりそうだと気づいた。

ちょっと怖いけど……やってみよう。抜け出さなきゃ。

そこで出会ったのが「ライター」だった。

昔から、本を読むのも文章を書くのも好きだったことを思い出した。卒業文集の将来の夢に「作家」と書いていたくらい。しかし、私には学歴も人脈もないと、遠い昔に諦めていた。

まずは、ドキドキしながらクラウドソーシングに登録。しかし、案件一覧を見てひるむ。異国語のような「金融」「IT」「医療」「経験者優遇」などの言葉。

高卒でOLの私には専門性がなかった。「無理かも……」と、そっと一覧を閉じようとした。でも「ここで諦めてはダメだ」と、なんとか未経験でも書けそうなテーマを見つけて案件に応募。無事受注できたあの瞬間は、今でもクリアに覚えている。「ありがとうございます!」と、初めて記事を納品したクライアントさんに言われた言葉も。

充足感があり、ふわふわした温かい感覚。

「これなら、がんばれるかもしれない」と受注をくり返した。往復2時間の通勤を経て2歳の息子を寝かしつけた後、何時間もかけて毎日記事を書いた。

ただ、現実的に生活していくには難しい収入。

もちろん、初心者だから仕方ない。しかし、一生懸命にやればやるほど、クライアントさんが喜ぶほどに、虚しさや苦しさが増していった。「私には、無理かもしれない」一筋の光が再び真っ暗になった私は、数か月ライターから遠ざかっていた。

このとき、毎晩パソコンに向かう私に夫は「大丈夫だろうか」と、半信半疑で見守っていたのを覚えている。

ある日、何気なくSNSを見ていたら、とあるライティング講座サービスの告知が目に入る。

「もう一度やってみよう。このまま終わりたくない」

その後、ライティング講座を受講したり、複数のコミュニティに入ったりして、人から教わることを決意した。ライターは独学でもできるけど、私の場合ひとりでやるとネガティブなことを考え、また挫折すると思ったからだ。

経験豊富な方に文章の添削を受けることで、書き癖や改善点が見つかった。「なるほど!こうすれば成果につながるな」とマーケティング視点を含めた文章を意識するようになった。頂いたフィードバックをまとめて、自分の癖やクライアントの指摘や好みの傾向を分析。必ず納品前に確認した。

「まだまだだな……」と、どんより落ち込む日もあったけれど「これができればレベルアップできる!」と意識を変えて、前向きに捉えることに。

3カ月、半年、1年……地道に学びと実践をくり返したところ、喜んでいただけることが増えた。実績が増えると、継続案件や問い合わせが増え、収入も上がっていった。過去に取引きしたクライアントさんから、再びお声がけをいただけることも。

人が怖くて、コミュニティに参加しても浮きそうで不安だったけど、いざ交流してみると、皆やさしい。孤独にキーボードを叩いていた私は、知り合いのライターさんが増えて、さらに楽しくなった。

「私、知らなかっただけだったんだ」
「知らないことは、人に会って学べばいい。自分で変えていけるんだ」

働き方も、人間関係も、家族との過ごし方も。「当たり前」や「常識」に正解なんて、実はない。自分で決めて信じて、新たに道をつくっていくこともできるんだ。

安心したと同時に、新しい知識を人から学び、勉強することも好きだと実感した。だからルーティンが続かなかったのだなと納得し、無駄に自分を責めなくなった。

カウンセリングノートに書いたメモの一部

このときをゲームに例えると、レベルアップして隣町に、そしてさらに海を渡って冒険し、見知らぬ土地に行くような感覚。知識や経験は宝になった。

気がつくと、収入も当時の予想よりも上回るくらいには頂けるように。次第に本業との両立が難しくなり、副業ライター2年を経てフリーランスにふみきった。

今はこうして、誰かのために文章を書いている。「今日は何が起こるかな?」「あの記事はこういう構成にしよう」とワクワクして、今日も自室のパソコンの前に座る。

夫は「向いている仕事ができて、よかった」と微笑み、より積極的に家事に率先して取り組むようになった。長男は「ママ、今日もお仕事がんばってね」と笑う。息子たちの急な熱にも、罪悪感を抱えながら職場に電話をかけることもなくなり、病院に向かえる。

台所で急に目の前が歪み、真っ暗になったあの日は今。ラスボスの魔王を倒した後のようなおだやかな日常に、そしてワクワクする世界に変化していた。

ふとメールを見ると、ライティングの問い合わせが届いている。

(次は、どこのフィールドに行けるかな)

冒険は、続く。


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