見出し画像

自主映画を、撮る。その5

とはいえガチの賞レースにも挑んでいく気概で。

先日数年ぶりに開催されたミーティングでも持ち切りだった議題の一つで。つまり「映画制作のモチベーション」をどこに設けるか、あくまで仲間内のワイワイに留めるのかそれとも本格的な賞レースを視野に撮影に臨むのか。好との久々の再会は割とシビアな話題にまで踏み込んだ充実の時間でした。結論から言えば、我々は茨の道を選び大きく一歩踏み出した訳で。

先述の通り、僅か4日間の撮影候補日から見事往年の主役級を確保することに成功。名作確定演出と敢えて申し上げておきます、これは自らを鼓舞する意味でもあるいは相応の煽り文句とご理解頂いても結構です。いずれにせよ本気度が伝わればそれで良し、新婚ホヤホヤかつ多忙を極める彼にオファーできたとくればしかしもう怖いモノなし。

第5回にして、待望の「やんわりメイキング談」。

第一回企画会議後から程なくシーン順に台本第一稿が続々と上がってまいりまして、出演兼演出家としてそれっぽく茶々入れしていった。都合上、実名ベースで進行していく物語になりましたので「演じる」というよりはむしろ役者個々人の「ライフサイズ」をそのまま作品に閉じ込める意識でもって、あれこれプランニング。結果、監督からは予想以上に好印象を得られた。

現役時代を振り返ると都度都度必要な台詞を刪補する形で進行していく場面が多かった印象、あくまでプロットに沿いつつ大きく逸れなければ良し的な非常に緩く自由度の高い現場。それでいて少ないテイク数でもって短時間で撮り終えるスタイルは卒業後も健在、鮮度命/感性主導と言えば格好良い。必要十分を突き詰めた結果限りなく「無声映画」に近付くケースもあって。

到達点としての『GreteL』と、その先の景色。

あくまで8mmの映像世界に主導権を握らせて、どこまでも台詞は補足的に。そんな意識が結実した作品が先述の監督作『GreteL』だったと思ってます、しかし年齢を重ね観返してみると要所に粗が目立つ。学生当時の最適解は、こうも簡単に覆されるものか。しかしあの頃の青さ/カサつきを残しつつ、その延長線上で本作を紡いでいきたいといった意識も一方ではあって。

事あるごとに学生時代を「人生のモラトリアム」として切り取ってきた作品の集大成ですから、ある種侵されざる聖域。そこにアラサー/オバサー世代の人生訓/死生観がプラスされることで生まれる新たなレイヤー性、本作のテーマはそうした「ありのままを映し出す」点にあるのだと認識していて。とはいえ一向に見えない作品性、もう少しだけ与太話いいっすか。

文字情報だけの空虚な会話≠立体的な映画制作。

SNSやメッセージアプリってやっぱココイチの場面に不向きだよなって話、顔と顔を突き合わせてこそ映画制作って成り立つものなのですねえ。全体に送信→不通→結局個人宛てに連絡するという二度三度手間に始まり、細かな認識の齟齬やズレ、そして言葉では言い尽くせぬニュアンス。各々好き勝手言えてこそ複層的な作品が生み出せるというもの。

物理的心理的障壁が無意識に形作る「文句ばかり言うおじさん」像みたいなものとの葛藤、あくまで主体的に「自分ならこうするよ」と提示すべき場面でそれが叶わないもどかしさ。昨今のコロナ禍が生み出した非対面型の社会は、例えばこうしたクリエイティブな場面で手枷足枷に。そんなファクターすら作品性に投影できるかもしれない、主宰はこんな時こそ楽観的です。

あの後、ビデオ通話形式の臨時会議が催され。

主宰は夜勤前バッキバキのテンションで出先から参加。記念すべき第一稿が上がってきたということで、カメラマン兼演者、演出家兼演者と監督三人が再び集結。12月中旬の撮影に向け物語/人物設定のブラッシュアップをば、勿論乳飲み子のパパはベビーの夕食に合わせ離席。理想的なケツカッチン、主宰はそこから夜勤に出かける。新作映画という高モチベを小脇に抱え。

…となる予定でした。悪い予感的中という方も大勢おられるはず。第一稿を仕上げた仲間の第一声は「本当に面白く撮れますかね?」表情が冴えない。そこからまたゼロベースで新たな作品イメージづくりに入るが結論は出ず、翌日、もう一度集まることに。これだから「モノづくり」はやめられない、夜勤明けでバッキバキの目を擦り再びのビデオ通話へと望んだのでした。

(次回へ続く)

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?