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一つ屋根の下に暮らす家族もまたそれぞれの「環世界」を生きているーーー"ほぐす学び_2022" session3は、ユクスキュルの「環世界」、今西錦司の「自然学の展開」(学びながら更新予定11/2)

10/1から始まった”ほぐす学び”もあっという間に3回目。
これを書いている段階ですでにsession4を終えている、振り返りを溜めてしまっている。自分にとって大切なほぐしの機会なので、言葉にして残しておきたい。

session3は、【社会を広く捉える】
今回はsessionの中で本のプレゼンをしてくださったkoji_furuyaさんのわかりやすい記事をぜひご覧ください!

私もsessionメモを残しておきます。

What is the “myth” you live by?
あなたがそれによって生きている「神話」は何ですか?

シェルパのミーさんより【ユングの問いかけ】

これは、神話によって生きられる人間になってしまうこともある。
自分が「神話」を生きることが大事だよねって話しです。

What is the biology you live by?
我々が生きている生物学は何ですか?

シェルパのミーさんより【今西・ユクスキュルの問いかけ】

今西錦司の「自然学の展開」


犬でも自由を求めている。

群れ生活者になって初めて「自由」が出てくる。本能という言葉を正確に定義するのは難しいけれど、生まれた落ちた時から、どういう修正や行動で生きていくかがちゃんと遺伝的に決められている。生まれながらに仕組まれた本能によって、一定の生活をして死んでいく。子孫は残すけど。アイデンティティ、自己同一性、帰属性。

ヒトは動物と場を共有している


デカルトの「われ考えるゆえにわれあり」というテーゼは、人間の意識というものを非常に尊重している。
今西さんは、「われ感ずるゆえにわれあり」といっている。
こうすれば動物も含まれる。われ考えるゆえに我ありとういうてる以上は、その人は社会から疎外されている。われ感ずるゆえに我ありやったら、これは世界が疲労なって全てのものが含まれてくる。。。

僕は直感を非常に重視するんや


自己と場とは二にして一のもの」それは教育のように本を読んで何かを受け取るものではない。自分のからだを使って勘所を覚えるしかつかむ道はないのだ。有芸の世界にしても、頭よりもまず体でものを覚えていくわけだ。そのように自分自身で潜在能力を開発していくということだ大事だと思う。子育てにしてもそういう心掛けで育てるということが大事。
”昔からかわいい子には旅をさせよ”という言葉がある。


進化論の現状

生き物とは自然選択によって環境に適応するように進化する

適応とは:生き物が環境に適した姿形になっていること

ネオダーウィニズム:自然淘汰、突然変異

今西進化論:どの個体も同一の突然変異を表す

ダーウィンー競争原理
今西ー共存原理

競争原理が人間の個性をだめにする


進化とは種社会の棲み分けの密度化であり、個体から始まるのではなく、種社会を構成している種個体の全体が変わるべき時が来たら、皆一斉に変わるのである。
現代の文明が競争原理でできている。競争原理が人間の個性をだめにしている。自然淘汰や適者生存という考えを認める限り、競争原理は続くかもしれない。
競争原理ではなく、「共存原理」にならなければならない。それが生物界の原理でもある。二つの社会は対等、相対立し、互いに補い合う「同位社会」。相対立しながらお互いを支えて、一つの構造を作り上げている。

違いを語るとすれば、これはもう本能の問題ではなくて文化の問題になる

グループセッション


今西さんは、ダイバーシティのことを言っているのでは?
棲み分けって多様性のことを言っているのではないか?棲み分けることによってこれだけ多くの種が残ってこれたのではないか。

今西さんのが言っていることは漫画版ナウシカの世界観に似ているのではないか。
ナウシカの世界でいう「共存」は食って食われてのところを弱肉強食じゃなくて共存と呼ぶ。

ウイルスの数は多い。人間の数は少ないのに、人間が地球を壊す割合の方が大きい。戦争のやり方も旧時代のやり方をしている。種の流れに流されてしまっているのではないか。

シェルパのミーさんより:
今回は「観る」ということを大事にしてほしい。
今西さんは観る人 マクロの目線で見る。
意見じゃなくて事実である。進化論は実験できない、永遠に。
観察することでわかる 。
固定識別は「みる」ということを大切にしている。
西洋の個人主義を大事にする
種という考え方を改めて提示した。

ユクスキュル「生物から見た世界」

グループセッション

「環世界」ってパラダイムと何が違う?

同じ文化と時間を共有している家族でもそれぞれの物語が違う。環世界とは物語のこと?一つ屋根の下に暮らす家族もまた、それぞれの環世界を生きている。
多様性の客体が多様なのではなく、主体が多様。
つまり、環世界の多様さ。
客体が矛盾するものをまとめようとすると混沌が生まれる。

論理階型の話

環世界と身体はセットになって生物だ。どちらかひとつでは生き物にならない。

生き物の種は、その中に含まれる個体より構成されうる 上位の階型
直感でわかれと今西さんはいう。論理の階型が使える。

科学を発展させなかった文化を日本、東洋は持っている
細胞の前に生物種があり、個人によって説明できない。社会は種じゃないと説明できない。
上位の階型 それが分かりにくいのは個人主義だから。

感想:

一つの木に多様な環世界があるように、家族もまた一つ屋根の下に暮らしながらそれぞれの環世界がある。主体が多様でまとまらない、そこに混沌が生まれ、その混沌を平和と呼ぶのだろうか。グループ対話で出ていた、弱肉強食が起きている状態を共存と言うように。生き物同士、生き物と人、人と人は棲み分けることで共に在る。同じ生き物のみの世界は滅びてしまう。人が増えすぎると新型ウイルスや疫病が生まれる?戦争のない世界は平和なのだろうか。 多様な「環世界」を見るには能力が必要。自分が見ている環世界は、人間主体の能力で切り取られた、自然界のほんの小さな一コマにすぎない。自然もそう、自然以外の人や出来事、生き物も、全てを見ることはできていない、ということを肝に銘じておきたい。


#ほぐす学び
#本屋アルゼンチン

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