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【エッセイ】鏡花水月‥。儚くも強く‥

今年はじめに引いたおみくじは‥
小吉で‥。
あぁ。そりゃそうだ。
大吉を引きたいという欲をあんなに惜しげもなく露にしてしまったのだから。
神様がそんな私を見過ごすハズはないと自分自身に言い聞かす。



去年から、もうそれは10月11月ごろからずっと今か今かと‥島根県の美保神社えびす様の総本宮でおみくじを引くことを、なにより楽しみにしていたのだ。見えない箱の中で金、黒、桃、赤色の四種類の鯛が眠る中、釣糸を垂らし引くこのおみくじが私の毎年の恒例となりつつある。


『一年安鯛みくじ』と呼ばれる美保神社で大人気のそのおみくじは、お察しの通り金の鯛が超レアな物。昨年2022年のお正月に初挑戦ながら見事にその鯛を釣ったものだから、昨年一年は事あるごとに思い出しては、次も必ず!と意気込んでいた。



しかし今年のお正月、四角い箱に垂らした竹竿をドキドキしながら引っ張りあげたその先で
チラッと顔を見せたのは一番数多く入っていると言われる赤い色の鯛。
そしてその中身は末吉と書かれた細長い紙が入っていた。

 

昨年引いた大吉の金の鯛みくじと
今年の赤い鯛みくじを並べ、少しばかりガッカリしながらもそれでもどこか余裕でいられたのには理由があった。

昨年末、一年を振り返った際、何か大事なことをやり残している気がした。七十二候は無事に
ここまで書いてきたし、念願だったカメラも購入した。仕事もそれなりに順調で充実していた一年だった。それなのにこのままでは終われない気がしたのだ。


引き出しの奥にしまってある小さなノートを出し、おもむろにパラパラとめくる。
書くことは好きだが、ここ数年は画面上に文字を打つことばかりで、仕事以外でペンを持ち白い紙に文章を書かなくなって久しい。
まさに3日坊主で止まっていたが、一年前に確かに新年の目標と題し書かれた言葉がそこに
残されていた。


いくつものやりたいこと、叶えたいことが
箇条書きに並べられたその中に
『ライター』という文字が目に入る。



そう、私はいつの頃からか山陰の良さを、このふるさとの温もりを県内外の人々に、記事や写真を通し伝えたいと思うようになっていたのだ。
現にこの詩的な記憶のnoteの中でも、折に触れ
度々記事にしてきた。
それでもその中で行き当たった先は、悔しいけれど自分の無力さであった。
もっとこんな風にしたい。あんな風に書きたい。上昇したい気持ちはあるものの、思うようにできない葛藤のようなものが心に薄いフィルターをかけていたのだ。


そんな思いを抱えながら、年の瀬が迫る12月の終わり。気まぐれにGoogle検索した先に
思いがけない出逢いを見つけたのは、きっと
偶然ではなく必然だったと思う。


これだ!と思った。今の私に必要なものだと。
欲しているものだと思ったのだ。
心から沸き上がる衝動ほど、自分を突き動かすものはない。気付いたら私は、山陰では名の知れた、ある情報Webサイトにライター希望と書きnoteのリンクを貼りメールを送っていた。



行動的ですね。と言っていただくことが多いのですが、きっとそれは私のこういうところを見ての言葉だと思う。
思い立ったが吉日を本気で信じ本気で実行してしまうのだ。そしてその行動が運を引き寄せることを過去の経験から知っていた。


キンと冷え込んだ朝の気温とは対象的に
暖かな陽射しが優しく降り注ぎ、小春日和となった1月某日。とあるカフェ。
私の目の前には、某Webサイトをひとりで立ち上げ運営されている社長の姿があった。
東京からUターンされた後、山陰の良さを広げたいという思いからこのWebサイトを立ち上げたという。
彼の話はとても興味深く、その志に私はひどく感銘を受けた。これから始まる新しい事に
不安よりも遥かに大きな希望がそこにはあった。そしてそれは、ライターという今の自分がやりたいことに一歩近付いた瞬間でもあったのだ。


私にとって、夢とは「叶っていく」という他力本願なものではなく「叶えていく」という自発的なものだ。
待っていてチャンスがやって来てくれたなら
そんな嬉しいことはないのだが
どうやら待てど暮らせどやって来そうにない。
それならばやはり自分で掴みに行くしかないのだ。



12月の終わり、あのままでも時は流れていったし無事に年を越えることはできた。
それはそれで充分であったし満ち足りていた。それでもやはり、あの時動かなければ
この今は無かった。この記事もまったく別のものになっていただろう。


まだ空白のままのWebライターとして一本目のまっさらな画面。 
そこにどんなタイトルを選び、文字を連ね
写真を添えるのか‥
ゼロから生みだす喜びは、何物にも代えがたい
高揚に包まれる瞬間だ。
夢が夢で終わらぬよう、ここからまた一歩一歩‥。確かに形にしていけるように刻んでいきたい。


どんな作品に対してもそうであるように
不器用な中にも熱量を。
決められた枠の中にも体温を。



それはまるで、私の人生の縮図のようで
私そのもののようで、時に照れ臭さを感じながらも『書くこと』と向き合い生きていこう。


今年はじめに引いたおみくじは‥
小吉で‥。
鏡花水月‥。この手ですくってもすくっても
零れ落ちる、まるで水面に浮かぶ月のようだ
と書いてあった。


それでも思う。
きっと本当に大切なものだけは指の隙間をすり抜けたりしない。
この両手にわずかでも必ず残るから‥。
そしてそこに残ったものこそが、今の私に必要なものなのだ。
でもそれが分かるのはきっと‥
まだもう少し先のこと。



今はまだ寝ぼけ眼で空を仰ぎ
冬の空に颯爽と射し込む太陽の眩しさにただ
目を細めているだけ。静かな夜に恍惚と輝くその月をこの瞳に映すことすらまだ未知だ。



今より少しだけ前へと進み
その水面に映る月に出逢う日が来たなら
冷たい水にこの手を伸ばし、そっと浸しながらその月を追いかけよう。


いつか必ず辿り着く。
儚くも強い幻想に浮かぶ月の夜に。































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