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【742球目】お誕生日おめでとう

2024年3月24日は44回目のお誕生日でした。
誰のお誕生日かと言うと、三陽工業のお誕生日です。お誕生日おめでとうございます!!そんな三陽工業のお誕生日、今年は日曜日でした。
今日は少し三陽工業の昔話をしていきます。


1980年3月24日

三陽工業の設立記念日になります。
今から44年前に三陽工業は設立されました。私は1977年11月12日生まれですので、三陽工業が出来た時はまだ2才です。妹が生まれて4ヶ月ほど経った時です。

三陽工業は始めから順風満帆だったわけではありません。川崎重工との直接取引が開始はされていたものの、生産動向にも左右されながら、やれることの幅も狭く、設立から10年~15年ほどはとても不安定な状態でありました。

その間に、化粧品の販売事業をスタートさせたり警備会社を設立したり。
化粧品の販売事業はすぐに止めています。警備会社は時代の流れもあり、私が入社した2005年時点でも会社は細々とですが、存続していました。光警備保障という名前でしたが、この光警備の社員だった人が数名、現在の三陽工業でも働いてくれています。

工場を持つ

1989年に梱包の工場が、1991年に研磨の工場が出来ています。
それぞれ会社設立から9年と11年かかっています。現在で言うと、GT製造部の物流ユニットと製造ユニットですが、当時は今と比べると、その規模はとても小さく、これもまた最初から順風満帆だったわけではありません。

どんな事業でもそうですが、最初から順風満帆な事業はありませんよね。
小さく生んで大きく育てる。物流も研磨も私達は後発企業です。そもそもの既存業者の隙があったからこそ、そこに入り込むことができましたし、それを成長させていくことが出来ました。

それぞれの事業

私は三陽工業においての3代目です。
歴史を辿った時に、この梱包工場=今の物流事業を創ったのは初代の力です。そして、研磨事業を創ったのは2代目の力。そう考えています。初代と2代目が創ったそれぞれの事業を、今では多くの仲間が支えてくれています。ありがたい話です。

色んな経営者を見る機会がありますが、初代は典型的な創業者タイプです。
わがままだけど、憎めない。理不尽なことも言うのに人がついてくる。
THE・創業者ですね。

2代目は初代と正反対
やったことがないことは基本的にやりません。リスクを取ることを嫌う傾向にあります。ただ、そんな人がリスクを承知でやる時があります。そして、それはとてつもなく大きなことになる。普段、リスクを嫌う訳ですからね。それを承知でやる時は1点に大きな張りをしてきます、そんなタイプです。

私は初代と2代目の良い所を取ったタイプと自覚しています。
そして、彼らと私の大きな違いは運の良さです。決して彼らが運が悪かった訳ではありません。一般的に言うと運が良い部類に入ると思いますが、それ以上に私は運が良いのだと確信しています。なぜでしょうね???それは分かりません(#^.^#)

44年後の未来

三陽工業が出来た1980年と比較すると、今は多くの事が変化をしています。
1980年はモスクワオリンピックがありましたが、多くの国がボイコットしたり、任天堂からゲームウォッチが発売された年です。
随分と前の感じがしますね。

その時代に任天堂Switchがイメージされていたどうかは分かりませんが、三陽工業も今の三陽工業になるとは誰もが思っていなかったはずです。
少なくとも私は思っていませんでした。2才ですからね(#^.^#)

想像していた以上の未来になっているのだと思います。ではここから44年後の未来はどうなっているのか。新卒で入った人が44年後は66才になっています。今の主力メンバーは44年後きっと三陽工業にはいません。私も90才です。

そんな44年後に三陽工業が今想像している未来よりもずっと大きな可能性を実現している様な会社になっていて欲しいと願っています。そして、その為にやらなければならないことは明確です。

日本の製造現場を元気にする。
愚直にこのビジョンを達成する為に思考と行動を積み重ね続ける事。
そして、そんな想いを持った仲間を増やしていくことです。
やり続けて、やり切ります。

本日もありがとうございました。
明日もよろしくお願いします。

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