山雲床(大徳寺孤篷庵の茶室)

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「山雲床(さんうんじょう)」

大徳寺孤篷庵の茶室。

小堀遠州のつくったものと伝わる大徳寺龍光院の密庵(国宝茶室)の写しで、寛政5年(1793年)の火事の後、近衛家と松平不昧公の援助を受けて新たに計画建設されたものです。そして、当時の和尚は松平不昧公に助言を求めたと伝わります。

主室である六畳の書院である直入軒の北側に建てられ、これは焼失前の間取りとは変わっているそうです。

不昧公は古典の茶室を深く尊重しながらも自由奔放な着想も試みるという姿勢を貫いており、そうした姿勢は菅田庵などの創作にも現れています。

この再建はそうした姿勢を産む契機となったものとも捉えることができそうです。

山雲床は密庵席の構成と意匠をほぼ踏襲した写しで、本歌とは異なる点がいくつかあります。

一つは、密庵の最大の特徴ともいえる密庵床や違棚を設けていない点です。密庵床にあたる部位は隣接の四畳半の仏壇に当てられ、またこの茶室は密庵のように縁を持たず露地から直接席入りするため、違棚も省いたものと思われます。

また本歌よりも室内を明るく開放的にする意図で窓も新たに三つ開けられています。床脇の墨蹟窓、点前座背後の腰障子上の下地窓、風炉先上方の下地窓といずれも本歌にはない軽快さをもたらします。

一方でまっすぐな杉丸太の中柱と杉板を用いた袖壁は、本歌の好みをそのまま受け継いでいます。同じく二重棚も上棚の大きい雲雀棚形式。

露地には遠州好みと伝わる布泉(ふせん)の手水鉢。銭形方形の水穴の両脇に「布泉」の字が刻まれています。

違棚と密庵床を省いた分、書院らしい水墨画の貼付壁が多く目につきます。書院の中に草庵の要素を組み込んだ遠州らしさもありつつも、随所に違いをもたらした茶室。

遠州の茶室である忘筌も有する孤篷庵に現存し、重要文化財にも指定されています。

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