箱庭日記11
4月●日 記録的な大雨
「4月の雨は花を咲かすか?」
4月には珍しいゲリラ的な土砂降り。
休みだったので、ジムに行き買い物をして帰る途中だった。
ランニングマシンで走っている時から、あやしい雲行きではあった。
多少の雨なら、傘をささない私でも戸惑うレベルの豪雨。
10メートル先も雨粒の暴力で霞む。
私が欲をかいた結果だと思った。
十数分前、小雨の中ジム帰りにスーパーへ寄った。
雨の日は惣菜が安くなるから。
しかしまだ降り出しだったので、値引シールは貼られず、私は用のない2階の日用品売り場でウロウロと、今は買わないであろう紳士服(冬服の残り物セール品)などを物色し時間を潰した。
しばらくして再度惣菜売り場を覗いたが、値引きシールが貼られる様子もない。
仕方なしに、カツとシュークリームを買って家にあるご飯とレトルトカレーでカツカレーにする事にした。
そして自分のみみっちい欲を恨んだ。いや、値引きを狙うのは生活の知恵だ。
そういえば朝のニュースで、最近のゲリラ豪雨は数年前の我が国で行われたオリンピックの際に作られた、海水(潮の満ち引きを利用した)エコレールの関係だと専門家は語っていた。
それが本当かどうかまだわからないが、このせいでエコレールが無くなってしまうのは少し残念だ。
私はまだ一度も乗っていない。ヌルッとした乗り心地で、揺れがあまり無いらしい。
急な豪雨に、雨宿りをして様子を見る人、傘や雨具をしで最小限の犠牲で自転車で急ぎ目的地に向かう人、何も持たず雨の中歩く人様々だ。
街全体が雨で洗われた。
雷も鳴った。
雨で流された街中の汚れが、黒いスジになって側溝を伝い下水に落ちていた。
家に着く頃には、全身ずぶ濡れになり、スーパーのビニール袋にも水が入っていた。
4月と言えどびしょ濡れでは寒く、すぐに風呂に入った。
換気口から、くぐもった雷鳴が聞こえる。
4月●日 快晴
「雨のあとには」
土砂降りの後の晴天は、日の光を受けたものがいつもより軽やかに輝いて見える。命の洗濯とは良く言ったものだ。
スーパーのレジ待ちで『昨日近くの小学校に雷落ちたんですって』『そうそう、うちの子今日オンライン授業になったのよー、電気つかなくなっちゃったんですって』『結構酷かったものね』
聞こえてきた会話に、嘘みたいに晴れた今日に昨日の余韻を感じた。
着実に昨日と今日とその先と続いている。
4月●日 昼過ぎ 散歩道にて
「洗濯的展覧会」
あまり褒められた趣味では無いが、散歩をしながら、人の家の干してある洗濯物を眺めるのが好きだ。
洗濯物には、生活感やドラマが見てとれる。
そこから家族構成や、その人たちの生活を想像するのが好きだ。
等間隔で美しく並んでいるもの、洗濯物にシワがついたまま干してあるもの、タオルばかり干してある家もあった。
以前タオル類、下着類、衣類と洗濯物の種類別に洗濯している人の話を聞いたことがあり、家庭によって様々である事をしみじみと感じた。
稀に柔道着が干してあったり、某コンビニや某宅配業者のユニホームが干してあるとレアな物を見たとテンションが上がる。
アニメのキャラのシーツやバスタオルが、ドーンと干されていると、いたたまれなくなる。
所有者本人が干しているなら良いのだが、どうしても母が憚らず良かれと思って、干してしまっているイメージが湧いてしまう。
あとはぬいぐるみが、日向ぼっこしている様に干されていると何とも言えない微笑ましい気持ちになる。
また雨の日の洗濯物と言うのも、いい。
雨が降り始め、急いで取り込んでいる人。
不在のため、洗濯物が取り込めずびしょ濡れになっていたり。
時折明らかに在宅の様子があるのに、取り込まれず放置されている洗濯物もある。
私もやってしまうが、ある程度濡れてしまうと、もう諦めて「いつか晴れの日がやって来て乾かしてくれるだろう」と未来へ託す場合がある。
だいたいはそれでどうにかなる。が、稀に泥はねが酷く再度洗濯のし直しになる事もある。
1時間ほど歩いただろうか。
今日のMVP洗濯物は「同じ服や靴下や下着が3セットずつ干されていた家」
これは珍しい。3つ子か、同じ服のラインナップで、着回している人か。
3つ子の場合は、見分けがつかなくなるし大人の服だったことから可能性は低い。
同じ服を着回すのは、ありそうだが、下着や靴下までもとなると徹底している。
次回も同じ服が干されているのか?
散歩コースに新しい楽しみができた。
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