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真実は【鏡】の中


こんにちは!

さーちゃんです(*^^*)

「命の熾火を守りともに育てるFirekeeper」として、

セクシュアルマイノリティの子どもたちとその保護者の居場所作りや啓発活動を行ったり(ここいろhiroshima)、神石高原町豊松地区の子育て支援コーディネーターをしてます。

現在、【火】を通して自分自身見つめるファイヤーリトリートというもののプログラム化も行っています(*^_^*)

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詳しくはこちらの記事からどうぞ★

https://note.com/sakuraaamen/n/ndffe576508f0

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真実って文字を眺めると、

鏡文字」になっていることに

最近気づきました。







こんな風に、縦書きにして

真ん中に鏡をおいても、





って映るんですね。



じゃあ、いったい「真実」ってなんなんだろうか。



辞書で意味を調べると、


うそや飾りのない、本当のこと。まこと。

絶対の真理。


ってことが書いてあって。



これは

『あるがまま』のこと

を指してるんじゃないかなあと感じたんです。




朝がくれば夜がきて、

晴れが続けば雨が降って、

光のあるとこには影ができて、

食べたものは消化・排泄されて、

夏がくれば暑いし、冬になれば寒いし、


そういう

当たり前にこの世界におこる自然現象は

まさに「あるがまま」ですよね。



でも、私たち人間は、

この「あるがまま」をそのまま

受け止めることが難しい。



どうしても

自分の都合のいいように

コントロールしたいし、

「ある」って認めることが、

「ある」ってそのまま受け止めること自体がむずかしい。



特に、自分のことになると、

「あるがまま」を受け止めるということが

一層むずかしくなる。



子どものように天真爛漫な自分

大人びてて冷静な自分

優しくて包み込むようなあたたかな自分

厳しくて力強い自分

自分の人生の可能性を信じて勇敢に立ち向かう自分

怖がりでおびえて動けなる自分

楽しいことで胸いっぱいな夢見る自分

卑屈で怒りっぽい自分

寛大で慈悲深い偉人のような自分

みみっちくて見栄っ張りな自分

人生の豊かさに感謝する自分

悲しみにくれて傷ついて人生を恨む自分

自分の人生をいきいきと生きている自分

悩み苦しんでもがいている自分



自分の中には、

いろんなキャラクターの自分や

いろんな感情を味わっている自分がいて、

ひとりひとり全然違う個性・役割をもっています。




でも、私たちはつい

この自分はいてもいけど、この自分はいてはいけない

この感情は味わってもいいけど、この感情は味わってはいけない

って自分の中にいる「いろんな自分」や「いろんな感情」をジャッジしてしまう。


あんたは都合が悪いから、どっか見えないところに行って!

なんであんたみたいな子がいるのよ?迷惑だわ~

なんでそんな感情味わう必要があるの?私の人生にはいらないわ


って、心のどこかに追いやってしまったのかもしれないし、



もしくは、

お願い!これ以上傷ついていたら本当に危ないから逃げて!隠れて!

私の大事なものを守るためには、今あなたに出てこられたら困るの!少しの間だけ隠れてて!


って、自分や自分の大事なものを守るために、

あえて隠したのかもしれない。



そんな風に、どこかのタイミングで

いろんな自分」や「いろんな感情」を

見えないところに追いやってしまう。




でも、鏡の前に立つと、

自分の姿がよく見えます。



どんだけ普段隠したり、

見て見ぬふりしてても、

鏡には映っている。

存在している。



そういう「鏡の中」に映っている

いろんな自分いろんな感情

全てひっくるめて

「あるがままの自分」=「真実」なんだと思いました。




でも、鏡には1つ欠点が。


鏡の前に立って

自分でよく見えるのは「前側」です。


これは、言うなれば

自分でも「ある」って自覚できてる部分のこと。



でも、背中側・後ろ側は

自分ではよく見えません。


これは、自分では「ある」って自覚できてない、

今までないがしろにしたり、見えないところに隠した部分のこと。



↑これが「あるがまま」のあなただとすると、




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↑こんな感じで

前側だけを見て「あるがままの自分」だと

思い込んでしまうことが往々にしておこります。



大事なのは、

後側」を見つめること。

今までないがしろにしてた部分に光を当てて

「ある」って受け止めてあげること



「真実」って

真に実りあるもの

とも読めます。



たわわに実った

果汁たっぷり美味しさたっぷりの

リンゴやミカンなんて

「真に実りあるもの」ですよね。


じゃあ、そういう「真に実りのあるもの」をつくるためには何が必要かというと、


たくさんの「栄養分(サポート)」とたくさんの「逆境(チャレンジ)」どっちも必要です。


水分や養分をたくさん含んだ豊かな土壌で

丁寧にお世話してもらって

栄養分をもらうことですくすくと果実は大きくなれるし、


嵐や日照りなどの逆境を乗り越えることで

自分の中で「養分」「うまみ」を蓄わえられて

より深みのある味わい深い果実が育っていきます。



これは、どっちかだけじゃダメなんです。


栄養分(サポート)」と「逆境(チャレンジ)」が

プラス」と「マイナス」が

」と「」が

どっちも「ある」から、「真に実りのあるもの」が育つんです。



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↑もう1回鏡の前のあなたの姿を見せます。

前側だけを見て「あるがままの自分」だと思うのは、

あなたの後側に隠れてるあなたの人生を「真に実りのあるもの」にしていくものを切り捨ててる、ということになってしまうんです。



これは言うなれば、自分の大切な半身をなくしてしまっているような状態。



人間は自分の別れた半身を探している(プラトン)


古代ギリシャの哲学者プラトンは、

もともと「男女」は1つでひっついていて一つの人間だったが、

調子に乗っている人間たちを神様がこらしめようと

もともと1つだった「男女」を半分切り裂いて

「男」と「女」が生まれた。


だから我々は、自分の半身を、もともと1つだった片割れ

探し求めてさまよう。


っていうお話を残していて。

(プラトンの話には、男女・男男・女女という3種類の人間がいたっていうの説明もあったりして、面白いです(*^-^*))


この話は、よく恋愛の例えで使われるけど、

これは恋愛だけでなくて

自分の中でも起きてること。


今までないがしろにしていた、

鏡にも映りこまないように後ろの方に隠していた、

自分の大事な半身自分の一部として「ある」んだって受け止めることで、

あるがままの自分」に

どんどん変容していくんじゃないかと思います。



そうすれば、いつのまにか






鏡に映っている自分と




あるがままの自分」が


一致してくるようになるのかなあと思います。

(でも、あるがままの自分になっていけばいくほど、どんどん新しい「未知なる自分」がでてきて、一致するってことは一生ないのかも。これは個人的に探求してきたいテーマです^_^)



今日の記事はいかがだったでしょうか?

最近、文字や言葉を見て、

そこからイメージが湧くことが増えてて、

文章を作るのが楽しいです(*^-^*)



私は少しずつですが、

自分の「真実」の姿

あるがままの自分を取り戻していっている感覚がありますが、

あなたはどうですか?


ぜひ鏡を見て、問いかけてみてください(*^-^*)


鏡の中にはどんな「あなた」が映っていますか?
そのあなたに声をかけるとしたらなんて声をかけますか?


現在、【火】を通して自分自身見つめるファイヤーリトリートというものをプログラム化するためにモニターになってくださる方を募集しています(*^_^*)

【募集定員】5名限定→満員御礼!!本当ありがとうございます!!

ただいまプログラム化に向けて準備中です!今しばらくお待ちください★


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詳しくはこちらの記事からどうぞ★
https://note.com/sakuraaamen/n/ndffe576508f0

応援よろしくお願いします(*^-^*)



最後まで読んでくださりありがとうございます!

今日も応援しています!

ホーミタクエオヤシン。

2021.9.17高畑桜



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