①FTMパンセクシャルの自叙伝
僕には子宮がある。
決して喜ばしいことではない。
僕はこの子宮に悩まされ、一時は苦しい想いをした。
だけど僕は開き直った。
憎かったその子宮を利用してやることにした。
子宮を使って僕は幸せを手に入れる。
子宮を使ってSEXもするし、子どもも産む。
僕は完全に割り切って物事を考えることにしたんだ。
これは社会的に男性として生きることを望む、1人の女性の物語。
おなべ(体は女性、心は男性)の僕が
どのような人生を送ってきたのか
おなべでありながら、
パンセクシャル(全性愛者)として
どのような恋愛をしてきたのかを
ブログに記していきたいと思います。
このブログが同じFTM(おなべ)の方の勇気づけになったり、
LGBTQ+の当事者とそう接していいかお悩みの方にとって参考になればと思います。
記憶にある5歳から振り返ってみる。
幼稚園の先生に一人称が「僕」であることを訂正される。
「花子ちゃん(仮名)は女の子なんだから、僕じゃなくて、私でしょ!」
幼稚園で劇をやるときは王子様役を立候補したけど、
それも「花子ちゃんは女の子だから他の役をやろうか」
なんて言われて撃沈した。
6歳。
長い髪をバッサリ切った。
部屋の隅に、当時はブラウン管の大きなテレビがあったから、
その後ろに隠れてバッサリ切った。
掃除、大変だったろうな。お母さん、ごめん。
母さんに言われて伸ばしてた髪だから、すごい怒られた気がする。
7歳~9歳。
女性の体に性的興奮を覚えていた。
兄貴が持っていたドラゴンボールが僕にとってのエロ本だった。
ドラゴンボールのブルマが亀仙人にパフパフする場面が大好きで、
折り目がつくほど読み返していた。
折り目がついて、終いにはそのページでマンガが真っ二つに裂けてしまった。
そのほかにも、NHKの子育て番組で母親が赤ちゃんに母乳を与える場面があって、それをみて鼻血出してた。今思えばすごいウブだ。恥ずかしくてクッションに顔を押し付けて、クッションが血まみれになっちゃったからよく覚えている。
10歳。
隣のクラスの担任の先生(女性)を好きになる。
自分のことはレズビアンなのかと思っていた。
当時はレズビアンという言葉しか知らなかったから。
女の子の友達が、何人かで「レーズン好き?」って
何度も強調して聞いてきて、
からかわれてるんだなーって思ってた。
この頃から、兄のお下がりは好んで着て、
髪の毛はワックスでセットしてた。
学校では「オトコオンナ」って言われて、からかわれてた。
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