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#11 毒親との絶縁

自立したのに

大学生までは、親に学費や生活費を出してもらうために、縁を切るという選択肢はなかった。

どうにか耐え忍び、ついに私は小3からの目標であった社会人になり、自分のお給料だけで生活ができるようになった。

これであの人に何を言われても相手にしなくていい。強気に出れる---

私が社会人になってもあの人の過干渉、暴言は変わらなかった。

でも、あの人からの留守番電話もメッセージが暴言になろうと脅迫になろうと、折り返しは最低限しかしなかった。家にきても追い返した。

自立したんだから、とにかく放っておいてほしかった。

しかし、やはり私の考えは甘かった。

ついにあの人は会社に電話をかけた--- 娘と連絡がとれないんです。と。

人事には平謝りだ。恥ずかしくてたまらない。
私が自力でつかみとった世界へ、平気で土足で踏み込んでくる。
同期、上司にも毒親だなんて話していない。

普通の家庭で育った人たちは、親を大事にするのが当たり前という常識。毒親の話をしたところで通じない。

会ってあげなよ。連絡してやれよ。 

それがまた私を追い込む。私が悪いの?

もう逃げられないのかな。弱気になる。絶望感。分かってくれる人もいない。

葛藤

あの人と縁を切る。もうこれしかないと思ったが、決断まで悩み苦しんだ。

一生会わないという覚悟はあるのか。親不孝ではないのか。

まわりに毒親育ちがいなかったので、親不孝感に苛まれる。

なんやかんやで大学まで出してもらえた。感謝はしてる。普通の時は普通の親だ。私が悪いのではないか。もしかしてもう悪魔にならないかもしれない。

でも苦しい。息苦しい。辛い。見えない恐怖。

この先、結婚だって出産だってしてみたい。でもそれも干渉されるの?夫になる人が、未来の私の子供が、私と同じ目に合ったらどうしよう。殺意が芽生えてしまうかもしれない。

自問自答を繰り返し、私が出した答え。それは---

自分の人生は自分で守る。

自分の人生を自分らしく過ごすために、一人で生きて行く力をつけてきたのではないか。やっとそこに辿り着いたんだ。

これからは自分一番に生きていこう。

そう決めたら、親不孝と言われようが、周りはもうどうでもよくなった。
10年以上苦しんできたんだ。それ以上に幸せになる権利はあるはずだ。

あんな人のせいで自分の人生を狂わされてたまるか。絶縁して、たとえ不幸な人生になったとしても全部自分で選んだ道なら後悔なんてしない。

毒親のせいで自分は不幸になった、なんて思いたくもない。言いたくもない。あの人のせいにすることは、あの人の思う壺じゃないか。まっぴらだ。断ち切るんだ。

一人で生きて行く力をつけて脱出しよう---

小3の時に決めた夢をようやく叶える時がきたんだ。気持ちが整理できたら、毒親から少し解放された気がした。

絶縁へ

気持ちが決まると行動は早かった。
私が悪魔と絶縁するためにしたことは3つだ。

①転職した

迷惑をかけた会社、同僚、上司はいい人だったが、またいつ電話がかかってくるかもしれない恐怖から逃れるため、会社は辞めた。新しい連絡先は伝えずに。

②引っ越しした

転職先を決めた後、縁もゆかりもない地域に引っ越しをした。住民票は閲覧制限をかけて、転居先が調べられないようにした。

③連絡手段は残した

引っ越しと同時に自宅の電話番号は変えた。当時は携帯電話はまだない。
でも、あの人は完全に連絡手段を絶つと方々に何をしでかすか分からなかったので、兄弟のみに新しい連絡先を伝えた。そして、兄弟からあの人へ、「俺らがさくらの連絡先を知っているから連絡したい時は俺らに言うように。」ということを説明してもらった。

さすがにこの頃には、兄弟も、あの人が私にすることがおかしい、と分かってくれるようになった。

大学生の頃までは、ただの親子喧嘩くらいにしか見えなかったようで、いちいち反応しなければいい、とか、仲良くやれよ、とか言われることもあった。異性には分からないと私も諦めていた。

友達にお金を渡して支配しようとしたことや、会社に電話された話をしたら、やっと関係性を理解したようで、あの人とだけ一生絶縁したい、と気持ちを伝えたら分かってくれた。

あの人は、可愛くて仕方ない弟の言うことは素直に聞く。弟に嫌われるのが怖いのだろう。私にしてきたことがバレるのも怖かったはずだ。
私の読みはあたり、絶縁後はピタリと連絡が途絶えた。

絶縁後

晴れて毒親との絶縁に成功した私。
あれから30年、一度も会っていないし、連絡もとっていない。

一度、弟からあの人からの手紙を手渡されたが、読まずに捨てた。

冷たいかもしれないが、私はその頃子育て真っ最中。
自分が出産・子育てを経験したことで、あの人が私にしたことが不思議でたまらず、全く理解もできず。なぜ?あんなことができた?と。

手紙を読んだところで理解できるわけない、逆に苦しむだろうと。
なので、自分を守るために手紙は捨てた。正しかったと今でも後悔はない。



毒親育ちが出産、子育てとどう向き合い、どう乗り越えたのか。

負の連鎖を絶つためにしたこと。

どのように自己肯定感を高めたのか。

次回から、このあたりを振り返ってみようと思います。

毒親が危篤。この答えにはまだ辿り着いていない---



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