③FTMパンセクシャルの自叙伝

13歳 性同一性障害だと気付いたときの話

 

TVを見て【性同一性障害】という言葉を知る。

インターネットで調べていくうちに、

もしかしたら自分はこれに当てはまるのではないかと思った。

それまではレズビアンという言葉しか知らなかったから、

もしかしたらそれなのかもしれないと思ってた。

でも僕は「障害」なのだと思った。

【自分は病気なんだ】と思ったら、世界が変わった。

周りにいる全員が敵だと思った。

この事実を知ったら、友達、家族、学校の先生

全員が自分から離れて行くのじゃないか、

目なんか合わせてくれなくなるんじゃないか、

当時の僕はとても不安になった。

トランスジェンダーのパス度のお話。

僕はネットで同じ仲間を探そうと思った。

当時流行った「前略プロフィール」というSNSを使って

同じFTMの仲間を探すのは簡単だった。

インターネットで出会った同じFTMの人たちは

男にしか見えない人から、

ボーイッシュな感じに見える人までたくさんいた。

LGBT業界の専門用語なもので、

いかに自分が望んだ性別で認識されているかの度合いをパス度という。

つまりFTMで男に見える人は、パス度が高い。

「男と女どっちなの?」って聞かれたりするとパス度が低い。

僕はインターネット上でパス度が高いFTMに出会うことで

自分のパス度を上げたいと思った。

カッコイイ服が着たかったし、

ピアスもワックスも、香水も

全て男らしくしたかった。

だけど、当時中学生の僕は

男らしい服装を揃えるだけのお金もなかった。

「男らしくなりたい」の一心で僕は万引きをした。

声を低くしたい一心でタバコも吸った。

万引きしたことで、

ちょっと良いワックスで髪をセットして、

髪も茶髪に染めて、ピアスも開けて、

男っぽい服も着れるようになった。

財布も靴も全て男らしいものに変えた。

僕はちょっとだけ、グレた。

この時期、母親が病気で亡くなった。

精神的に、かなり辛かった。

「ワルイコト」をして心の安定を保っていたように思う。

それにしては、人生取り返しのつかないほどの犯罪も犯さずに

「ちょっとだけグレた」だけで良かったと今では思ってる。

それはインターネットで同じ仲間を見つけたことで

前向きに生きれるようになった側面もあったからかもしれない。

性同一性障害の僕が初めてそれを乗り越えたときのお話。

FTMの人たちは、

どうやって家族、友達にカミングアウトしたのか

どうやって治療を進めていったのか

出会ったFTMの人たち全員に聞いた。

「オレは学校にお願いして男の制服着させてもらってるよ」

「親に話すのは勇気いるから、手紙でカミングアウトしたよ」

「定時制に通って、働きながら治療費貯めてるよ」

メッセージのやりとりや実際に会って、

どんなふうにカミングアウトや

治療を乗り越えているのか教えてもらった。

仲間との出逢いから、勇気をもらった。

** 14歳

インターネットで同じFTM(おなべ)の仲間を見つけて

話を聞くことで勇気をもらえたから、

初めて一番仲が良かった学校の友達にカミングアウトした。

カミングアウトした時はめちゃくちゃ泣いたけど気が楽になった。

あの時もし友達に受け入れてもらえなかったら、

自分をふさぎこんで、一生自分を隠してたかもしれない。

「花子は花子じゃん」って言ってくれたことがすごい嬉しかった。

今振り返ると、

たった14歳の僕がよくあの状況を乗り越えたと思う。

乗り越えることができたのは、

インターネットの存在のおかげで自分と同じ仲間を見つけることができたから、

同じ仲間を見つけたから、友達にカミングアウトをする勇気を持てて、

その友達が僕のことを受け入れて、理解してくれたから。

自分がトランスジェンダーであることに悩んだ思春期の僕は

「インターネット」と「友達」のおかげで前向きになれた。

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