伏見稲荷大社 御茶屋(一の間)

画像1

「御茶屋(おちゃや)」

後水尾院より拝領したと伝わる数寄屋風書院で、京都の伏見稲荷大社に現存。

後水尾院は寛永期(1624〜44年)独特の公家文化を一気に開花させたサロンの中心人物であり、後水尾院を知る上でこの御茶屋は修学院離宮や水無瀬神宮の燈心亭とともに重要な遺構として数えられます。

主室は七畳敷の「一の間」と八畳敷の「二の間」からなり、両者は襖を介して東西に並びます。今回の図面は「一の間」にあたります。

一の間の北側には広縁(ひろえん)、二の間の北側には長四畳の縁座敷。両者の南側には榑縁(くれえん)が付いています。

屋根は檜皮葺(ひわだぶき)入母屋造りで、格調高い御殿風の外観です。

一の間の内部八畳は一畳が床の間にあてた出床形式となっています。付書院は床と矩折りに、違棚は床脇一畳の奥に設けられ、床・棚・書院が揃っています。

床は黒塗り角框の一間床、床柱には面付の丸太で格調高い構え。御茶屋では随所にこうした丸太が用いられています。

床脇の一畳は落天井となっており、床脇の下方吹き抜きは風炉先窓のようにも見立てられます。中柱や袖壁はありませんが、大徳寺龍光院の密庵孤篷庵の忘筌に共通する点が見られます。

さらに違棚もやや低めに取り付けられており、炉は現在の位置に切られていたとは考えにくく、もともとなかったか、床脇一畳のそばに切られていたと考えるほうが自然です。

したがって現在の御茶屋は、後世のどこかで手が加えられた可能性がありそうです。

一の間と二の間の境には四枚襖でその上には長押の上から天井までいっぱいに菱格子欄間(ひしごうしらんま)が入れられ、数寄屋風の意匠となっております。また北側の広縁境の上部にも天井いっぱいまで欄間が入り、公家好みの大らかな意匠ともいえそうです。

付書院にも古風な火灯窓が入ります。重厚な書院造りの趣に、公家好みの大らかな数寄屋風な意匠との融合が図られています。

江戸時代初期の貴重なこの遺構は、国の重要文化財に指定されています。

(国宝・重文の茶室をまとめています↓)

(茶室の間取りや復原図を元にしたグッズをつくっています↓)

・・

▼茶室建築のおすすめ本一覧です!↓


最後までお読み頂きありがとうございました🍵 記事にスキ(♡)を押すと、「茶室建築のおすすめ本」を紹介します(&励みになります❤)