#3 毒親のはじまり
幼少のころ
私は幼少の頃、極度の人見知りだったらしい。
親戚の家に預けられた時、一言も口を聞かずに夕方まで玄関から動かなかった、という話をよく聞かされた。
トイレも言えずに何も食べずに動かなかったようだ。
今はどちらかというと社交的なので、友人知人にこの話をするとかなり驚かれる。
たしか同世代の従兄弟もいたはずだ。
大人も子供も他人は信頼できなかったということなのか。
この頃の記憶はほぼないので、この異常な人見知りは何がそうさせたのか分からない。
親との辛い思い出もないので、まだ毒親ではなかったはずだ。
小学生のころ
極度の人見知りは続いており、小1の担任からは「クラスで声を聞いたことがない、大人しすぎて心配」と言われてたらしい。
理由は分からないが、特に大人とは話せなかった。
友達は少ないがいた。その子も大人しかったので、きっと当たり障りなく大人しく毎日を過ごしていたと思う。
自己肯定感もないどころかマイナスだったと思う。生まれつきの性格なのか、何かがそうさせていたのかは今となっては分からない。
毒親誕生
小3の夏休みに東京から地方へ転校した。人見知りは続いていたため、転校は恐怖でしかなかった。
転校初日、学級委員の投票があった。
東京からきた転校生が珍しく面白かったのだろう。なんと投票で一番になってしまい学級委員になってしまった。
勉強も東京では目立たない方だったはずだが、地方に来たら、勉強が出来る子の立ち位置になっていた。おそらく授業の進度の違いだけだったと思うが、夏休み明けのテストはどれも満点だった。
学級委員で勉強ができる東京から来た転校生---
一気に私に注目が集まった。
先生、クラスの子達からやたらと話かけられ、ちやほやされる、という体験を味わった。
この体験で、自己肯定感が芽生えてきたのだと思う。この頃から、親に対して自分の意見を言えるようになってきた。
しかし、これが毒親を生み出すことになってしまったのだ。
私が自分の意見を言った途端・・・病的にプライドが高いあの人は悪魔になった。
ヒステリックに叫び、延々と暴言を浴びせ続けられた。文字にするにはおぞましく、狂ってしまったのかというほどに暴言は続いた。
止め方も戻し方も分からないし、体の大きさも違うし、敵うわけがない。たかが10才の子供には成す術なし。ひたすら終わるのを待つのみだ。
まだ10才だと一人で生活できないから、家を出ることもできない。
できるだけ悪魔にならないように、顔色を窺いながらいい子を演じた。でもまだまだ子供、失敗しては悪魔にやられる、の繰り返しだった。
こんなことが続くと、私が悪いのかなと錯覚してくる。でも学校に行くと、みんなが私の意見も受け入れて認めてくれる。
・・・どっちが悪いの?
ある日、親同士が喧嘩をした夜、あの人は悪魔のまま私の部屋にやってきた。ベッドで寝ていた私を引きずり下ろし、部屋から追い出された。
仕方がないからリビングの床で寝た。
翌朝は普通の人に戻っていたが、もちろん謝る訳がなく、何事もなかったかのように接してくる。
あんな大人にはなりたくない、なっちゃいけない。ようやく悟った。
でも10才の私は無力だ。
一日も早く一人で生活できる力をつけよう。強くなって脱出しよう。
小3で人生の目標が出来た。
気付き①
あの人のことを「母親」、「お母さん」と書き表すことが辛い。苦しくなる。
私も「母親」だからだろうか。同じくくりにされたくない、属したくないという拒否感のようだ。
これからは「あの人」と書かせてもらう。
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