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⑧FTMパンセクシャルの自叙伝
19歳~20歳
新宿・歌舞伎町のオナベバーで働いた。
高校時代にインターネットで出会ったオナベの先輩に誘われたからだ。
そこは歌舞伎町唯一のオナベのショーパブだった。
オープンしたてで、ダンスをするにはメンバーが少ないようだった。
僕はショーのポジションをもらってしまった。
つまり、僕がいないとショーは成り立たない。
週6、月曜から土曜、18時から1時で働いた。
1限がある時は6時
⑦FTMパンセクシャルの自叙伝
19歳
大学に進学。さすがに男性として社会生活を始めたかった。
大学には制服も何もない。
無理してスカートを履くこともなく、女性を演じることもない。
僕は大学には初めから「男性」という設定で通うことを決めていた。
それまでも私服であれば、たいていは男性と思われていた。
大学の出席を取るときでもうまく本名をごまかしていれば、なんとか男性で通るだろう。
なんて、大学生活がどんなものかよく
⑥FTMパンセクシャルの自叙伝
高校進学を控えていた。
定時制に進みたいと思った。
制服が嫌だったから
私服で通える定時制に進学したかった。
それに早く働いて、お金を貯めて、治療費を稼ぎたかった。
イイ加減、制服のスカートが嫌だった。
学校に私服で行って、隣の席の女の子好きになって
メアド聞いて、告白して、毎朝学校に一緒に行って、
みたいなTHE青春みたいな高校生活に憧れた。
僕が好きになる女の子は、
僕のこ
⑤FTMパンセクシャルの自叙伝
15歳 初めての「リアル彼女」
栃木に住む女の子と付き合った。
こないだの「インターネット彼女」とは違い、
今度はちゃんと会った。
中学生でお金がないから、
東京から鈍行を乗り継いで
栃木の宇都宮まで会いに行った。
初めて会う前から、
けっこうメールや電話のやりとりをしていた。
おばあちゃんの家だったら、
2階建ての戸建てで
2階の部屋は空いてるから、
初めて会う日も
そ
④FTMパンセクシャルの自叙伝
オナベの中学校生活
学校では、ジャージにいつも着替えていた。
いっつも学校指定の青ジャージ。
逆に制服を着ている日の方が不思議がられた。
先生に怒られて仕方なくスカートを履いてる時は
「あれ?何で今日スカート履いてるの?」
て聞かれるくらいだった。
髪もワックスでセットして、
スカートを履かずにいつもジャージ。
それだけで、あいつは何かしらの
セクシャルマイノリティーだってこと
③FTMパンセクシャルの自叙伝
13歳 性同一性障害だと気付いたときの話
TVを見て【性同一性障害】という言葉を知る。
インターネットで調べていくうちに、
もしかしたら自分はこれに当てはまるのではないかと思った。
それまではレズビアンという言葉しか知らなかったから、
もしかしたらそれなのかもしれないと思ってた。
でも僕は「障害」なのだと思った。
【自分は病気なんだ】と思ったら、世界が変わった。
周りにいる全
②FTMパンセクシャルの自叙伝
12歳
制服を着なくていい私立に進学しようとするが、頭脳とお金が足りなくて断念。
中学進学となるとワクワクするのが普通だと思うが
スカートを履くコト、ただそれだけが僕にとって屈辱だった。
中学生になったという自覚があったからか、
そろそろ「大人」らしくなりたかった。
「大人になる」ということは「女性らしくなること」なのかと思った。
まずはスポーツブラから大人がつけるブラジャーに変えて
①FTMパンセクシャルの自叙伝
僕には子宮がある。
決して喜ばしいことではない。
僕はこの子宮に悩まされ、一時は苦しい想いをした。
だけど僕は開き直った。
憎かったその子宮を利用してやることにした。
子宮を使って僕は幸せを手に入れる。
子宮を使ってSEXもするし、子どもも産む。
僕は完全に割り切って物事を考えることにしたんだ。
これは社会的に男性として生きることを望む、1人の女性の物語。
おなべ(体は女性、心は
FTM当事者が教える 治療に関する情報とカミングアウト方法
はじめに
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