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KISSは別れの挨拶

東京に戻った翌日
学生時代の先輩Nさんから
呼び出しを受けた
Nさんとは
あくまで先輩後輩という間柄で
恋愛感情はない
たまに食事をしたり
呑みに行ったりする程度

行きつけの居酒屋で待ち合わせて
暫く取り止めもない雑談をした後
唐突にNさんは
来週結婚する事になったと告げた
突然の話で驚きはしたが
特に動揺した訳ではない
今までそんな話は聞いた事が無かったので少々唖然とした
とは言えすぐに取り繕い
笑顔で乾杯した

細かいやり取りは省くが
その日のNさんは
確かにいつもの調子ではなく
どことなくぎこちなかった
それでも私の方は
大して気に留めず
連休最終日の夜を楽しんだ

そしてそれは2軒目の地下にあるカウンターバーを出て
地上への階段を上っている時であった
突然Nさんは私の手首を掴むと
壁に私の身体を押し付け
そのまま唇を私の唇に押し当てた

一瞬何が起こったか分からず
本能的に唇を閉じたはずだが
柔らかい舌の先が口内に侵入し
私の頭の思考回路は停止した
ただお酒の匂いに包まれた事だけ
記憶に残っている

多分短い時間だったと思う
長くも感じたが
Nさんははっと身体を離すと
階段を駆け上がり
地上に出た
私もまた同様に
地上に上がると
妙に風が冷たかった

何か軽い事故にでも遭った
そんな思いがした
感情の昂りも起こらず
ロマンスの欠片もない
時間のエアポケットが通り過ぎた様に
一陣の風が吹いていた
その後大通りへ出ると
何もなかった顔をして
じゃこれでと短い挨拶を交わし
それぞれ家路に向かった


数日が経って
あれは何だったのだろう
と考える
私としては
ときめきもなく
風邪さえ移されていなければ
それで良い
大して意味はない
忘れ去る運命

Nさんにしてみれば
酔った勢い
挙式を前にして
付き合いの長い女友達に
お別れのキスを贈る
独身最後のお戯れだったのか
世間にはそんな慣わしでもあるのだろうか?
これが何かの一区切りになり
新しい人生の門出を
気持ち良く迎えられるのなら
それはそれで良いか
今までのお礼として
キスの一つくらい
減る物じゃなし

しかしながら
これは一つの決別のしるし

私はスマホの連絡帳の中にある
Nさんのページを開き
削除ボタンを押した

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