⑦FTMパンセクシャルの自叙伝

19歳

大学に進学。さすがに男性として社会生活を始めたかった。

大学には制服も何もない。

無理してスカートを履くこともなく、女性を演じることもない。

僕は大学には初めから「男性」という設定で通うことを決めていた。

それまでも私服であれば、たいていは男性と思われていた。

大学の出席を取るときでもうまく本名をごまかしていれば、なんとか男性で通るだろう。

なんて、大学生活がどんなものかよく知らない僕は甘く考えていた。

入学式には男性物のスーツを着て、ネクタイを締めて出席した。

大学って、クラスもないし、バレないでしょ。

これから夢のような大学生活が始まるとおもっていた。

入学式当日、大学の大体育館にパイプ椅子がズラリと並べられていた。

学長とか偉そうな人の話を聞いた後、

最後に配られたのは、ピンク色のB4の紙だった。

その紙には裏表に名簿が載っていた。

全員のフルネームが載ったクラスごとの名簿が配られたのだ。

僕の大学は教育関係だからか、クラス分けがあった。

クラスに分かれてそれなりに学級委員などを決めることが

うちの学校の伝統らしかった。

入学式が終わると、クラスごとに教室に集まり、点呼をとった。

これから僕はフルネームでクラスの全員の前で呼ばれる。

男性もののスーツを着てネクタイを締めているのに、

明らか女の子らしい名前である「花子」と呼ばれる。

心臓はバクバクだった。

夢の大学ライフはもう終わりだと思った。

「田中花子さん」

僕のフルネームが呼ばれた時、

僕はめちゃくちゃ気まずそうな顔をして控えめに手を挙げた。

その先生は僕をまっすぐ見つめていた。

明らかに女性の名前なのに、男性もののスーツを着て、ネクタイを締めている。

心臓がバクバクだったので何秒の沈黙が続いたかわからない。

明らか他の人よりスムーズな点呼ではなかったが、

でもそれほど長すぎる沈黙でもなかったような気がする。

少しの沈黙の後、先生は小さく「はい」と返事をした。

空気を読んでくれたのか、それだけだった。

もし、そこで、「花子さんですか?」なんて確認でもされてたら、

クラス全員が僕の方を向いて、僕の大学生活は終わっていただろう。

出席の点呼が終わって、クラスが解散した後、

1人の男子が話しかけてきた。

茶髪でクラスで一番目立ってた男子だった。

僕も入学前から髪を染めていて、

髪を染めてる男子は僕とそいつだけだった。

そういったと子がなんとなく、趣味が合いそうだと思ったんだろうか。

「友達になろ、LINE交換しよーよ」

どうやら点呼の時の名前は聞いてなかったらしい。

名簿もよく見てないらしい。良かった。

その友達と別れた後、僕はすぐに担任の先生の元へ駆けつけた。

自分が性同一性障害であること、男性として生活をしていきたいこと、全てを打ち明けた。

その先生は、「前例がないので、よくわからないとしか言いようがないですけど、上と相談します。」

その先生は、すぐに対応してくれた。

何回も電話やメールのやり取りをした。

結果、学校側は、

診断書を提出すること、親の一筆を提出することを条件に、

僕が男性と過ごすことを認めてくれた。

出席簿はすべて男性の仮名。体育も男子。音楽も男子。

更衣やトイレは多目的トイレ。

みんな僕が戸籍上は女性だってことに気づかず、男だと思っていた。

僕はもともと声が低かったのが救われた。

治療をしなくても男性に見えたらしい。

でも何より僕が女性だってバレなかったのは、名前が男性の名前だったことが一番大きかった。

あの時の先生の対応には、感謝している。

あの先生のまさに「神対応」のおかげで、

僕は4年間、女性だとバレずに過ごすことができたのだ。

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