松向軒(京都大徳寺 高桐院)


「松向軒(しょうこうけん)」

京都大徳寺の高桐院にある茶室。

戦国時代に智将として名を馳せ、茶人としては利休七哲にも数えられる細川三斎の好みと伝えられます。

三斎は、七哲の中でも利休の茶を最も忠実に継承したとされています。

その時代の茶人が多数参加した豊臣秀吉主催の「北野大茶会」において、三斎は影向(ようごう)の松のそばに茶室をつくったそうです。

その茶室は茶会後、移築されたと伝えられます。この茶室がその茶室という説もありますが、高桐院三世となった清巌宗渭(せいがんそうい・1588~1661年)の板額によると、寛永5(1628)年以前に三斎が自身の小庵に「松向軒」と称していたことまではわかっていますが、現在のものとの関連は定かではないようです。

内部は二畳台目の大きさで、下座床の席です。中柱を伴う台目構えの点前座で、利休流の典型的な構成となります。

中柱は赤松皮付、点前座の客付には同じ大きさの二重棚を釣り、風炉先には窓があきます。袖壁にはこの茶室の名を入れた扁額があります。

全体には利休流の意匠ですが、中柱の曲がりはほのかで、四節の引竹(※袖壁下方の横材)は端正に仕込まれており、これらの部分が特に三斎らしい意匠だそうです。

客座の二方の壁には連子窓と下地窓があきます。全体に質素で素朴な草庵式茶室ですが、材料はほとんど新材に取り替わっているようです。床の横の二枚襖も元は火燈口形式の給仕口であったようです。

また、この茶室の名は三斎の法名「松向寺殿三斎宗立」の由来にもなったといいます。(茶室が先か、法名が先かは諸説あり)

京都大徳寺の塔頭の一つである高桐院に現存します。同じく大徳寺の真珠庵には、同じ二畳台目の間取りで庭玉軒という茶室もあります。

(大徳寺の茶室をまとめています↓)

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