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日本赤十字社「救急法救急員」の講習を受講した理由。~「他人の命」に触れる事件があったから。

今から何年も前の話。
私は週末の夕方、まだ少し明るい時間に愛車でドライブをしていた。

すると、

前方、道路脇に人が倒れていた。
近づくにつれ、若い女性であることがわかった。そして、その脇にグニャリと形が変わった自転車。

『人身事故だ!』

私は直ぐに道路脇に車を停め、倒れた女性に駆け寄った。大きな通りだったので、同時に何台かの車が停まり、付近の住民も数人集まってきた。

意識があるか、息をしているか、脈はどうかを確認し、住民に「どなたか、救急車を呼んで下さい。」とお願いした。

私はというと、集まった人の中に、当事者がいないことに気付き、周りを見渡してみる。

私の視界に、その場所から約50メートル先に停車中の、大型トラックと運転手がこちらを見ているのが目に入った。

「あいつだ。」

と、運転手が逃げないためにも、横断歩道を渡り運転手の元へ。
逃げたら、110番通報しながら、走って追いかけるつもりではいた。

「あなたか?あの女性をひいたのは。」

運転手が首を縦に振ったので、現場に連れてきて、直ぐに自分で110番するように言った。

(実際は、もっと強い口調だ。)

気が動転していたのか、現場住所等は私が警察に説明した。

消防、警察への通報が済み、到着するまで、要救助者(路上に倒れている被害者の女性)に何とか頑張ってもらうしかない。
女性の持ち物が、付近に散乱していないか確認するがない。

付近住民に、『この女性の体を温めたいから、毛布等があれば持ってきてもらいたい。』旨を伝えると、家の中から直ぐに毛布を持ってきてくれた。

体を動かすわけにはいかない。両足はグニャリと曲がっており、話も出来ない状態。衝撃が強かったのは判断できる。
頭を打っている可能性は高い。

急いで、女性を毛布でくるむ。

「もうすぐ、救急車が来るから頑張って!」と、何回も声をかけながら、手を握った。

遅い!救急車も警察も遅い!遅すぎる!
管内の地図を把握してないでどうする!

と思っていた矢先に、

一台の軽自動車が停まり中から男性が走ってきた。

「僕は、ライフセーバーです!」と名乗り、意識の確認をしながら、女性に声をかけたり、私や住民に状況を聞いてきた。

そして、

「誰か!急いで割りばしと軍手持ってきて下さい!」

と叫んだ。
住民から割りばしと軍手を受け取り、

男性は軍手を履いて、倒れている女性の口に割りばしを差し込み、口に隙間を作り気道を確保したのだった。

私はその時に気付く。

【気道確保!!】

酸素が体内に入る、入り口を作ってあげること、私が忘れていた大変重要なことだった。

気道確保した後も、みんなで声をかけ続けた。

だんだん、被害者の状態がよろしくない方向に変化しているのがわかった。

と思った瞬間、救急車の音が近づいて、やっと到着。直ぐに女性の処置にあたる。
警察も到着し、状況説明をした。

その後、女性の命が助かったのかはわからない。

ただ、私の中には、

『私は、気道確保をするのを忘れた。女性は助かっただろうか。』

という思いが残っていた。

私の職業は、その職に就く前に、専門的な知識を勉強するために、一定期間学校に入校する。

授業で【救急法】を、2時間学んだはずなのに、私は大事なことを忘れてしまっていた。

『こんなことでは、いかん!私はアホだ!学校で何をしていたのか!』

と自分を情けなく思い、色々調べた結果、

《日本赤十字社の【救急法救急員】》

の講習を受講することを決意した。

プライベートだけではなく、これから先も、仕事中に必ず必要となってくる、と思ったからだ。

★日本赤十字社のホームページ★

http://www.jrc.or.jp/activity/study/kind/emergency/
※受講内容や等詳細が掲載されています。
貼り付け等、上手く出来ないので、ホームページ内で調べてもらえると幸いです。
私が一番初めに受講した時と、現在は内容や受講時間が少し違っています。

受講者は、様々な職業の人たちがいた。多かったのは、家族を介護をされている方、ヘルパーをしている方。

座学の時間も長く、覚えることもたくさんあった。
そして、難しかったのは実技。
とても厳しい先生たちで、何回厳しく注意されたかわからない。
当たり前だ。

「人の命に関わること」だからだ。

時間が過ぎても、居残りで何度も練習を重ねた。
「心肺蘇生法」は、汗だくになりながら、特に練習した。

受講後は、ペーパーテスト、実技、災害シミュレーションの試験に合格し、「受講修了証」と救急法救急員認定証」をもらった。

「3年更新」なのだが、家族の転勤で更新出来ず、その後また改めて受講した。
内容が少し変わっていた部分もあり、「更新することの大切さ」がわかった。

1回目の時と同じく、居残りと自宅での練習のおかげで、一通り出来るようになり、試験に合格し受講終了証と認定証をもらう。
AEDの使い方も、みっちり教えてもらった。

その後、家族の転勤で『祖父の育った場所』に行った。海で溺れたり、山の中で遭難する人がいたり、と大変忙しかった。
私は、いつ呼ばれてもいいように、学んだ救急法を練習していた。
使う機会はなかったが、それが一番いいのだ。

《そんな私が、人を救う立場ではなく、人に救われる立場に変わった》

止血の仕方や、三角巾での怪我の処置は出来るが、

今の私は、心臓マッサージをされる側だ。

病気になったので、3年後の更新は出来なかった。

しかし、変わってしまった体でも、私の心は変わっていなかった。

検査入院し、病名がわかり退院して通院を続けていた、ある冬の日のこと。数日後のこと。(ちなみに、検査を実施した病院と現在通院している病院は違う。)

母が運転の車の後部座席に乗っていた。

私は、歩道に倒れている人を発見したのだった。
高齢の女性だ。

母に、
「人が倒れているから、あの場所に行って車を停めて欲しい。」旨を伝えた。
母は、「その体でどうするの!自分が病気なんだから。誰かが助けてくれるから。」と。

『いつから倒れてるかわからないけど、まわりに誰もいない。死んだらどうする。出来ることはあるから、早く車を停めてくれ。』

そうして、倒れている女性のもとに向かった。

倒れている高齢の女性の横には、杖とショッピングカートがあった。
女性は、何とか立ち上がろうとしていた。
雪道の上で。

私は、「大丈夫ですか?」と声をかけると、「転んでしまって、立ち上がれないの。」との返事が戻ってきた。
話せる状態を確認出来た。
「救急車を呼びますね。」と聞くと、「救急車は呼ばないで。起こしてくれたらいいの。」と言う。

一瞬、自分の体で、母と二人で起き上がらせることは出来るか、少し不安ではあったが、やるしかない。

女性に声をかけながら、ゆっくりと体を起こそうとした。

その女性は、転んだ時に咄嗟に近くの垣根に掴まったのだろう。
垣根から手を離すのに、とても時間がかかった。
指を1本1本、「大丈夫だからね。」と声をかけながら外していった。

何故なら、高齢の女性はものすごい力で、木の枝を掴んでいたからだ。

ひとりで、どんなに怖かっただろう。

人が恐怖に襲われた時、こんなに凄い力で何かを掴むのだ、
私は驚きと、その姿を目の当たりにし、絶対に助けるぞ、と強く思った。

女性はどれだけの時間、倒れていたのだろう。
とても、とても手が冷たかった。

通り行く車に、手を上げながら助けを求めたが、誰も止まりはしない。

私は、助けを求めるのを諦めて、母と二人ですぐ近くにある、高齢の女性の自宅まで、女性を両側から挟んで運んだ。

私の息切れはひどかった。私が、救急車で運ばれるのでは、と思ったほどだ。

人ひとり助けも出来ない体になったんだなあ、と落ち込みながら、最終関門の女性の自宅玄関までの階段を昇った。

ちょっとだけ休憩させてもらい、『独り暮らし』ということで、娘さんに連絡しておいたほうがよい、旨を話し、その場で電話してもらって、電話を代わってもらい、事情を話した。

『私が何故、息切れしてまで命懸けで、倒れていた女性を助けたか。』

それは、自分の姿と重なったからだ。私も、どこで倒れるかわからないからだ。人の助けが必要な体になったからこそ、わかることがある。

私は、目の前で倒れている人間を放置できない。
諦めずに、出来る限りのことはやる。
自分が出来ることはしたい。

《何故、救急法を学びに行ったのか》
私は、気道確保することを、忘れていたからだ。
授業で学んだことを、人を救わなければいけない場所で、生かすことができなかった。

私は今でも、交通事故で倒れていた女性と、その場所、
高齢の女性が倒れていた場所と、その女性の手の力を忘れていない。

それぞれの場所を通る度、生きていてほしいと願う。

今の世の中の状況が落ち着いたら、少しでも関心があるならば、日本赤十字社のHPを見て【救急法】を学んでくれたらいいな、と思っています。
決して他人事ではない。
知識があるのとないのと、何かがあった時に出来るか出来ないかで、家族や友人や、大切な人を救うことが出来る、と私は強く思います。

私はもう出来ないけれど、知っていることで、隣で教えてあげることは出来る、
そういつも思っています。

『心臓リハビリテーション』を、理学療法士のもとで行っていた時に、この話をして言われた言葉。

『今は出来なくなってしまったけれど、知識があるかないかでは全く違う。人に教えることも、「こういうものがあるんだよ。」と他人に広めることが出来る。これは、あなたにしか出来ないことだ。助かる命はある。』と。

「心臓マッサージ」以外は出来るので、救急キットは今でも保管しています。

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