見出し画像

リーディング小説「生む女~茶々ってば~」第十六話 欲しいものを欲しいと望み手を伸ばすからこそ、与えられる

欲しいものを欲しいと望み手を伸ばすからこそ、与えられる

この時期、元号が天正から文禄に改元された。

もともと元号が変わるのは、天皇が譲位したり、災いを改めるためだった。だがこのたびの改元は、そうではない。
秀吉から秀次に関白の世襲をしたためだ。それはこれから天皇に変わり、武家が天下を支配する、と世間に知らしめるためだった。
まだ妊娠していない私はその現実に唇を噛み、辛い思いでただ眺めるしかなかった。

秀次の関白祝いの式典が行われたが、私は早々に部屋に戻った。気分が優れないまま床に横たわり眠った。夢に鶴丸が現われた。夢の中で鶴丸は笑っていた。私は走る鶴丸を追いかけようと手を伸ばした。が届かない。鶴丸はどんどん先を行く。私は大きな声で鶴丸の名前を呼び、走って追いかける。すると目の前に、大きな川が現われた。この川を鶴丸が超えたら二度と会えない、と直感した私は足を速めた。しかし鶴丸はひょいひょいと川の飛び石を渡る。行かないで!と叫んだ場面で目が覚めた。両目から、たらたら涙が流れていた。

私は布団の端を掴み、鶴丸さえ、生きていればこんなことにならなかった、
鶴丸さえ・・・・・・とつぶやき、吐くように泣いた。
いくら思っても仕方ないが、鶴丸を失った痛手はあまりにも大きかった。

秀吉は、五十六歳。
この年、私は秀吉に付き添い佐賀の名護屋城で過ごしていた。
じき、私との閨もなくなるかもしれない、そんな予感に怯えた。
相変わらず月のものはきちんとやってくる。
もう子供はできないのかもしれない、というネガティブな不安が、真綿のようにじわじわ私の首を絞めた。夜も眠れず、夜中にうめき声を上げ、何度も目が覚める。
秀吉は私が精神的に不安定なのを見かね、京に帰るように命じた。

私は失意の中、京に帰った。
京に戻っても、悪夢は私を追いかけ離さない。
私は一人で耐えきれず、治長を呼んだ。

彼が私のところに忍んで来ることがわかれば、死罪だ。
だがそこは大蔵卿局がうまく采配した。
人払いをし、魔除けとし魔物から私を守る、という口実で治長を毎晩見張りにつけさせた。

治長は閉じた襖の向こうで、夜明けまでじっと座っている。
忠実な犬のように、私が呼べばすぐに襖を開き入って来る。
襖一枚隔てた場所に治長がいる、と思っただけで安堵し、よく眠れた。

時には部屋に呼び、手を握るだけの時もあれば、黙って抱きしめてもらう時もある。むつみ合うこともある。
主導権は、いつも私が持っている。
私は治長を都合のいい男にした。

この頃、治長はすでに結婚し妻がいた。
治長の結婚相手を秀吉に頼み、縁組をしてもらった。
秀吉は私を立てたのか、織田にゆかりのある女を治長に添わせた。
私はそのことを治長に何も言わない。彼も私に一切、妻のことを話さない。

私は彼に愛撫されながら、彼の妻を思う。毎晩家にも戻らず、私の寝ずの番をする夫を、妻はどう思うのだろう?
仕事だから仕方ない、とあきらめているのだろうか。
彼が私の中に入ってきた時、彼ら夫婦に子どももいることを、思い出した。一瞬申し訳ない、と思ったが、すぐ彼の妻から夫を寝取る興奮と官能で悦びの声がもれた。もし治長が夫だったら、こんなにも閨で燃えなかっただろう。

彼が私の中で激しく動く。私は彼の背中をつかみ、彼に合わせ腰を動かす。私と彼は誰にも決して、知られてはいけない関係。
死んだら墓場まで持っていく秘密を抱き合うことで、身体は甘くよじれる。
足を開きどこまでも、何度でも受け入れる。
背徳の関係が二人をどこまでも情熱的に燃えさせた。
私は彼に衝かれ、何度もエクスタシーに達した。

妊娠をあきらめず、女としての悦びも存分に味わった。
今は妻子が待つ家に帰らせないようにしてまで、治長が必要だった。自分でも欲深い女だと思うが、それの何がいけないのだろう。欲しいものを欲しいと望み手を伸ばすからこそ、与えられる。指をくわえたまま待っていても、現実は何も変わらない。私はそうやって鶴丸を失った痛手を埋めた。

やがて私は妊娠した。私と大蔵卿局は手を取り合い喜んだ。これは二人だけの秘密だ。治長にさえ言っていない。しかし喜びと裏腹に、困った問題があった。秀吉はまだ佐賀の名護屋城にいる。
彼は私としばらく閨を共にしていない。私はすぐ佐賀に行き、秀吉に抱かれた、という事実を作らねばならない。もしそうでなければ、私の不実がばれてしまう。秀吉は決して裏切りを許さない、執念深いおそろしい男だ。
私と大蔵卿局と皆が寝静まった夜、額をつきあわせ相談した。わずかに灯るろうそくの光に照らされた大蔵卿局の顔のしわが、以前より深くきざまれたのを見て、私は彼女と本当の親子よりさらに強い絆で結ばれた気がした。翌朝、私は陣中見舞い、と称して急いで佐賀まで旅立った。

佐賀までの道のりは、遠かった。
妊娠初期の自分の身体も労わらながら、休み休みいつもより時間をかけ旅をした。幸いつわりはひどくはなかった。ただ日に日に乳首は黒ずみ、乳房は大きくなった。だが秀吉はもともと巨乳好きなので、そこは問題い。ようやく名護屋城に到着した私は一息つく間もなく、彼と夜を共にした。とにかく、秀吉に抱かれることに必死だった。
そうやって何度か秀吉に抱かれた、という既成事実を作った。しばらく名護屋城で過ごし、私はまた長旅をし京へと戻った。
そして、妊娠を発表した。

「淀殿、ご懐妊」
この知らせは、寧々を通じ秀吉に知らされた。
が私のところきた秀吉からの手紙を読み、手が震えた。
「おめでとう。
子どもは、お前の乳で育てたらよいだろう」
乳母を介せず、私の乳を飲ませろ、という冷たい手紙だった。
屈辱的な内容に、手紙を破り捨てたい衝動にかられたが、周りの目もあるので何とか堪えた。

平静を装ったが、頭の中で「もしや、秀吉にばれたのだろうか?もし、ばれたらどうなる?」と考えると、背中からひんやりした汗が流れた。
そこに、晴れやかな顔をした寧々がやってきた。
「ご懐妊、おめでとうございます。
秀吉から、私にこんな手紙が来ています」

そう言った寧々は、いきなり秀吉からの手紙を読み上げた。

「寧々へ。
返事が遅れた事、かたじけない。
茶々が懐妊したことは驚いたが、めでたいことです。
われわれ夫婦ももう年だし、秀次にも関白を継承させた。
茶々は欲しがっていたが、もう子どもはいらないもの、と思っていました。

私の子は鶴丸でしたが、死んでしまいました。
茶々の子は「仮の子」なので、このまま秀次に関白をさせましょう」

寧々は憎らしいほど、平然と読み上げた。
あまりの内容に、私は思わず叫んだ。
「このお腹の子は、鶴丸の生まれ変わりです!
私と秀吉様のお子です。」

「そうですね。
そういうことに、しておきましょう。
その方があなたにとって、都合がいいでしょう。
けれどその子は豊臣に災いをもたらします。
私はそれを阻止せねばなりません」

そう言うと寧々は冷たい顔で、私を見つめた。
私も寧々の視線を正面から受けて言った。

「いいえ、北政所様
この子は、豊臣に繁栄をもたらします」

私達はしばらく黙って見つめ合った。見えない火花が飛び散った。
私は決して自分から視線を外さなかった。

「負けてはいられない。この子のために」そう思った私の手は、お腹に触れていた。やがて寧々はそっと視線を外し、ため息をついて部屋を出て行った。私は「勝った!」と心の中でのろしを上げた。

私はお腹の子を秀吉の子にした。
あとは、なんとしてでも大切にこの子を育て、無事この世に生み出すだけだ。治長のことはもう消えていた。彼は十分、役目を果たしてくれた。

そして翌年の文禄2年8月3日、大阪城で出産した。私はもう一度鶴丸を手にし、秀吉の子の生母という揺るぎない地位を手にした。

--------------------------------

したたかに生き愛を生むガイドブック

あなたが欲しいものは、何ですか?

あなたはそれに向かい、手を伸ばしていますか?

何か行動を起こしていますか?

手を伸ばすからこそ、届きます。

一ミリでも、近づきます。

あなたがそうしてまで手を伸ばしたいもの

それは何ですか?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?