2023.5.16 大正と令和の意外な3つの共通点
大正10年9月28日、午前9時30分。
犯人は突如、懐から刃物を取り出し、男の右胸を突き刺しました。
広大で静かな邸宅に、大きな悲鳴が響き渡ります。
犯人は慌てて部屋から逃げようとする男に、馬乗りになって更に刺し続けました。
男の死を確認すると、犯人はもう一度刃物を取り出し、自ら頸動脈を一気に掻き切って自死…。
その日の夕方…。
浅草の駅前では、新聞の号外を示す鈴の音が鳴り響いていました。
見出しには、
<大磯の別邸で安田善次郎氏刺し殺される>
被害者は、大邸宅に住む富豪…。
後のみずほ銀行や明治安田生命保険、東京海上ホールディングスなどに発展する日本4大財閥の1つ、『安田財閥』を一代で築き上げた超大物でした。
その事件の日の東京毎日新聞、東京朝日新聞夕刊の早版には、犯人の遺書が掲載されていました。
しかし、それは即刻、発売禁止となり、警官が没収して回りました。
この日の遺書掲載版の夕刊は、密かに数十倍の値段で売り買いされたといいます…。
一体、発禁処分された新聞には、何が書かれていたのでしょうか?
さらに、警官の没収作業も空しく、この安田善次郎刺殺事件は、その後の昭和のテロの火付け役になったと言われています。
今回、書き綴らせて頂くこの事件を読んで頂ければ、なぜ、文明開化を進め、日清・日露戦争勝利を成し遂げた輝かしい明治日本が、たった十数年でテロが横行する“暗黒の昭和”へ転落することになったのか?
そして、
京都アニメーション放火殺人事件(令和元年)
小田急乗客殺傷事件(令和3年)
安倍晋三元首相殺害事件(令和4年)
など、悪質な殺害事件が立て続く令和日本の行く末が見えてくるかと思います…。
英雄に仕立て上げられた『暗殺者』
大正7年、第一次世界大戦が終結…。
一時的に大戦景気で沸いていた日本に、一気に不況が押し寄せました。
その後、不景気は長期化。
世の中は深刻な格差社会になりました。
一方で、大戦景気で一儲けに成功した一部の“成金”たちは、株式相場を操作し、巨大な利益を得ていました。
株仲買人や実業家など、彼らの容赦ない利益の追求が多くの人に損害を与え、絶望の淵へと追いやります…。
ここに、若い世代を中心に不遇感と鬱屈が充満しました。
一部の人間に富が集中することの不満と共に、世の中から認められず、不幸を抱え込むことへの苛立ちが鬱積していたのです。
そうした空気の中で立ち上がったのが、ある“暗殺者”…。
名前は朝日平吾、31歳。
定職には就いていませんでした。
若き日に母を亡くした朝日。
預けられた先では継母のいじめに遭います。
大学中退後、陸軍第18師団に入隊。
数年で除隊した後、大陸に渡って飛躍のチャンスを掴もうとしましたが、失敗しました。
承認欲求が満たされず、家族とも折り合いが悪い中、鬱々とした感情は、次第に政治運動や労働運動に向かっていきます…。
自分で政党を立ち上げようとしたものの挫折。
財閥の有力者に労働者救済のための提案を行ったが相手にされず、不満は日に日に募っていきました…。
発禁処分された遺書『死の叫声』
事件の25日前、大正10年9月3日、朝日平吾は『死の叫声』と題した文章を書き上げました。
夕刊に一度は掲載されたものの、警官に没収された一文です。
これは彼にとって、自己の存在証明を懸けた“最重要文書”であり、心血を注いで書き上げた“遺書”でした。
そんな『死の叫声』は、こんな内容でした。
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