見出し画像

食器って、なんで「全員同じもの」で揃えなきゃいけないんだっけ?

私は「食器は、同一のものを5人分セット(又はペア)で揃えておくのが常識」と教わってきた。同じ食卓を囲むのにバラバラの食器はよくないし、お客様なら失礼にあたると。だから、今まで食器を買う際にはけっこう意識してきた。

しかし最近は「むしろ、バラバラも素敵だ」と感じている。みんな違ってみんないい。というような。

よく分からないけど、そうしてきた

いや別に、「食器を揃える」ことについて否定はしていない。それにはそれの良さがある。見た目は統一されるし、食事中の一体感も生まれる。でも、改めて考えてみると、「画一的なものを良いとする」価値観が根底にあるのかなという感じもする。

奥能登の集落での、粋なおもてなし

先月、石川県の奥能登の集落に行ってきた(詳細は以前のnote↓ご参照)。
https://note.com/sana_37/n/nadf7cd4a5e84

そのとき、友人宅(Mちゃん宅)で出されたのは、人数分全部が違う、バラバラの食器だった。しかも、大量生産ぽいものではなく、一品ものかな?と素人目にも分かる、すごく素敵な「作品たち」!

そして、「ねえ、この中で、さなちゃんは、どの食器で食べたい?」と問われて、とってもワクワクした。選ぶ陶器によって、同じ飲み物・食べ物であっても、見え方も感じ方も、過ごす時間も、変わる気がしたからだ。

実際、変わった。そして背後にある、それぞれの食器の陶芸家さんや製作ストーリーを聞くと、またまた味わい深い。陶器は更に美しく、食事も美味しく感じるから不思議だ。

陶芸作品の魅力を味わう

「陶器作品の魅力を、心から味わう」。ここしばらく出来ていなかった。

今回の件でハッと思い出したのだが、私、小学生の頃、陶芸クラブに入っていたのだった!「いびつさ」も含めての唯一感、独特なあたたかさが、子供ながらに好きだった。
ツルンと整った工業製品よりも、手作り感・ほっこり感があるものを求めるという、私の嗜好の原点かもしれない。(そのあとも編み物などにハマっていった)。

大人になった今でも陶芸の食器は好きだ。お店でつい立ち寄ってしまうし「いいなあ」と思うものは沢山あった。でも、「1つだけ買うのもなあ・・」という考えがよぎってしまい、購入には至らなかった。

素敵な陶器を日常使いすることで得られるもの

素敵な陶器は、やはり、お値段はそれなりに張る。けれど「自分の感性に触れた陶器だけを手元に置き、その日の感覚で選んで使う」って、なんかいい。自分だけの密かな愉しみ、暮らしの彩りになる。

そして「毎日選ぶ」ことによって感性も研ぎ澄まされていく気がする。「何にでも使い勝手のいい」食器も必要だが、「心に響く食器」を1つだけで構わないからぜひ買って大切に使ってみようと思った。それだけで生活のひとときが豊かになる、つまり人生が豊かになる気がするから。

丁寧に扱えば長持ちするし、「機能」だけではない「意味、価値」を考えると、決して高い買物ではないと思う。

「食器は揃えるのがマナー」。もし昔そうだったとしても、価値観は移り変わっていくのだと実感した。
むしろ今の時代は「みんなと同じ」ではなく「自分がしっくりくるもの」を好む方向に向かっているようなので、食器も「個性的でバラバラ」のほうが主流になっていくかもしれない。というか、食器だけでなく色々なものが。

「自分だけの、価値あるもの」を身の回りに増やしていく。素敵だなあ。


この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?