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【映画】箱男 鑑賞

公開が楽しみで仕方がなかった映画「箱男」を観てきた。

 あまり内容については触れない。感想中心で。

この予告を観て興味が湧いたら是非劇場へ。

あくまでも個人的な感想にはなるが。

傑作です!


箱男になる

 冒頭から何度も繰り返し読まれ、また画面にも表示される文章がある。

「箱男を意識するものは、箱男になる」

 実際、ストーリーはこの一文に集約されていると言っても良いだろう。

 箱男を意識し始め、それに取り憑かれ、箱男になっていく。
 それが連鎖する。
 このあたりの仕組みにオカルトを付加すると貞子になるんじゃなかろうかと思ったりもする(笑)

文章と映像

 安部公房の小説が原作となっていて、27年前に阿部自身から映像化を託されながら、撮影のためにドイツに到着し開始前日に企画が中止されてしまったというエピソードを持つこの作品を、石井岳龍(当時は石井聰亙)が監督している。
 また、当時キャスティングされていた永瀬正敏と佐藤浩市に加えて浅野忠信、白本彩奈がメインキャストとなり、まさにリベンジマッチ的な気迫と緊張感が全編に漲っている。


パンフレット

 人によるとは思うのだが、小説を読む時に人は、多かれ少なかれ脳内で作品を映像化しているのではないかと思う。少なくとも私はそうである。特に俳優のイメージを作るわけではなくて、漠然とした映像のようなものを構築しながら作品を理解しているように思う。
 これも人によりけりだと思うが、その時にはややスマートな画というか、カッコつけた感じの映像に勝手に仕上げているようにも思えるわけだが、石井監督がここに現出させた映像というのは、そういうカッコつけ無し、そのまんまの箱男であって、実際にこういう存在があったとすれば、このようになるに違いないと思わせる。

 なにしろダンボールをすっぽりと被り、長方形の窓から覗く目の周囲、下部から伸びる足、必要に応じて側面に開けた穴から手が出てくるという箱男が、生活し、走り、戦うのである。
 また、後半になると2体の箱男が箱男についての議論を始めるのだ。
 これをリアルに描けばその画はとてつもなく奇妙でありながらしかし、「なんだこれ」という感じの可笑しみ、足の生えた段ボール箱が全力で走る様を観れば笑いも込み上げようというもので、石井監督はちゃんとそういうふうに描写しながらしかし、あくまでも彼らの真剣さを、極めてハードボイルドなタッチで映し切っている。

 前回の投稿でも書いたが、とても奇妙で不条理な物語でありながら、その筆力でまるで実際に存在しているものと感じられるような、ドキュメンタリーを観ているような現実性を与える安部公房の小説を、石井監督はきっちりと再現していると感嘆した。

 石井岳龍監督と言えば、映像とともに音に対する強烈なコダワリを感じる。
 本作に於いても、全体に非常にパーカッシヴな、ノイズ/インダストリアル系統の劇伴になっている。
 必ずしもリズムを刻むための打楽器ではなく、メタルパーカッション/ジャンク的な音であり、映像とともに録音されているドアやシャッターの開閉音、足音、呼吸に至るまで、劇伴の一部になっているように感じた。
 また、エンディングではマーラーの曲が使われているのだが、同時に携帯電話の着信音が数種混ぜられている。
 物音を巧みに使用した大迫力の音塊が、箱男の生活する街や工場などの映像と同時に強烈な刺激となって耳を打つのだ。

箱男って?

 これは私の個人的で勝手な解釈である。

 箱男は自分の見たものや経験したことをひたすらノートに書き続ける。
 箱の中から正体を明かすこともなく匿名のまま、一方的に世界を覗き、その光景を記録し続けるのだ。
 そこに特定の理由はない。強引に理由付けをするとしたら、それが箱男だからである。

箱男

 この様子を見ていると、例えば文筆、例えば演技、例えば舞踏、例えば絵画、例えばイラスト、例えば音楽、そういった、外に向けたなんらかの表現を志す者が、理由云々ではなく自己実現のためにひたすら活動する姿と重なる。本編にも出てくるが「蛹」である。閉じこもり外に飛び出る前に「蛹」の時期を過ごすのだ。

 また、これはややネタバレになるが、最後半になって「わたし」は「世界を箱で覆う」と言いながら家の窓や扉にダンボールを貼り付けていくのだが、この行為は視点を変えるだけで「世界を箱で覆う」とも「自分を箱で覆う」とも受け取ることができる。

 こういう多面的な見方というのは現代の「多様性」と同義なのではないか。
 また、こうして箱の内から世界を一方的に覗きそれを記録するという行為は、現代のSNS、ブログなどの記録媒体と同義なのではないか。

 冒頭では奇妙で幻覚的で混乱していたイメージが、時間の経過とともに明確になり、様々な思考が生まれてくる。
 妄想や幻想、不条理というのは、創造性の源となって、表現者に力を与えるのだと、わずか2時間の上映時間の中でそこまで思考が深くなる、「箱男」はそんな作品だと私は思う。
 また、そのように考えると冒頭の一文が大きな説得力を持つのだ。

「箱男を意識するものは、箱男になる」

ラストシーン

 細かくは書かない。

 役所広司主演、ヴィム・ヴェンダース監督の「PERFECT DAYS」のラストシーンは素晴らしかった。あのラストシーンを観るためだけに劇場へ言っても良いと思えるラストだった。

 しかしこの「箱男」のラストシーンもまた素晴らしく、ほんとに腕に鳥肌が立ったし、大げさではなく身体が震えた。

 なんというのか、自分が箱男に見られていたのかとハッとするような、絶句するような生々しい感触が残る名ラストシーンだと思った。


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