『七十二候』桐始結花‥きりはじめてはなをむすぶ
『桐始結花‥きりはじめてはなをむすぶ』
7月23日から27日頃
二十四節季では大暑となり
一年で最も暑い時期となりました。
桐の花には「高尚」という花言葉があるように
それを表すかのような
美しい藤色の花を咲かせます。
4月から5月に開花する桐の花は上空高く
樹木の高さは最大15メートルになる木もあるのです。
高いところで、まっすぐ伸びた幹の枝に上向きに花が咲くため
咲いていることさえ気づかれないことも。
実際わたしも春に咲く薄紫の花といえば
藤の花ばかり浮かんでしまい
桐の花を目にする機会もなかなかないまま
今年の春も過ぎてしまいました。
桐の花といえば500円玉の
表に大きく描かれていたり‥。
古来から桐花紋として
また、日本国政府の紋章として
用いられていたりと格式の高いもの。
ひっそりと遠く手の届かないほど
空高く‥。
そのイメージは高尚という花言葉に
ぴったりと当てはまりますね。
桐は大暑のこの時期、固い実を付け
また翌年に咲く花のつぼみを付けます。
その後、暑い夏を越え
厳しい秋冬の寒さに耐え‥
春になればまた
美しい花を咲かせるのです。
「桐始結花」‥とは
花のつぼみがつきましたよ。
来年の花を結びましたので
春まで待っていてくださいね。
そんな可愛らしい
意味が込められているのかもしれません。
花が開花することだけが
クローズアップされ
表面に取り上げられることも多い中
そんな風に来年に向けて
「花を結ぶ=つぼみ」にも目を向け
雨や風にさらされ冬を乗り越え‥
一年かけて成長する姿にもきっと大きな意味を感じ七十二候に取り入れてくれた昔の人に
わたしは感謝したくなるのです。
「大暑」「酷暑」「炎暑」「猛暑」「劇暑」‥。
「暑」という漢字にさらに
大、酷、炎、猛、劇‥と並ぶ漢字を眺めていると
それだけで‥うだるような暑さをイメージしてしまいますよね。
そんな時決まって
わたしの脳裏に浮かんでくるのは
公園のワンシーンで‥。
目を細めたくなるほど
ギラギラ照りつける太陽
ミーンミーンと止むことなく響く
セミの鳴き声
汗をふきふき足早に歩く
スーツ姿の男性や
きゃっきゃっと笑いながら
水遊びをする子供たちの姿
あー夏だなぁ‥を通り越し
あまりの暑さに、息苦しささえ感じる‥
その瞬間までも視覚を通しダイレクトに伝わってくるのです。
人は情報の87%を
視覚から得ると言われています。
聴覚7%、触覚3%、嗅覚2%、味覚1%‥。
感受性が強いわたしは
外界からの刺激を受けやすく
そして無意識に周りの人の心の動きや
感情をそのまま吸い込んでしまうところが
あります。
視界から入る景色も
耳から入る音も、手に触れる温度も
鼻から伝わる香りも‥
舌を通し味わう、そのひとときも
ひとつひとつ‥
ほんの些細なことさえ
心の奥深くまで浸透し‥。
それは時に
わたしを心から感動させてくれる反面
時に‥薄くて脆い心の境界線が
人の気持ちを敏感すぎるまでに感じとり‥
感情移入しすぎて
疲れ果ててしまうことも。
実は最近もそんなことがあり‥
ある出来事から
いろんな人のそれぞれの立場や考え
またそこから生まれる様々な感情を
その都度共感し、そして理解しようとし
自分のすべてで受け止めてしまったため
わたし自身のことではないのに
自分のことのように思い悩み苦しくなってしまいました。
どうしてこんなにも自分はこうなんだろうと‥
悲しくなったりもして。
こんなにも毎日‥
波打つような感情の中
些細なことなら流せたらいいのに‥
感情の揺れ幅少なく
いつも淡々と過ごせたらいいのに‥と
思ったりすることもあります。
しかし、その性格(性質)を自分自身で受け入れ付き合っていくしかないことも
分かっていて‥。
感受性が強いこと‥。
それはわたしを生きづらくさせる原因では
あるけれど
こんな風に文章を書き
詩を書くことを授けてくださった‥。
それはわたしにとって救いであり
支えでもあり、癒しでもあります。
もし同じように
感受性が強くつらい思いをしている人が
いるのならわたしもそうだよと伝えたい。
人の気持ちが痛いほど分かること
寄り添える力には何か意味があり
そしてそこから得られるものが
きっとある‥。
きっとあるから‥。
去年の終わりに
こんな文章を書きました。
もしよかったら
こちらも読んでみてください。
七十二候から
かなり話が逸れてしまいましたが‥
最後まで読んでいただき
ありがとうございます。
七十二候に使用している写真は
すべてphotoACからのものとなります。