初めてのデートは海だった 件
小学校6年まで山の麓で育った。山と言っても小高い丘みたいな山だ。北側に家があり南側に小学校があった。山を迂回して通学すると30分かかり山を登ると、つまり直線距離だと10分かかる。その程度の山だ。
ただ、山を登って通学することは校則で禁じられていた。通学路ではないというのが理由だった。だから友達と一緒の時は遠回りをした。だけどほとんどの場合、山を登った。軽い罪悪感はあったけどその方が断然楽だったし、校則をいちいち気にするタイプの小学生ではなかったんだ。
その山の西側には神社があって東側には記念館があった。神社は木々で生い茂り薄暗くジメジメとしていて野犬が徘徊し、やぶ蚊が飛びまわり社務所は老朽化していた。記念館は結婚式場にも使われ、広い日本庭園とよく手入れされた芝生があり、さらに東を眺めると海が見えた。太平洋は太陽の光を浴びるとキラキラ輝いて特別な場所に見えた。日本庭園の片隅には東屋があった。(東屋というのは屋根と柱のみで構成される小さな建物の事だ)たまに高校生カップルを見かけた。小学校の帰り道、軽い罪悪感を抱えながらの近道の途中、白いカッターシャツを着た男子と紺のセーラー服を着た女子が少し距離を置いて東屋の下でテーブルをはさんで座っていた。それはいかにも大人だった。一歩先に進んだ何か、だった。そして僕もいつか「ここで」デートをするんだろうなと思っていた。でもそれは叶わなかった。ここではない違う場所に引っ越したからだ。そう、海の近くに。
高校一年生の時、彼女が出来た。クラスは別だったけど夏の課外授業で仲良くなって冬休みに入る終業式を境に付き合い始めた。初めてできた彼女だった。当然だけど、浮かれていた。浮足立っていた。純粋で無垢で受験生で童貞だった。そして僕の中にはくっきりとした性欲があった。触ればカチコチになるくらい強いものだった。だけど彼女にも性欲があることを僕は理解していなかった。僕だけにあり彼女には無い、僕だけの強い塊。その事に引け目のようなものさえ感じていた。
僕らが最初に選んだ場所は海だった。人目につかない。それが理由だった。僕等が通っていたのは進学校で男女交際というものを快く思っていない大人が大勢いたんだ。彼女の母親もその一人だった。その事に彼女は異常なくらい敏感になっていた。そんな訳で僕らの交際はコソコソと開始した訳だけど「どうしても外で会いたい」という僕のリクエストに応える形で実現した最初のデートだった。
彼女は自転車に乗って僕の家にやってきた。塀から顔を覗かせ、待っていた僕と目が合うと無表情で目配せし、再び自転車で走りだした。僕も自転車であとを追った。そして後ろ姿をしばらく眺めた。長い橋を渡り堤防沿いの歩道を走るとやがて並走した。彼女は特に何も言わなかった。季節は春。長い冬が終わり暖かくなって来た頃。辺りには誰も居なかった。彼女の警戒心も薄れていったのかもしれない。やがて海に着いた。家から10分の距離。狭くて小さな田舎町なのだ。
僕らは海岸線をあてもなく歩いた。本当にあてなど無かった。二人で居られるだけで十分だった。二人で居る事が重要だった。二人で居る事に意味があった。何を話したかなんて覚えていない。きっと色んな話をしたんだと思う。でも今、何も思い出せない。ただ波打ち際を歩いた時、大きな波に足を取られ肩が触れ合った。その感触はいつまでも残った。僕らは肩を並べて歩いた。風が吹いたから、海が眩しかったから。色んな理由をつけて、触れた。まだ手も繋いだ事のない、ましてやキスさえしたことのない高校生カップル。触れた肩は熱を帯び、そこだけ神経が尖り、そして次に来るかもしれない肩の触れ合いに備えた。
今の僕に当時の面影はない。年を取ったし色んな経験もした。彼女の事を思い出す事は今日まで無かった。あまり良い別れをしなかったからだ。海に来ても彼女を思い出す事は無かったと思う。海を思い出すときは思い出すべき女の子がその後の僕の人生に登場し、機会がある度にちゃんとその女の子の事を思い出していた。だけど今日、キラキラと輝く水平線を見ながら高校生の時に付き合った女の子の事を思い出している。波の音と波打ち際にあの頃の僕を見つけたんだ。押しては返す波の狭間に。まだ何も失っていなかった、純粋だったあの頃の僕を。
初めてのデートは海だった。
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