『七十二候』蚕起食桑‥かいこおきてくわをはむ
『蚕起食桑‥かいこおきてくわをはむ』
5月21日から25日頃
二十四節気では小満となり、蚕が桑の葉を食べ始める頃となりました。
では、まず小満のお話から。
小満とは秋に蒔いた麦などの種がつく頃で
一安心するという意味があります。
農作物が無事に収穫できることは昔の人々にとって今後の生活を左右するとても大事なことであり、穂がつく様子を見て
あぁよかった。とりあえずは安泰だ。
とホッとし少し満足する‥。
そんな意味が込められているようです。
大満ではなく小満(=少しの満足)。
そこに何か意味がある気がしてなりません。
日頃から思っているのですが
何事も少し足りないくらいがちょうどぃぃのかもしれないと。
すべて満ち足りてしまうとそこから成長は難しく不十分だからこそ、その場所を目指し進めるのではないか‥と。
足りないくらいがちょうどいい。
焦がれるくらいがちょうどいい。
そんな風に‥まだ手にしていない
見えないモノを探しながら
そこに向かってひたすらに‥
進んでいきたいなと思うのです。
さて、ここからは
蚕起食桑のお話を。
蚕の一生はとても短く2ヶ月ほど。
しかし、その一生に大きなものを私たちに残してくれます。
何度も品種改良されてきたため
蚕は人の手がないと生きれなくなり
自分で桑の葉を取りに行くこともできません。
人からエサである桑の葉をもらい過ごすのです。とても食欲旺盛のため最後の一週間は夜中でも新しい桑の葉を食べ続けるようです。
お世話をするのも大変ですね。
そして蚕がさなぎになる時
身体の回りに白い糸を吐き出しながら
繭を紡ぎきれいな糸を生み出すのです。
蚕は糸を吐き始めてから終えるまで
途切れることのない一本の糸で繭を作ります。
その長さは約1200メートル。
そんな風に蚕が残してくれた繭は
まるで鶴の恩返しのよう。
人と蚕が織り成す物語のように
わたしには感じられるのです。
七十二候に纏わる話を書いている中で
とても難しく頭を抱えることもしばしば。
頭の中である程度構想を練り
日にちを分け、少しずつ少しずつ書いていき
書き上げてからも、何度も読み返し
手直しをし‥。
後から読むとうーんとなることもあり
文章を書くこと、伝えることの難しさと日々
向き合っています。
書くことで分かるなにか。
書くことで繋がる想い‥。
一度わたしは、とある理由から
この七十二候を続けることを諦めそうに
なりました。
しかしある方から
「あなたの言葉に癒されていました。」
とメッセージをいただき、わたしの方がその言葉に心救われる思いがしたのです。
続けよう。続けたい‥。。
そしてまたこうして書くことができました。
思い返せば詩を書き始めた頃もそうでした。
何気なく呟いた言葉に共感してくれる人達がいてくれたこと。
救われました。元気が出ましたと。
言っていただけたこと。
あれから随分経ちますが
それは今でもわたしの支えになっています。
送り続けた言の葉が誰かの心に届き
そして響き‥
いつしか自分の元へ戻ってくる‥。
誰かの想いとわたしの想いがリンクし
そこから何かを感じ
そしてまた何かが生まれる。
そんな瞬間を知っているから
これほどまでに
また書きたいと願うのでしょう。
今日も明日もこれからも
書くという繊細な作業に
心ゆらゆら揺らめきながら
ここに自分の生きた証を残すかのように‥。
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