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神保町で、昭和50年の「anan」を発見|不思議なタイムスリップ感覚

昨日、久しぶりに神田 神保町へ行った。本の街、古書店の街。ふらふらと散策していたら、人だかりを発見。遠目には普通の「古本市」のようだが、老若男女いて、妙に賑わっている。

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昭和50年の「anan」を発見!

気になってのぞいてみたら・・・
おおお、なんとも古めかしい表紙の雑誌が!昭和50年発行の「anan」だ!

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「自分が知っている雑誌」の「自分が生まれるずっと前の号」を読むというのは、なんだか不思議な感じだ。前世にタイムスリップした感じとでもいうか。興味津々でめくってみた。

「歴史的書物」としての価値

何冊か読んで感じたのは、「人の関心事はいつの時代も変わらないんだなあ」ということだ。恋愛、ファッション、グルメ、旅行、仕事、悩み事、などなど。

もちろん、時代背景や現代との違いを感じる部分も多々あって、それも面白かった。

例えば、全体的に、キャッチコピーや文章の文体はかなり違う。あと、読者の個人情報を堂々と掲載していたり!文通相手募集など「住所・本名」が書いてあったりする。。一方、ファッションのページはあまり違和感がないのがちょっと意外だった。

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読んでいて感じたのが、「これはすでに貴重な「歴史的書物」だ」ということ。
そして、学生に、歴史への興味を持たせるには、こういう手段が効果的なのではないか?ということだ。

「リアリティ」と「親近感」

私は、学校で習った「歴史」はそんなに興味を持てなかったのだが、この「昭和50年のanan」はとても身近なものとして純粋に興味が湧いた。当時何が流行っていて、どういう女性たちがどんな想いで読んだり投稿していたのか、とても気になり、人物像を想像しながら読んだ。

これは、歴史の勉強では感じなかった感覚だ。やっぱり何事も「いかに、自分の身に引き付けて考えられるか」で関わり方が変わってくるんだろうな、と改めて実感した。

時空を超えた繋がり

そして、この「anan」を作った方や当時の読者のお姉さんたちは「令和2年」という未来に、こんな人にこんな風に読まれるなんて、想像もしなかっただろう。

「その時」は何でもないようなことが、後から振り返ると「歴史」になっていくんだなあ。「いま、この瞬間の私」も、その一部を構成しているんだなあ、、と、時空を超えた繋がりのような、感慨深い気持ちになった。

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