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とりとめのない日記3

8月●日 晴れ 暑すぎる
「怖い話」

夏真っ盛りだ。毎日毎日暑さを更新している、気がする。
6月の終わり頃から、30度を超える日があったが、ここまで来ると外に10分でも出ようものなら、日差しに丸焦げにされ頭からいい匂いがしてしまう。

夏といえば、怖い話。
私は怖い話が好きだ。
夏の怖い話特番があると聞けば風呂を早々に済ませ、テレビに齧り付いて見る。日常生活に疲れたなぁと思えばリフレッシュがてらネットで怖い話を読み癒される。
怖い話には、怖いだけではなく、想像力が掻き立てられロマンや物語りが感じられるところが好きだ。

私自身がオカルトな体験をしたことは無いので、今日は夢であった怖い話を書く。

私は眠りに関して特に繊細らしく、音や光や温度等適当な状態に整えないと眠りにつく事が出来ず、入眠してもすぐに起きてしまう事も多々ある。
そして眠りが浅いと夢を見る。しかも大抵の場合は、悪夢だ。

これは定期的に見る悪夢の一つだが、私は学生時代軽音楽部に所属していた。
当時は毎日毎日熱心にギターを練習していて、卒業ギリギリまで部活に通っていた思い出がある。
そんな学生時代から、十数年は経っているのだが、夢の中の私は部活動に参加しており、これからライブで演奏しなければいけないと言う状況だ。

バンドメンバーに肩を叩かれ「そろそろ出番来るよ、トイレ行った?」と声をかけられる。
その瞬間私の脳内で『私最近ギター弾いたっけ?サボってた?楽器持って来てる?』と頭の中に凄い勢いで、疑問と不安が押し寄せる。
バンドのメンバーから、「じゃ、これ今日のセットリスト(曲目)ね」と渡された紙を見る。
『知らない曲ばっかりじゃん。え?皆は、この曲練習してたの?いつ?』
またしても疑問と不安が、ヌーの群れの様に押し寄せる。
あれよあれよと、ステージに立たされて、真っ白い光に照らされる。冷や汗。どうする。どう乗り切る。
ドラムのカウントが入り、曲が始まる。
私は、もう仕方なく、どうしようもなく、ベースのコードを横目に見て最小限の音で、見た目だけは最大限のパフォーマンスでやり切った。
微妙にコードと合っていない私の音が、返しモニターから、私をチクチクと刺したが、なんとかやり切った。
だいたい一曲終わると目が覚めて、汗びっしょりで自分がとっくに卒業をしてギターも実家に置いて来て、十数年は触っていないことを思い出しホッとする。

この夢は定期的に見るのだが、ある時当時のバンドメンバーに聞いてみると「自分もあるある、あれってバンド組んでた人のあるあるなんじゃ無い?」との話だった。

この恐怖が少しでも伝わるといいのだが。

見る度にとても心臓に悪い夢なのだが、それだけ私にとっては学生時代の思い出として、深く残っている時間だったのだと思う。

8月●日 雨 どしゃ降り
「水の中は」

私は健康に気を使う方だと自分では思っているので、定期的に運動をするよう心掛けている。
週に2回はジムで汗を流し、夏は暑くなってくると市民プールで泳ぐ。

水の中に潜ると、独特のくぐもった地上の音や、水中の浮力感が気持ち良い。

泳いでいる人は、いっぱいいるのだけれど、水の中では1人で居るような心地よさがある。

雨の日のプールは、さらに良い。
私の通っている市民プールは、天井がガラス張りになっており、窓も大きいので開放感がある。
天井のガラスに雨粒が当たり、水滴の散らばる様も綺麗だし、特に今日はバケツの水をひっくり返したような降り方だ。
どしゃ降りも30分程で上がった。
すると天井から日が差し雨粒に光が反射され、プール内がキラキラとして綺麗なのだ。

帰る頃には先程まで雨が降っていた痕跡だけを残して、蝉は煩く鳴き、蒸し暑く、プールで冷えた体を心地よく暖めてくれた。

プール

8月●日 晴れ 比較的涼しい
「涼を呼ぶ」

今日は近くの神社の祭りがある。
相撲やキンキンに冷やした素麺を、神社の周りを囲って巨大な流し素麺(さくらんぼやら、キュウリやらも流れる)を奉納し「涼」を呼ぶのだ。

祭りの後1週間は、涼が地域一帯を包む。
その間は、他より気温が3度程下がる。良い祭りだ。

祭りと言うと思い出すのが、子どもの頃の話だ。

私の実家があった所は、神社も少なく、お祭りと言うと年に2日間だけ行われる町内会主催の小さなものだった。
それでも子どもの頃は、金魚すくい•射的•くじ引き•焼きそば•変わり棒•カキ氷•水飴等、出店の数も、子どもの私を満足させるには充分といったラインナップだった。
夜の9時には出店が閉まり、そこからは打ち上げ花火が行われる。
町内会で集めたお金で打ち上げ花火を買うので、私も微力ながらお小遣いを自主的に出したので、花火の感動もひとしおであった。

2年前に帰省した際、丁度このお祭りがやっており参加した。
出店の規模も、かなり縮小してチョコバナナと変わり棒が無かった事にショックを受けた。

子どもの頃の私は、祭りに行くと必ず変わり棒を買っていた。
味は2口程なら美味しい感じるのだが、あのモソモソ•ボソボソ感と素朴な甘味のみで構成された、なんとも言えない色の30センチ程の棒を完食するのは、なかなかのものだ。

食べ終わると5分ほどで、顔が変わり始める。
変わる顔はランダムで、猫・魚・狼・うさぎ・カエル・宇宙人等、様々ある。
可愛かったりカッコよかったり面白い物が、当時の子供の価値観では『当たり』とされていた。

虫や石や花なんかは、子どもからは不人気で『ハズレ』だった。

私は密かに、石が当たると良いなぁと思っていたが1度も当たったことは無かった。

困ったのは、カキ氷を買った後に変わり棒を食べて顔が三角になってしまった時だ。
ピラミッドの様な、立体の三角。
生き物なら良かったのだが、三角には口がない。
これは想定しておらず、顔が変わってから30分は飲み食いが出来ない。
仕方がなく、渋々買ったばかりのブルーハワイ味のカキ氷を一緒に来ていた友人にあげてしまった。

では、日記を書き終えたので、今年も涼を呼び込みにいくとしよう。

念願の水晶が出た

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