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障害を持って生まれる人の魂は美しい話。スピリチュアルな理由に感動!

今日24日から東京パラリンピック2020が開幕しますね。

東京オリンピック2020開幕前には、小山田圭吾氏のいじめ問題での炎上がありました。

想像を絶するような酷い話で、とても憤りを感じました…そんな人間がオリンピックはまだしもパラリンピックへの楽曲提供だなんて、到底あり得ない話ですよね。

実は、障害を持って生まれる人には、スピリチュアルな理由があるんです。

ということで今回は、東京パラリンピック2020の開催にあたり、「障害を持って生まれる人の魂は美しい」についてお話していこうと思います。

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人は生まれた姿を選んで生まれてくる

障害を持つ人は、手足が不自由であったり、目が見えなかったり、耳が聞こえなかったり、知的な障害があったり、人生の途中で障害を負ってしまったり…と様々だと思います。

スピリチュアル的には、生まれる国や住む場所はもちろん、どのような姿・身体で人生を生きるかも自分で決めて生まれていると言われています。

自分で生まれる姿が決められるにも関わらず、障害を持つ人は自ら重たい身体を選んで生まれて来ています。生まれる前から、人生のあらゆる場面において、不自由になることが分かっているのにです。

なぜ彼らは、自らハードルが高い状況を選ぶのでしょうか。

一般的に見て、困難で大変だと思われる状況でも、障害を持つ人には、それを乗り越えられるだけの魂の力量があるからです。

ですので、障害を持つことを選んだ魂を持つ人は、社会的には弱い立場かもしれませんが、魂のレベル的にはとても高く美しく、神様に近い崇高な魂であると言われています。

スピリチュアルが好きな人は、一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

これらのことから、スピリチュアル的には、障害を持つことを選んだ魂はすでに何万回もの転生を繰り返しており、魂の修行の最終段階にいる魂だと言えます。

江戸時代から戦前までは、このようなスピリチュアル的な概念が浸透していたそうで、古来の日本は障害を持つ人に対して温かい国だったようです。

実際、戦争で手足をなくされたり障害を負った兵隊さんに対して、一般の人よりも多く年金のサポートがあったり、職業を教えたり、国を挙げて社会復帰を手伝っていたそうです。

と同時に、スポーツもやっていこうということで、この頃からパラリンピックの種目に挑戦していたそうで、当時の日本はパラリンピックの最先端を行っていたようです。

また、江戸時代では、目の見えない人は三味線弾き(古くは琵琶法師)やあんまさんとして職に就いていたそうです。

このように、障害を持つ人に対して社会復帰への手厚いサポートをする国の背景には、上述したスピリチュアル的な理由があったということです。

小山田圭吾氏の炎上に話を戻しますが、現在なら、例のインタビューが雑誌に掲載されていること自体、とんでもないことだと思いませんか。この当時は、問題視されなかったことが信じられませんよね。

それに比べると、現在は一昔前よりは、温かい風潮になったんだなと感じます。

でも、戦前の日本人の高い精神性と比べるとまだまだだな、と思うので、個人的に上記のスピリチュアル的な理由が、また現代日本に浸透すればいいなと思っています。

東京パラリンピック2020での、日本人選手の活躍が楽しみですね😊

最後までお読みいただきありがとうございました!

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