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科学と宗教の狭間。勉強したことのメモ帳(備忘録)。分野は問わない。神学、哲学、生物・心…

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科学と宗教の狭間。勉強したことのメモ帳(備忘録)。分野は問わない。神学、哲学、生物・心理学系が多い。

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心の哲学における私の仮説

心の哲学についての私の仮説。 ー意識の現前には何も存在しない。意識の背後に器官なき身体(欲動)が、宇宙(法則)が、超越(偶然)が存在する。立ち現れる現象の中で、質と量は重ね描かれている。ー 認識論から出発した時、私は私というフィルターを通した世界しか見ることができません。その世界を「現象界」と呼びます。ですから、身体や物質や他者も私の現象界の中に存在します。しかし、意識が単にその表層的なものだけならば、なぜ私は現象界を明晰夢のように自在に操れないのでしょうか?私が現象界を

    • 人権は存在しない

      今から現代の倫理観の欺瞞を暴こう。人権など存在しない。神と同じく人間が作ったシステムに過ぎない。自然界には人権はない。 正義など存在しない。ただシステムがあるだけ。正義の振りをした偽善(偽正義)というのは存在する。 尊厳というのは権利ではない。殺すな!という叫びである。そこに正義なんかない。怒りと暴力があるだけ。 本当に非暴力を貫くなら、権利を主張せずに殺されるがままに任せる。喜んで犠牲になる。それが美徳の時代もあったので、西洋の人権思想が普遍的な正義なわけがない。

      • 進歩史観よりも構造主義ーないものねだりではなく、すでにあるものを見つける視座ー

        世界全体を総合的に見ると、世界の徳は進歩しているわけではなく、メリットとデメリットが形を変えているだけで、構造そのものは何も変わっていない。 だから、僕は社会変革に関心がない。社会は自ずと変化する。それをただ冷徹に眺める。むしろ、僕自身は、愚痴や不平不満よりも、今この日常から幸福を抽出する方に意識を向ける。どんな環境であっても。それは普遍だから。 デタッチメント、ノンポリ、これは社会人として良くないという風潮もある。しかし、大半の人は実質そうだ。ただニュースを眺めて分析し

        • 村上春樹『納屋を焼く』考察

           この作品は、村上春樹の短編集『螢・納屋を焼く・その他の短編』(1984)の中に収録されている。  この短編には、「僕」と「妻」と「彼女」と「彼氏」が登場する。  「僕」は既婚者だが、ガールフレンドの「彼女」と交際している。「彼女」はパントマイムを習っている。パントマイムは”ない”ものを”ある”かのように演じるものだ。彼女は「蜜柑むき」のパントマイムをよくするが、そのコツについて、「そこに蜜柑があると思いこむんじゃなくて、そこに蜜柑がないことを忘れればいいのよ」と答えてい

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        心の哲学における私の仮説

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          ちんちくりんりん

          僕の熊さんはうさぎに食べられた。 古い友人を訪ねた。バス停は必ずどこかのバス停に繋がっているのかな。トンネルはひんやりしている。 赤い橋は自然には強すぎる色だと思う。なのに写真に撮ってしまった。僕もただの人間なんだ。 君は他の人間とは違うと思うかい?それとも人間が好きかい? せっかくはるばるやってきたのに、かくれんぼする。もぐらたたきみたいに血眼になる。ごめん、そんなつもりはなかったんだ。 また来るよ。何かを受け取って帰れる気がするし、この想いは必ず詩にするから。

          ちんちくりんりん

          『レキシントンの幽霊』

          幽霊とは何なのか。 そこに幽霊が存在するのであって、幽霊という記号に特に意味はない。だが、記号の集合体からホーリズム的に醸し出される記号は、もはや記号の体をなしていない亡霊のようなものだ。 幽霊は薔薇を携えているのかもしれない。あの洋館で。 感情は直接表現するに値しない。そうしたざわめきは亡霊を呼び寄せる。霧の中で執り行われる儀式には似合わない。 それよりも天文学者を招き入れよう。彼は神秘を語ってくれる。豊かな記号の海に自由に線を引くのがいい。 なぜだか独りな気がし

          『レキシントンの幽霊』

          ラッキーマンの哲学

          ラッキーマンの哲学的本質は、陰陽である。すなわち、ツイてないとツイているは表裏一体だということ。彼は、変身前はツイてなく、変身後はツイている。つまり、彼の本質は、ツイてるとかツイてないとかではなく、"超低確率を引き寄せてしまう特殊能力"にあるのだ。 量子力学的に確率0%のことはあり得ない。ラッキーマンは超低確率を引き寄せてしまうので、負けることはない。そんな彼に勝てる存在はいないのか?作品の中では勝利マンが彼に負けなかった(?)ことがある。勝利マンは事実上どんなに負けている

          ラッキーマンの哲学

          現実(Actuality)とは何か

          現実(Actuality)とは何か。 実在(Reality)は、認識する主体=「私」に属する。現実(Actuality)は、認識される対象=〈私〉に属する。 身体は、「私」と〈私〉の媒介である。身体は世界に属する。 〈この現実〉は感覚に属するが、〈あの現実〉は推論に属する。 世界は感覚と論理を「私」に付与する。 「私」(実在)は、身体(世界)を媒介として感覚と論理によって現実〈私〉を認識する。 すなわち、感覚を通して〈この現実〉を認識し、推論を通して〈あの現実〉を

          現実(Actuality)とは何か

          アメリカ&ラテン音楽史のメモ

          ※この記事は、丹精込めて書いていますが、独学のメモ程度のものです。まだまだ未完成であり、今後も加筆・修正してブラッシュアップしていく所存です。情報は共有したいので無料で公開していますが、記事を作るのに労力がかかっているので、サポートしてくださると大変嬉しいです。 【アメリカ音楽】 ◎白人音楽◆クラシック有名曲: ・ジョン・フィリップ・スーザ(1854-1932)   「Stars and Stripes Forever(星条旗よ永遠なれ)」1896   「ワシント

          アメリカ&ラテン音楽史のメモ

          人間愛(エゴ)

          不可知論者だが、あえてこの世の理を描出することを仮説として試みるならば、この世に究極的な意味はない。人類が存続すべき意味もまた人間のエゴの中にしかない。 人の子はみな承認欲求の塊の赤ちゃんだが、大人は知恵と力によって武装した赤ちゃんである。乳児は無防備に泣くしかできないが、大人は鎧を着て警戒し、武器を持って振り回す。それゆえ人は傷つけ合う。 人間はどこまでも弱く愚かで利己的な生物である。だから利害一致して助け合う必要があった。 倫理や道徳は、そんな人間同士が生き残るため

          人間愛(エゴ)

          恋愛論

          恋愛とは、自己投影+転移(親の投影)+性欲(遺伝子交配)。+α 共同作業+シナジー効果。 似ているところの安心感と、似ていないところの憧れ。 ※上の条件を満たし、かつ相手の存在に対する欠乏感の濃度が濃いほど激しい恋と言える。 相手の存在を求めていない(無関心)→相手の存在を求める欠乏感(恋、好き)→それでも相手の意思を尊重(愛、片想い状態)→相手が自分の意思で私のニーズに応えてくれる(恋の成就、嬉しい)→私と相手が互いのニーズに応え合う(恋の発展、シナジー効果) 恋と

          恋愛論

          内的家族システム療法(IFS)、パーツ心理学

          内的家族システム療法(IFS:Internal Family Systems Model)は「パーツ心理学」の一種である。1980年代リチャード・シュワルツによって開発された心理療法である。 心は潜在意識に存在する複数のパーツ(多重人格的なもの)から成り立っており、それらのパーツたちが心の中で家族システムを形成している。その家族システムの核には全体のファシリテーター的な存在であるセルフ(真の自己)が存在する。パーツには独自の視点、記憶、観点があるし、お互いに矛盾、対立してい

          内的家族システム療法(IFS)、パーツ心理学

          自分の考え方はここ一年でもだいぶ変わっているので、過去の記事は私の中では過去の産物のあるものも多い。一度整理したいとも考えている。

          自分の考え方はここ一年でもだいぶ変わっているので、過去の記事は私の中では過去の産物のあるものも多い。一度整理したいとも考えている。

          普遍的な善悪や意味の不可知なこの認識世界において、生涯を全うするその時まで、実存の拭えない苦を軽減させるため、心身を鍛えることこそ人生の唯一の意義である。

          普遍的な善悪や意味の不可知なこの認識世界において、生涯を全うするその時まで、実存の拭えない苦を軽減させるため、心身を鍛えることこそ人生の唯一の意義である。

          愛の範囲

          善悪は実在しないから、他人の不幸は見ず、自分の幸福だけ見ればいい。でも、愛する人とは一緒に幸福になりたいから、愛する人が苦しんでいたら助けたい。 これが本能レベルの愛の現実。善悪なんかない現代の相対論的世界観では、その人が愛する人の笑顔が見たいから助けるっていうのが、行動規範になるだろう。愛する人がたくさんいれば、助けたい人もたくさんいるだろうし、一人もいないなら、誰も助けないだろうし。またそこには、親密度による優先順位も存在するだろう。 だから愛される人になるには、相手

          愛の範囲