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【自己紹介】わたしによく似た、誰かのために

「この noteを書いている人ってさおりってどんな人?」

「なんでnoteを書いてるのだろう?」


などなど、「ライターのさおりって、どんな人?」って多少なりとも興味を持ってくださった方に向けて。

プロフィールとして、自分のことを書きました。(※2023年9月更新)



WEBライターさおりの自己紹介

「WEBライターさおり」は山口県在住の、普通の主婦です。

主人と、6歳と1歳の息子と4人暮らし。

文章を書くのが好き&得意を活かして、約3年半にライター業を開始。

たまに、日頃の気付きや過去の話をnoteに綴っています。


▼WEBライターをしている経由や理由は、以下の記事に詳しく記載

「なぜWEBライターをするようになったのか?」「どんな人なのか?」を、時系列で紹介します。


大人しくて地味で真面目な小学生時代

ときは小学生の頃まで、さかのぼる。

小学生のわたしは、一言でいうと「人見知りで、大人しい子」

学校の成績は、ごく普通。

簡単にオール5をとるような、2歳下の優秀な妹に比べると「自分は全然たいしたことないな……」「生まれつき頭の良い子には、努力しても敵わない」と常に思っていた。


親や先生からも、なんとなく妹と比べられている感じがした。

だからなのか、子どもの頃から無意識に劣等感を抱えていた気もする。


▼以下の記事では、優秀な妹を持った姉の正直な心境を綴った

それだけなら、まだよかったけど。


わたしは超がつくほど「運動音痴」でもあった。

その日の日課に「体育」の文字を見かけると一日中、超ブルーな気持ちになっていた。

個人競技なら、自分の成績が良くないだけで済むからまだしも。

「バレーボール」や「サッカー」などのスポーツのチーム戦は、同じチームの人に基本迷惑がかかるから、苦痛で仕方がなかった。

わたしと一緒のチームになったときの、あのクラスメイトの微妙そうな顔と雰囲気……。

「ねぇ、ちゃんとボールとってよ!なんでできないの?」

「あ、今回はさおりちゃんと一緒のチームか……」

自分と一緒のチームになった人には、いつも申し訳なくて「消えてしまいたい」「わたしは周りをガッカリさせてしまう人間だ」と本気で思っていた。

そんなわたしを見かねて、ほかの子達にフォローする先生の言葉が逆に辛かった。


「成績優秀な子」や「運動ができて活発な子」、「積極的にアピールして、行動する子」が基本的には評価されがちの学校。

その理由は、大人になった今となっては分かる。社会で生きていくにはまぁ大切な要素だからだ。

そして、目に見える数字などを評価として残す方が、大人としては管理がしやすい。


だけど、わたしには不利な場所だった。

まるで「あなたは必要ないよ」と言われているようで。居心地の悪かった。

「運動が苦手でチーム戦はいつも、みんなに迷惑かける」

「少人数だと大丈夫なのに、大人数だと上手く話せない。自己アピールできない」

「物事の理解や、処理にちょっと時間がかかる」

などの、自分の短所。

とにかく、特に目立つところのない、地味な大人しい子だった。

……いや。周りに迷惑かけちゃうから、せめて目立たないようにしていた気もする。


運動から逃げるように吹奏楽部へ入部した中学生時代


中学生になったら、「運動が苦手だから」という理由だけで、「吹奏楽部」に入部。

自己肯定感がガタ落ちする、運動。わたしの天敵。

「よし、運動から逃げられる!」

と思ったが、これがまたスパルタで大変な部だった。


▼以下の記事は、中学校のスパルタ吹奏楽部での様子を綴った

練習しても上手く楽器が演奏できず、何度泣いたことだろうか。辛かった。

だけど、おかげで根性がつき、信頼できる仲間ができた吹奏楽部。

はじめて、運動以外で人と協力することができた経験だった。

人と協力して何かを創りあげるのは、難しいけど楽しいのだと知った。

そして、人生で何かを成し遂げたいなら、「コツコツ、何かを積み上げることに勝るものはない」と教えてくれた。

そんな感じで、基本的には無器用で、悩んだり、落ち込むことが今よりも多かった学生時代。

わたしにとっての学校は、狭くて苦しい牢獄のような、檻のようだった。


けど、社会人になったら学校からは抜け出せる……!と思っていた。

家庭の経済的な事情もあってか大学進学は選択肢になく。(妹に譲った方が効果的だと思っていた)

またその頃、父と母は経済的なことでよく喧嘩をしていた。大声で言い争う声。「離婚」の二文字が頭をチラつく毎日。

母親は次第に心が病んでしまい、家事がままならず、電気もつけずに暗い部屋の中でずっと寝込む日が続いた。

妹は、中学校を途中から不登校になった。

母の代わりに、散らかった家の掃除や、溜まった洗濯をしていた気もする。

家庭も学校も、落ち着く居場所はない。

わたしは高卒で働く道を、中学生の時点で選んでいた。

「家族のためにもがんばらなくちゃ」

そのために、ただひたすら目の前の勉強と部活をがんばった。

誰にも頼る人も相談する人もいなかった。話したところで解決はしないだろうし、困らせるだけだろうと。

無力な自分。だから早く大人になりたかった。

とにかく、学校から、そしていずれは実家からも早く抜け出したかった。

そんな、学生時代を過ごしていた。


就職して「社会不適合な人間」だと知った

高校を卒業して、無事に就職。

就職活動をしていた当時は、リーマンショックの後で、かなり就職難の時期だった。

あれこれ条件を選ぶ余地なんてなく、なんとか運良く高卒で入社。

「良かったね!」と家族や先生は喜んでくれた。

学生時代、色々あったけど腐らずがんばってよかった……。

そう痛感して、希望を胸に入社。


しかし。

入社した職場での仕事は、「スピード」や「臨機応変さ」が常に求められる仕事だった。

そして、職種の特徴から電話応対が多い事務職だった。

前述したとおり、わたしは物事の理解や処理に時間がかかるタイプだ。

当然、この電話応対の仕事は一番苦労した。


ひっきりなしにかかってくる、お客さんからの電話。ときには、怖いお客さんさんや理不尽なクレームなども。


「数をこなせば誰でも慣れる。大丈夫よ」と先輩からは言われていた。

なのに。


がんばるけど、やればやるほど、間違える。

なぜか、ミスする……。

お客さんを怒らせてしまう……。


「なんでできないの?分からない」

「あなた、病気なんじゃないの?」


次第に職場では、当時同部署だった仕事のできる先輩に呆れられ、次第に丸一日放置や無視されることが増えた。

最終的には「使えない人認定」されて、わたしは部署移動になった。

▼新入社員時代のできごとを赤裸々に書いた記事は以下


情けなくって、悔しくて。

あぁ、わたしは「社会不適合な人間」なんだと思い知った。

結局は、どこにいっても。がんばっても。

親からも先生からも、社会からも期待されない。

社会には、この世には、わたしはいらない人間なのだと感じた。


けど、幸い周りの人に支えられて、がんばって努力して、乗り切った。

なんとか5年勤めて、結婚を機に23歳で退職。

辛かったけど、社会人としてのマナーや、基本的な事務や仕事のスキルを教わった会社だった。


結婚後、幸せなのに謎の涙が止まらない日々

結婚後は、諦めにも似た気持ちで、割り切って「派遣社員」を選んで働いていた。

「わたしにできる仕事はあまりない」

「わたしがいると、周りに迷惑をかけてしまう」

「誰もわたしには期待していない」

といった子どもの頃や前職の経験から、そうした思いが消えずに。


簿記や総務の経験を活かして、電話応対の仕事が少ない、総務や経理事務を選んだ。

とりあえずは、こなせた。

人間関係も、時給も良く。過去を繰り返さないように、がんばった。

次第に信頼されることも増えていった。

けど、「楽しいか?成長できるか?」と聞かれるとそうでもなく。

モヤモヤするものが次第に心の中にジワジワ侵食していった。


周りには「一度きりの人生だからやりたいことやる」といって、転職したり上京したりした同級生や親友が何人かいた。

憧れの大学生活を経て、好きな仕事をしている、親友たち。

楽しそう、だった。

晩婚化の進むこの頃では、少し早く結婚して、優しい主人や可愛い子どもにも恵まれたわたし。

とても、幸せ。

幸せな、はず。

なのに、ある日謎の涙が止まらなくなり、次第に心が病んでいった。

急に泣き出して、休日は寝込む日々。

「わたしは、なんで生きているか分からない」


そう言って、夫にはいつも心配かけてしまう自分が嫌だった。


心が病み、心療内科に通院

このままでらダメだ。治さなきゃ。

と、心療内科へ通院。
だけど、薬を飲んでも症状はあまり変わらず……。


「何か違う気がする」と感じて、個人カウンセラーさんの心理セラピーを受けることに。


数ヶ月にわたるセラピーで、自分の過去と向き合った。

すると悩みの根本は、

・過去の傷や経験から間違った自己認知があること
・自分を必要以上に責める傾向にあること

が、大きな生きづらさの原因だと知った。

そして、

「もっと今の自分を好きになりたい」

「心から楽しく過ごしていたい」

「自由に生きたい」


そんな思いがあることに気づいた。

毎回、セラピーで教わる心の仕組みや、問いかけを必死にメモして繰り返し考えた。


現状を作り出している、自分の思考パターンやクセを知り、次第にラクになった。

涙が急に出ることはなくなった。

そんな中で、
 

「人生の時間は、命と一緒」

「周りと一緒のことができない自分を責める必要はない」

「どんな環境なら、自分は楽しく仕事をして生きることができるか?を探すこと」


と、セラピーでカウンセラーさんは、わたしの人生で大切なヒントを教えてくれた。


そこに向き合うことが、大切なのかもしれない……。


「働き方」は、わたしの人生にとっての課題だと知った。


うつになり、働き方について真剣に考える

少し前向きになったわたしは、「働き方」についてネットや本で情報収集を開始した。

すると。

どうやら自分は「内向型」で「HSP気質」な人間なのだと知った。

特徴や資質の説明をみたとき、自分にピッタリ当てはまったのだ。

そして、向き不向きの仕事があることにも。

特性の中に、

・じっくり、考えることが得意
・情報処理スピードに時間がかかる
・繊細で人の感情が無意識レベルで分かってしまう

などがあった。

つまり、自分の短所だと思っていた

・物事の理解や処理が人よりも時間がかかること
・不特定多数の人と臨機応変に話せないこと
・積極的な自己主張が苦手なこと

などは特性だったので、過去に仕事で苦手だった接客や電話応対は上手くいかなかったのだと知った。

単純に「自分の特性に真逆だから、向いてなかっただけ」だった。


ということは、わたしは逆に「向いていること」を仕事にすれば良いのだと分かった。

そのうえで、「好きで興味のあること」だと、辛くならずに長く続くのだとも。


そこで、子どもの頃から「得意だったこと」や「苦手だったこと」「好きなこと」など、これまでの自分振り返り、強みやスキルを棚卸しすることをやってみた。


ノートに時系列で、書き出していった。


そこで1つ発掘したのが「文章を書くこと」だった」。


妹より得意だったのは「文章を書くこと」

成績優秀な妹に、唯一わたしが教えたられたことは「読書感想文の書き方」だったのを思い出した。

「読書感想文が書けない」「何を書いたらいいのかわからない」と悩む妹や友達に、何を書くと良いかのポイントをよく教えてあげていた。

文章でも、特に「自分の感想や感じたこと」を書く日記や読書感想文は、とても楽しくて、早く書けていた。

今思うと、HSP気質の特徴である「感受性が豊か」が活かされているのだと思う。

読書感想文の賞や、学年を代表とした文章のコンクールなどにも、何回か選ばれていた。

卒業文集のお決まりの「将来の夢は?」に「作家」と書いていたことも。

また学生時代、「卒業後の過ごし方の計画」を文章にまとめて提出する課題があった。先生が厳しめで複数回の修正依頼があり、何度も書き直して提出しなければ合格をもらえないことで有名だった。論理破綻していれば、すぐに指摘が入る。

同級生達は何度も苦戦して提出していたところ、たった一度の修正でパスして周りを驚かせたこともあった。

「どうすれば読んだ人は納得するだろう?」「そもそも、この文章の目的はなんだろう?」と本質を理解し、熟考して文章を作成するのも得意だったのだ。

すっかり、忘れていた。

いつしか、自分のダメな部分ばかりしか見えていなかったのだ。


それがWEBライターをはじめるきっかけなった。

実際、わたしに向いている仕事だと思って今も続いている。

▼HSP気質がWEBライターに活きることを書いた記事は以下

▼フリーランスライター1年目を迎えて思ったこと

人生を助けられた文章。誰かのヒントになればいいなと思うので書く

人より不器用で、悩みが多かった自分。
不器用なくせに、人に上手く頼れない自分。

そんなとき、いつも寄り添って救ってくれたのは、無数の文章や言葉たちだった。

辛いとき、悲しいときは。

文章に救われたと言っても過言ではないほど、本や誰かのブログやインターネットの言葉たちに救われてきた。

だから、わたしは文章を書きたいし、現にこうして今も書いているのだと思う。


そして、口下手な自分のことを、人に知ってもらえる唯一の手段だからだ。


「あなたの文章はおもしろいね」

「なんだか読んだら元気になるよ」


子どもの頃や今も、そんな温かい周りの言葉に救われている。

だから、 今日もnoteを書く。

ライターの仕事では、誰かの悩みを解決する文章も分かりやすく書く。

そして、最終的には「あなたに出会えて良かったよ」わたしに出会った周りの人が幸せになればいいなと思う。


▼自分の人生で成し遂げたい、密かな望みを綴った記事

▼ライターのたかしおさんに取材して頂き、これまでの自分の経験を記事にして頂いた話

▼noteでつながったうれしいご縁の話

自分のために、そして「わたしに似た誰か」のために。

だから今日も、「ライターさおり」は文章を書きます。


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