小説:雷の道(火曜日) #04

生まれ故郷で外食をする、というのは初めての事かもしれない。
子供の頃、レストランに連れて行ってもらったことはあったけど、それはお子様ランチ的な店で、大人同士が食事以外の目的で挑む店に一度も行った事が無かった。そもそもそんな機会もないまま、この町を出て行ってしまったんだ。

僕は比較的評判の良いゆっくりと話せる店を探した。
それは直ぐに見つかった。
選択肢というのが少なかったからだ。

二時間前に教えてもらった番号にメールをして、現地で待ち合わせをした。中に入ると美沙岐は先に来ていた。
隣に座ると僕の顔をじっとみて「大人になったね」と言った。

僕達はカウンター席からテーブル席に移った。
正面から見る美沙岐も大人になっていた。
成熟した大人の女性に。

「いつ戻ってきたの?」
「今日の昼過ぎ。駅に着いてその足でデパートに寄ったんだ。今は有給休暇中で来週から本格的に働く。さっきは仕事の道具を買いにね」

「あの方眼ノート、まだ使っているのね。小学生の頃、私も使ってた」
「大きな紙に手を動かしながら書き込むのが好きなんだ。考えがまとまる。図面も書きやすい。万能なんだ」
「やっぱり建築士になったのね」
「いろいろあったけど、結局はこの道に進んだ。サラリーマンだけど、大きな仕事が出来る」
「向いてると思ってた」
「どうして?」

「中学二年の時、大きな板を切って本棚を作る課題があったでしょ?その時、廊下に張り出されてたジュンの設計図を見て」
「それで?」
「そればかりじゃないけど、父に性格とか似てたからかな」
「今、お父さんは?」
「入院してる。工務店は兄が継いでるの。建築士の試験、落ちつづけてるけど。ジュンはすごいわ。尊敬する」
「すごくはない。建築の設計をするなら持ってて当たり前の資格なんだ。美沙岐のお兄さんは建築の現場管理でしょ?持ってたらステータスにはなるけど持っていなくても仕事は出来る」
「欲しいものはちゃんと手に入れるのね」
「たまたまだよ。これでも必死に取ったんだ。運も良かった」
「高校を卒業して、何してたの?」
「東京の大学に進学したんだ。それからずっと東京にいた。久しぶりの帰省なんだ。美沙岐はずっとこの町にいたの?」
「大阪に就職したのよ。しばらくこの町に居たけど、二十歳を過ぎてから、部活の先輩を頼って。何も聞いてない?」
「聞いてないな。中学の時の同級生とは縁遠くなってるし。加奈子、元気にしてるかな?」
「元気よ。結婚して子供も二人居る。一人は小学生よ。私たちと同じ小学校に通ってるわ。加奈子とは連絡取り合ってない?幼馴染でしょ?」
「全く。加奈子とも高校が違ったからね。実はここを離れて十五年ぶりに帰ってきたんだ。
「それまで一度も帰省せずに?」
「うん。一度も」
「結婚は?」
「してない。美沙岐は?」
「してないわ」
視線が一瞬、重なり合った。
「私達、こんなに話したのって初めてよね」と美沙岐は言った。

レストランを出ると雨上がりの川沿いを歩いたんだ。
かつて二人で腰を降ろし語り合った場所。
今の職業を決めた場所。

「十五年間もずっと帰らずに何をしてたの?」
「色々あったんだ。大学も忙しかったし、仕事は更に忙しかったし」

この町を捨てたとは言わなかった。
この町にお墓を立てて僕を埋めて、帰らないことにしたとは。

でも今、ここにいる。
それとは無関係のもっと古い場所に。
そう、これは古い思い出なんだ。
僕は人生の先端にいて、誰にも知られずに二人で歩いている。
どの時代の僕が想像できただろう?
この瞬間を。
初恋の女の子と肩を並べて、僕の起点となる場所に居る事を。

「美沙岐はいつ帰ってきたの?」
「三年前。三十歳になる前に帰ってきたかったの。私にも色々あって。でも、手に職を持たない女に世間は厳しいわ」

意味なんてない。
意味なんてないんだ。
僕たちがここに居ることさえ。

「またね」と美沙岐は言った。
僕は手を振った。
うしろ姿は中学生から変わらないと思った。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?