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【小林正観さん】解脱とは…


認識が
上がってくるに従って
3つの段階がある

第一段階は
『この世が修行の場である』

目の前の現象の
一つ一つが
私を修行させるために
存在しており
そのために
色々な現象を
起こしていると考える

気持ちが楽
生きるのが楽
になるなら
そう
捉えるのも良い

第二段階は
『この世は喜びの場である』

喜びであり
幸せに思える
認識が
2/3まで来ていて
66~67点

第三段階は
『感謝の場であると気づくこと』

現象は0(ゼロ)
中立で
色がついていない

宇宙の意思がある場合には
「働いている場合ではないですよ」
という時には
会社が倒産したり
職を失ったりする
現象が起きる

そのおかげで
天命・天職に
出逢えたなら
このことに感謝すると
思います

「自由とは
自(みずか)らに
由(よ)る」
と書きます

自分の
捉え方・認識
の力が
この世の評価を決める

実は
感謝すべきものに
満ちている
感謝ばかりではないかと
捉える

認識が第三段階の
99~100点

これを
解脱
という


私は2009年頃に小林正観さんの本に出逢ったと記憶しています。

正観さんが亡くなる一年程前でした。

当時、一番下の双子を出産した直後で、子育て真っ只中で、その頃は長男の子育てに最高に悩んでいた時期でした。

長男に対する間違った対応の数々のことを、私は心のどこかで罪悪感を感じていて、本の中で、正観さんは「子どもは謝ればいつでも許してくれる天使ですよ」と、教えてくださいました。

双子を産んだばかりで、外出も出来なくてストレスを感じていて、日々の生活だけでいっぱいいっぱいだった時に、長男は習い事のサッカーに行きたがらなくなりました。

当時の私は、長男がサッカーに行くことは、私自身が社会から取り残されない為に必要だと、どこかで感じていたのかもしれません。

長男にはサッカーの仲間しかいないと思い込んでいたし、長男の評価が下がることを避けたい気持ちもありました。

大いに世間(大人)の目も気にしていたと思います。

行き渋る長男に物を投げつけ、無理やり外に出したりして、「サッカーを休むことは絶対許さない」と、サッカーに行かせました。

家の中まで聞こえてくるほどの大きな声で泣きながら、長男の遠ざかる声を聴いた日が昨日のことのように思い出されます。

そんな中で、長男は元々持っていた喘息が悪化して、毎晩急患センターに駆け込むようになりました。
入院するかしないかの危険な状態だったこともありました。

喘息と同じく、身体が温まったお風呂上がりにじんましんが出るようにもなりました。

真っ赤になってかゆいのを一生懸命かかないようにしていたのを思い出します。
今思うと、それは私が「かいたらダメ」と、圧をかけて言い続けていたからでした。

そのじんましんがだんだん朝に出るようになりました。

朝、病院に行ってから学校に送る日々が始まりました。

あらゆるアレルギー検査、そして食事療法をしても治らず、原因不明でおそらくストレスだろうと言われました。

そんな日々を送っていたら、とうとう顔にまで(全身)、じんましんが出てくるようになり、とうとう学校に行けなくなってしまいました。

一連の、私が長男にしてきた対応が間違っていることは、気がついていたように思います。

比較的穏やかな女姉妹+弟で育ったことと、私自身が元々、争いことが好きではなくて、人を叩いたり、足で蹴ったり、物を投げつけたり、他人に対してしたことがありませんでした。

それを初めてしたのが、目に入れても痛くない我が子に対してだったこと。
「行きたくない」と苦悶の顔で訴え、サッカーの時間になると動かなくなる我が子に対して、怒鳴って、力づくで、従わせることをしてきました。

この何とも言えない、苦しみは
今でも思い出せるほど、何とも言葉では言い表せないものだと感じます。

でも他にどうやったらいいのかが、当時の私には全くわからないし、教えてくれる人もいませんでした。

悪化していく現状に、なす術もなく、自分自身を改めることも出来ずに、毎日生きるだけ、そして何とか自分を保つだけで必死な状況だったように思います。

産まれたばかりの双子の赤ちゃんと、次男のお世話に追われ、そして長男のことで深い闇に落ちそうだった時に、小林正観さんの言葉が、私には一筋の光となりました。

それから寝る間を惜しんで、正観さんの本を何冊も読ませていただきました。

今でも、私の深いところで、
『子どもは謝れば許してくれる天使です』
という言葉が、一番光って輝いている言葉だと感じています。

それから15年ほど経ちました…

あの頃には理解出来なかった、言葉に込められた真の意味がわかるようになったように感じています。

そして、15年経った、令和の今でも、正観さんの言葉は色褪せない深い真理を感じることができます。

私は第一段階の修行の期間が随分長くありました。

私はどうも苦労が好きなようで、第二段階はあまりなかったように思います。

そして今、第三段階に入ろうとしている感覚があります。

解脱したいとかそういうことは思いませんが、「感謝」というものが分からなかった私が、やっと「感謝」というものが実は自分に与えていただいた全てにあることが、わかってきた感覚があります。

味わって来なかった、第二段階の喜びも、これから存分に味わっていきたいと思います。

仕事で忙しい夫には迷惑を掛けられないという思いが強くあった当時の私でしたが…もっと夫に頼れば良かったんだとも感じています。

小林正観さんありがとうございます。


最後まで読んでくださいまして
ありがとうございました(*^^*)


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子どもに教えられたこと

未熟な母親でしたが、子育てでたくさんの学びがあったことに気が付きました。これからは子どもたちと一緒に私の人生の楽園も追及したいと思います(*^^*)