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過去の思い出品を断捨離した

元彼と別れる前後から、断捨離したい気持ちが募っていた。
そして最近、気が向いたら断捨離するようにしている。

正直物はそこまで減っていないけど、場所をとっていた収納や物がコンパクトになっていく姿は、清々しい気持ちとほのかに愛着が湧く☺️

断捨離したゾーンを眺めては、気持ちよさと可愛らしさでニコニコしてしまう☺️

改めて私は断捨離が好きだなぁと思った。

と言っても、気力も体力も使う断捨離だから、あまり長いこと作業はできず、実は今、部屋の中は散らかっている笑
断捨離してると部屋が散らかるのはあるあるな気がしなくもない笑
まぁまぁ、ちょっとずつやっていけば片付くだろうし、今は置いておこう。
ちょっとずつ断捨離頑張っていきます。


今日は、”思い出品を断捨離したい”気持ちだった。

前々から、大量の感情やイラストが書かれたノートや作品、昔の思い出袋などを断捨離したかったのだ。
だけど、思い出品って、断捨離の中で一番疲れる作業のように思う。

前も、チャレンジしたのだが、思い出品はやっぱり今度にしようと思って、手を付けずに終わってしまった。
けど、今回はあまり抵抗がなかった。


私の残していた思い出品達は、学校やクラス、先生、仲よかった友達の手紙やメッセージ、イラストやハンドメイド作品など、その人が色濃く出るものばかりだった。

私は引きこもってる理由に人間関係の傷がある。
私はとても人間関係の傷を引きずる。
というか、当時心との向き合い方がわからなくて、対処しきれなかったとも言える。
自分で抱えて我慢して、耐えるしか対処方法を知らなかったのだ。

そんな私だから、人一倍人間関係の思い入れが強かったのだ。

過去の思い出達は美化されていき、昔の人間関係の思い出にしか縋って生きることしかできない日々を長年送っていた。
今でもまだまだある。夢にも何回も出てくる。

それぐらい、私は根深く過去に執着しながら生きている。


ううん、執着するしかなかった。そこにしか私の居場所がなかったから。


そう思うといい思い出だと思われそうだが、いい思い出半分苦しい思いで半分である。
むしろ苦しさの方が勝っている。
それなら執着する意味ないじゃないかと思われそうだが、私はまだまだ社会を知らないせいで、その過去の世界が私の一番の幸せだった時期として止まっているのだ。
正直、空想を見続けているような気分である。そんなことは絶対ないはずなのに。

そう思い込んでいて、おかしな思い出(もはや自分の中で作られた思い出)に浸って生きているという。。。(説明が難しい)

とにかく、おかしな認知なのだ。

逆に言うと、その世界線からずっと抜け出せずに生きている。
だから、引きこもってずっと時が止まっている。
私は過去と向き合うのがとても下手なのだ。

私の中で、それだけ過去に対して後悔と罪悪感と美化された思いが詰まっているのだ。

そして、私にはその世界線でしか生きていけない。といった恐れの気持ちからの執着でもある。
もうもはや呪縛といったところだろうか。。

その思い出達に守られながら生きてきたんよな。


そんな私が、思い出品を断捨離したいと思って向き合えたのだ。
とても不思議な感覚だった。

何回見ただろう、過去の手紙や年賀状、メッセージ、イラストたち。

けど、なんだか、私が持たなくてもいいよな。って思ったのだ。

私が思い出品を残してた理由は、相手の作品達を大事にしたくて、蔑ろにしたくなかったからだ。
「どんな形であれ、頑張って作った物達だ。あなた達が誰にも見向きされなくても、私がずっと大事にする!私はあなた達の頑張りを忘れない!」といった、強い思いがあって、捨てるなんて考えもしなかった。

私なりに、関わってくれた人たちを守っていたのだ。
。。。もう関わっていないのに。

けど、もう守らなくてもいいよね。と思ったのだ。
先生からのメッセージも私が別に読むわけじゃない。
相手の頑張りを無かったことにしたくなくて残していただけである。
私はそれぐらい他人軸で生きていたのだ。

修学旅行の写真だって、思い出として残しとかなきゃ。せっかく作ってくれたのにといった罪悪感で残していたけど、私からすると嫌な思い出品でしかなくて、見たくも残したくもなくて、今日罪悪感もありつつもシュレッダーにかけた。
けど、心は喜んでいたんだ。すっきりして手放していいんだって思えた。

中学のメッセージ達だって、読まないし、いい思い出なくて、心がズキズキして痛いぐらい。
しかも、私の文章読んだらクソテンション高くて、痛々しくて余計苦しかった😅
クラスメイトの前であんな痛々しい文章書いてる自分に対して、”だから人とのいざこざが多かったんじゃないか?”と冷静にツッコんでしまった笑

テンション高かった理由は、参ってたのもあると思うけど、ゲーム実況、特にキヨにドハマりしてたせいで、キヨの真似をしてたせいです。。。。。
(当時、キヨを知る人なんてほぼいなかったから、最先端通ってる自分すごいみたいな感覚だったんだと思う。痛いですね。。。())
まぁ、今もクソガキではあるが。

美術部でもらったイラストも、すごいからといった理由で残していたけど、「今はもっとすごい人が山ほどいるし、中学時代のすごい!で止まらなくてもいいんじゃないか?」と思って捨てた。
正直思い入れもない。。。その当時はレアだったけど、でももう終わったことだしなぁと思って、そのレア度が古く薄くなってる自分に気がついた。
(昔のようにワクワクしなくなった感じです)

友達からのイラストなども残していたけど、当時関わっていた人たちとか趣味話とかも書いていて、関わった人たちは、めちゃくちゃ古く感じて、「なんでこんな人たちのこと残してるの?」と疑いたくなるような、関わりたくもない人たちでいっぱいだった😅 もう全然興味もないし、喋りたくもない笑(だって当時の好きな人だし笑)

趣味話も当時から興味ない&知らない話で、「なんで残してるの???」状態だった笑

嫌いな幼稚園の先生からの年賀状とかも残していて、読まないし、当時から年賀状返したくないと思ってたし、どうして残しているのだろう。とまたもや思った笑
(今は年賀状してないです)

友達からのイラストや手紙、年賀状もときめかない物達は捨てた。

そしたら、パンパンに膨れ上がっていた思い出袋は、半分ぐらいの厚さとなっていた。

もちろん、まだ手放せないものもあった。
まだ過去を成仏できてないものもあったし。
私に向けてくれた言葉達にうるっときたり、元気が出たりしたからだ。

私、こんなにも必要のないものを持っていたんだと実感させられた。
捨てて少し心が軽くなったように思う。もう持たなくていいんだって。

どれだけ、過去に縋って生きていたかよくわかる。
そしてどれだけ、過去を大事にしていたかもよくわかる。

実は元彼の件で、ネットで色々調べていたら、「思い出品は持っていると気持ちが思い出しちゃって、なかなか相手を手放すことができません。」と言われていて、
今回の件で本当にそうだなぁと思った。
私はずっと手元に思い出品を残していたから、過去がぶり返されて、なかなか手放せずにいたんじゃないか。と。

元彼の思い出品はまた違う日に整理しようと思ってるのだけど、まさかその情報が、私の思い出品に対して役に立つとは。
なるべくしてなった出来事だったのかもしれない。
それを思い出させてくれるために、今回の別れがあったのかもしれない。
気づきを与えてくれてありがとう。と少し元彼にお礼をしてみる。

でももう、私の中で少しずつ美化されなくなってきたみたい。
私は知らない間に、過去から少しずつ進んでいるんだろう。

ずっと縋って、私はもう過去から抜け出せずに死ぬと思っていたのに。
過去に縋って、これ以上の幸せはない!私はここからもう進むことはできない!私は生きれない!って思い込みまくっていたのに。
時間って不思議だ。生きていたらちょっとずつ薄れていくし、癒えてくる。

ちょっとずつ、引きこもりが終わってきてるのかなって思う。
私、進もうとしているんだって、心の変化を感じる。

きっと、これからいい出会いがあったらもっと過去に縋らす生きていけるんだろうなって。
たくさんたくさん過去を塗り替えれたらいいな。

過去の私は狭い世界しか知らなかった。けど、ちょっと歩んでいたら、もっと広い世界が見えてくるんじゃないかな。
見えてきてくれるといいな。

私、歩けるかな。
歩けるといいな。

さな



P.S.
正直まだ捨てたいなって気持ちがある。
特に、美術部で作られた部誌たちである。
その世界には私の中での劣等感がいっぱい詰まっている。
けど、興味ない作品もたくさんある。
これが一番重なるし、場所もとる。
正直、全て捨てるのは勇気いるから、自分の作品とときめく作品だけ切り取って置いておこうかな。と思う。

思い出品って捨てるの大変ですね。。

断捨離ですっきりする理由って、物が減る喜びもあるけど、心の荷物も下ろせるからよりスッキリするのかなと思いました。






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