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【エッセイ】時を編む‥。


玄関を出た瞬間の澄んだ空気を身に纒い
今日は右に行こうか
それとも左に行こうか‥。数秒だけ迷う。


右に行けば海があり、左に行けば駅がある。


ふと見上げると
3月初旬のこの時期を縁取るような柔らかな水色の空が広がっていた。

時間にすればほんの一瞬だがその脳裏には、
待っているであろう見慣れた景色が交互に浮かぶ。
んー今日は右かな。
そう決めるが早いか歩き出す。


自分の直感をいつだって信じている。



なんとなく‥としか説明できないような
感覚の部分。
インスピレーションとはまた異なるその場所は
情報が多ければ多いほど錯乱しがちだが
衝動的、感覚的なものから導かれるものこそ私の創作意欲を掻き立てるものはない。



突き動かされる何かが生み出す原動力ほど
強い力はないのだ。


道路を渡り細い小道を歩く。
ジャリジャリと小石を踏む靴の音がした。
歩けば海まで10分ほどだろうか。



数年前に、ここに越してから海との距離はさらに縮まった。
通勤時に見る朝の海面から
キラキラこぼれる煌めき
私はこの町をこよなく愛している。



壁を伝うように小さな葉っぱたちが
アートを描き
ブロック癖、電信柱を彩る。
どこを切り取っても作品になる。
自然が造り出す美。



今日も海まで辿り着けないかもしれないな。
数メートル歩いては足を止め
また歩いては足を止め、気になるものが目に入れば引き返してみたり。
海との距離は近づいては遠くなり
また近付いては横道に逸れたり‥。


いつだってそんな自分を楽しみながら
写真を撮る。



考えてみれば私の活動も
最初に思い描いていたものとは、別の方向へと今、歩き始めている。



数年前の小さなつぶやきが、いつしか詩になり
花の写真を中心に撮るようになり
そしてそれは写真詩となり‥。


その集大成として初めて個展を開き
そこにすべての力を注ぎ挑んだことで生まれた
脱け殻のような、燃え尽きたようなあの感覚。


なぜだろう。今でもその気持ちを上手く言葉に変えることができない。
味わったことのない虚無感のようなものが、私の心を支配し、もう書けない‥。
本気でそう思っていた。

でも、こうしてまた書いている。
そんな自分を心から嬉しく思う。
今、書けることが、楽しくてしかたないのだ。


これまで詩、エッセイ、日記の中で基本的に自分自身の心情を書いてきた。
同じ『書く』ことには変わらないのだが
今は自分自身ではなく、素敵な人や活動
美しい景色、残したいものなど
その良さを、その熱量を、想いを‥
書くことでより多くの人に『伝えたい』。
いつからか、そんな気持ちに変わったように思う。

今、山陰のとある新しいプロジェクトに感銘を受けたことをきっかけに
ライターとして記事を書かせてもらうことになった。


より多くの人々に届くように‥微力ながら
書くことで伝えたい。その一心で。


常にやりたいことを心に描き
アンテナを張ることで、自ずと道は開けるのかもしれない。ピンと張ったアンテナは今の自分に必要なものを見極めキャッチするのだ。


しかし時に、そんな私を試すかのようにアンテナは迷い道を与える。この先はこっちだろうか
あっちなのだろうか。
わからない。わからないけれど‥
悩むその過程すら、何かの導きに思えて仕方ないのだ。

行動も変わることで視野が広がる
考えも変わる。
現に私がそうであるように
人見知りの自分はどこへ行ったのか分からないほど
新しい出会いに心をときめかせている。そこから得られるパワーに大きな力をもらい、広がる世界に深く感嘆する。そんな風に。


玄関を出た瞬間の澄んだ空気を身に纒い今日は右に行こうかそれとも左に行こうか‥。数秒だけ迷う。


今日はこっちかな。あっちかな。
いつだって自分の道は自分で決める。
選択肢はひとつじゃない。
ゴールだってひとつじゃない。



迷いながらも歩き続け
欲しているものをこの手で掴みにいく。
その先に何が待っているのかなんてわからない。
きっと誰にもわからない。
だからこそ、生きることは楽しく
だからこそ、生きることは苦しいのだろう。






編集後記‥。

数年前に書いた詩に
こんな一文があります。

『一針一針‥心の傷を縫うように‥
一日一日を過ごしていく』

まるでチクチクと痛む傷をなんとか縫うように
痛みに堪えながら一針一針‥。
そんな風に毎日を過ごしているような
辛い時期がありました。


あれから時を経て‥今は
ひとつひとつ『時を編むように』生きている気がします。
どの時もどの時間も大事な一瞬一瞬。


時を編むように今ここに生きています。








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