さくら

毒親と絶縁して30年。自力で毒親から逃れて幸せな人生を過ごしていたところに毒親が危篤の…

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毒親と絶縁して30年。自力で毒親から逃れて幸せな人生を過ごしていたところに毒親が危篤の知らせ。どうすべきか---。 気持ちを整理するために生い立ちを綴ろうと思う。”いま”毒親に苦しんでいる人へ、負の連鎖は断ち切れることも伝えたい。 毒親育ちでもできた”普通”の子育ても書きたい。

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  • 毒親から逃げましたが何か?

    毒親と絶縁して30年。自力で毒親から逃れて幸せな人生を過ごしていたところに毒親が危篤の知らせ。どうすべきか---。 気持ちを整理するために生い立ちを綴ることから始めました。答えに辿り着けるか見守っていただけると嬉しいです。また、”いま”毒親に苦しんでいる人へ負の連鎖を断ち切れた人がいることも伝えたい。親は変えられないけど自分は変えらることを。

最近の記事

#20 毒親と言う言葉に救われた話

「毒親」という言葉 毒親という言葉がいつから言われるようになったのか検索してみたら、日本ではここ10年ほどらしい。 毒親の定義は、子供への過干渉、支配管理、激しい暴言--- まさにうちの親のことだ。しっくりくる。 あの頃、毒親と言えたら 私が子供の頃、40年も前なので毒親という言葉はなかった。 なので、自分のおかれている状況が何なのか、理解できずに苦しんだ。 虐待という言葉はあったが、虐待はいいすぎ?という違和感があって。おそらく虐待のイメージが悲惨すぎたのだと

    • #19 毒親。子供にとっては祖母

      私は子供が二人いる。 私の毒親は、子供にとっては祖母。 子供たちは一度もあの人に会っていないから被害を受けていない。なので子供たちにとってあの人は毒祖母ではない。ただの祖母だ。 子供たちには小さい頃、ママのママはどこにいるの?と聞かれたことがある。 それこそ小さい頃は、遠くにいるから会えないんだ。とごまかしてきた。 幸いにも夫の両親は健在だったので、祖父母に可愛がってもらうという経験があったおかげで、だいぶごまかしてこれた。 上の子が中学生になった頃だったと思う。

      • #18 毒親が危篤② いま思うこと

        毒親と絶縁して30年以上--- ここ数年は親の存在を思い出すことは、ほぼなかった。 憎しみも怒りもない。何もない。無感情。 むしろ存在自体が無。 私の人生において、全くの必要のない存在になっていた。 ここまで無になれるものなんだ。 無感情の自分を冷たいとも思わない。それすら何とも思わない。 それだけいま、満たされているのだと思う。 確かにたいした欲もない。十分幸せだ。 それなのに--- なぜ、毒親が危篤と聞いて、動揺したのだろう。 死んだらもう二度と会えないから

        • #17 毒親育ち。自分を好きになる。

          私は自分が好きだ。大好きだ。 自信を持って断言できる。堂々と大声で叫べる(叫ぶな) こう言うと、すごい自信家だ、とか、自分のことパーフェクトだと思ってる、と勘違いする人もいるが、そういうことではない。 ダメなところなんて沢山ある。 だらしないところもあるし、うっかり物忘れもするし、仕事とか行きたくないとサボることもあるし、家事だって出来るだけやりたくないし、数えだしたらきりがない。 そんなダメなところもひっくるめて、自分という人間が好きなのだ。 いつからそうなったの

        #20 毒親と言う言葉に救われた話

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        • 毒親から逃げましたが何か?
          19本

        記事

          #16 毒親育ち。世間の常識と戦う②

          常識② 実家は頼れるところ これは妊娠、出産、子育てにおいて戦い続けなければならない世間の常識。 里帰り出産した 産後、実家の親が手伝いにきてくれた 帰省した、子供を実家に預けた、お泊りにいってる じいじとばあばが何かしてくれた、どこか行った こういうママ友との会話は日常茶飯事。 世の中、幸せな恵まれた家庭に育った人が多いということを目の当たりにする。眩しくて羨ましくなる。 何度も言うが、恵まれた家庭に育った人が多いことは良いことなのだ。頼りたいと思える親がいること、

          #16 毒親育ち。世間の常識と戦う②

          #15 毒親育ち。世間の常識と戦う①

          常識① 親は大事にするもの これはもう毒親育ち全員が戦っている世間の常識第1位だと思う。 どんな親だろうが親は親。親は大事にするものだ、と考える人たちのなんて多いことか。 それだけ幸せに育ってきた人が多いということかもしれない。それはそれでよいことだが。 世間は悪気もなく、親は大事にしなきゃ、と平気で言ってくる。 1人で大きくなれたわけではない、育ててもらったんだから。親は大事にしなきゃいけないんだよ。と。 これが大きな間違いだ、と声を大にして言いたい。 自分で産

          #15 毒親育ち。世間の常識と戦う①

          #14 毒親育ちが子供を産むこと

          葛藤 もし子供を産んだら、私はあの人と同じことをしてしまうのではないか。 毒親はおそらく自覚はない。自分が正しいと思っているから。 私も気付かないうちに同じことをしてしまうかもしれない。 歴史は繰り返してしまうのか。 負の連鎖は断ち切れるのか。 私は専門家でもない。 大学では別の学問を学んだし、子育て・親子関係に関してはド素人だ。自分の経験、つまり、毒親に育てられた経験しかない。 普通の親子関係を知らない。 普通の家庭を知らない。 何が普通? 社会人になって毒

          #14 毒親育ちが子供を産むこと

          #13 毒親に人生を壊されてたまるか

          目標を決めた 小3の時、毒親から逃れるためにどうすべきか考えた。 1人で生きていく力をつけて家から脱出する--- 私はこの目標の実現のために、最短の道を考えた。 子供は無力だ。 生きて行くにはお金もいる。 小学生では働けないし、家も借りられない。 家を出たとしても、暮らせるためのお金を稼げなくてはならない。 お金を稼げるようになるには、大学を出た方がいいはずだ。 特になりたい職業はなかった。 でも女が一生一人で生きて行けるような仕事についた方がいい。 できるだけいい大

          #13 毒親に人生を壊されてたまるか

          noteを始めて2週間。100スキ、ありがとうございます。とても嬉しいです。

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          #12 辛い時に試してほしいこと

          毒親の暴言、脅迫で辛い時間が多かった学生時代。 泣くのも疲れて立ち上がれない、でも学校に行かなきゃ、、そんな時に私が救われた方法です。 鏡の前で口角を上げる---  そう、作り笑顔を作るんです。 その瞬間、ふっと気持ちが軽くなります。 自分ってこうやって笑えるんだ。笑ってる顔が増えるといいな。鏡を見ながら笑い泣きすることもありました。でも不思議なもので、ふっと気持ちが軽くなって切り替えられるというか、よし、って思えるようになりました。 今なら、スマホのカメラに自分を

          #12 辛い時に試してほしいこと

          #11 毒親との絶縁

          自立したのに 大学生までは、親に学費や生活費を出してもらうために、縁を切るという選択肢はなかった。 どうにか耐え忍び、ついに私は小3からの目標であった社会人になり、自分のお給料だけで生活ができるようになった。 これであの人に何を言われても相手にしなくていい。強気に出れる--- 私が社会人になってもあの人の過干渉、暴言は変わらなかった。 でも、あの人からの留守番電話もメッセージが暴言になろうと脅迫になろうと、折り返しは最低限しかしなかった。家にきても追い返した。 自

          #11 毒親との絶縁

          #10 毒親の進化③

          前回からの続きです。 怒鳴られる--- そう覚悟して車に近づいた私だったが、あの人は意外にも満面の笑顔で車から降りてきた。 「あがっていい?」 断る選択肢はないのに敢えて疑問形で言う。私が受け入れた形を取りたかったのだろう。 あの人は私の部屋に数日いた。 私は普段通り大学やバイトに行っていた間、あの人は部屋の中を漁っていた。大学の友人の情報が欲しかったのだろう。 私も悪魔がいつか来るだろうと、出来る限り手掛かりは残さないようにしてはいたものの、情報は盗まれていた。

          #10 毒親の進化③

          #9 毒親の進化②

          悪魔の家から脱出 大学生のときは一人暮らしをしていた。 小3のときに、一人で生きて行く力をつけて悪魔の家を脱出する--- そう決めてから私は用意周到に計画した。 パートで働いていた割にあの人は羽振りが良かった。お金を持っていることは早いうちから知っていた。後で知ったが株で儲けていたらしい。バブル時代の恩恵だ。 また、あの人は自分の見栄のためにはお金を惜しまない性格ということも分かってきた。 名のある大学に行けば喜んでお金を出すだろう、たとえ遠方でも--- 私の読み

          #9 毒親の進化②

          #8 毒親の進化

          毒親の標的 私には兄弟がいる。 なぜか、あの人が異常な暴言を吐くのは私だけだった。 兄とあの人はけんかになっても、あの人が折れる。そもそも異常なほどの暴言も吐かない。男だから力で敵わないと思うのだろうか。 弟のことは溺愛していたので、何をしてもかわいい、かわいい、と言っていた。弟が私と同じことをしたとしても、一切怒らない。むしろ褒める。 私は同性だからなのだろうか。 遠慮なしの言いたい放題。ちょっとでも口ごたえすると、これだから女の子は可愛くない、からの暴言となる。

          #8 毒親の進化

          #7 毒親の生い立ち

          毒親の親は毒親 よく見かける言葉だ。 私の祖母である、あの人の親も毒親だったのだろうか。 私が知る祖母は、あの人の継母だったそうだ。 いつ祖父と再婚したのか分からないが、継母としての悪口はよく聞かされたので折りが合わなかったようだ。 あんた達を産んだ時も世話してもらえなかった。 周りの妊婦さん達は実のお母さんが世話をしてくれてるのを見て、涙が出たわー寂しかったわーと泣くことがよくあった。 決まって最後は、継母に育てられたのにちゃんとした大人に育った。と言っていた。

          #7 毒親の生い立ち

          #6 毒親との戦い

          反抗期の勘違い 思春期に大人に憎しみを抱くようになり、大人のずるさを目の当たりにした私は勘違いした。 大人は自分が一番に生きてる。なんで私だけがあんな親に我慢しないといけないの? せっかく小学生の頃に、あの人を悪魔にさせないようにと見出した技「口ごたえをしない」が出来なくなってしまった。 例えば、人の悪口。 あの人は普段から、先生や近所の主婦、父親の悪口を言っていた。それを黙って聞いていることが出来なくなり、そんなことはない、いい人だよ、とか、聞きたくない、しまいには

          #6 毒親との戦い