ささかな

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短編小説「立方体」

 朝、目が覚めると、自室の窓から見える向かいの小さなブランコだけが置いてある公園に全てを呑み込むような深い黒で塗られた完全な立方体が置いてあるのを見つけた。一片の大きさは人の身長より少し長いぐらいだろうか、その狭い公園に押し込まれるように、その立方体は置かれていた。  昨日まではあんなものはなかったはずだがと私は記憶を確かめてから、兎にも角にも実際に間近で確かめてみようと思い、身支度も早々に整え、スーツに着替え、向かいの公園に立ち入った。朝早いのもあってか、その公園には人影は

    • 世界一面白いコンテンツは焚火

       これは間違いない。このコンテンツで溢れかえる現代社会において、文字通り光を放っているコンテンツ、焚火。しかし、自分も実際に焚火をしているわけではない。ごく普通の団地に住んでおり、決して北欧のレンガ造りの家に住んでいる訳ではないから、焚火をするスペースなど存在しないから、ここで自分の言う焚火は、「焚火の動画」である。  なぜ焚火の動画が良いのか。それは情報量が無なので、頭を空っぽに出来るところが大きい。人は画面で揺れる火を見つめることで、ふと気づくのだ。多くはない脳の容量に日

      • 習作 「金曜日」

         ああ、もはや社会の許す限りの感情しか人は持ち得ることができなくなったのか。私はスマホで流れるニュースに目を落としながら、そう思った。毎日ように、社会の枠を外れた感情に身を任せた人々が、悪として糾弾されている。殺したいほどの愛情も、繊細ゆえの暴力衝動も、もう持つことさえ許されない。発狂した奴が絶対悪でその発狂に追いやった全てはこの社会を闊歩している。この管理社会に生きる我々はもう多種多様な感情に巡り合うことすらないのだろうか。  電車で自分の向かいの席に座る自分よりも一回りは

        • スレスパ

           キーボードを新しくしたからといって、特に文章を書きまくれるわけではないということを実感している。そもそも文章を書くようなやる気があったら、光るようなキーボードは買わないだろう。なんか僕のキーボードはめっちゃ七色に光っている。単色に光らせることもできるらしいが、如何せんやり方が分からない。助けて。このキーボード光ってない時はどこがどこのアルファベットなのかさえ分からない。  近況としてはSlay the Spireというゲームの隙間に人生をやっている。もう一つも人生が面白くな

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        短編小説「立方体」

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          3本

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          1000

           気が付けば大分前だが、このアカウントでの記事の閲覧数というのかは定かではないが、とにかく千回ほど人の目についたらしい。感謝。おそらくほとんどがクリックしては直ぐにタブを消したに違いないが。  とはいえインターネットの力の凄まじさを実感した。1000。こんな訳の分からないアカウントがやれ毎日投稿だ!等の一切の向上心はなく、何なら八月はウィッチャー3というゲームしかしていなかったので、このサイトどころかそもそも文章というものを書いた覚えがないというぐらい気まぐれで更新している文

          今年の夏、俺は確かにリヴィアのゲラルトだった

           夏とかいう品性に欠ける馬鹿が考えた季節が終わった。まだ少し暑いかもしれないけど、峠は越えたし終わったことにしよう。本当に夏だけは二度と来ないでほしい。暑いとただでさえ無気力で、やる気に欠ける人間がいつも以上に何も出来ない。本当に困る。言い訳がましい怠け者の意見にすぎないと言われればそうであるけれども、今年の夏は異常だったと思う。キリスト教に言う、人類は原罪を負って生まれてきたということも今年の夏に教えられた。多分、人間は地球に死ねと言われている。そんな暑さだったと思う。

          今年の夏、俺は確かにリヴィアのゲラルトだった

          アドリア海

           ずっと前から自分でも理由を説明することは出来ないが、なぜか死ぬときは訳の分からない異国で死にたいと思っている。死ぬ間際に、あ、俺ここで死ぬんや。よくよく考えてみればなんでこんなとこにいるんやとツッコミを入れて死にたい。  昔この奇妙な願望を人に話してみたら、拗らせもここまでくるとな…と言ったような類のことを言われたような覚えがある。確かに自分でも、将来はアドリア海の片隅の教会にキリスト教なんてまったく知らないのに、骨を埋めようなんてほざくやつはちょっと友達には要らないと自分

          アドリア海

          短編小説「地下室」

           ある小国にある大きな屋敷の裏庭の隅に、男がその生涯のほとんどを過ごしている地下室の入り口はあった。その入り口は人がやっと一人通れるだろうかというぐらいの狭いものであったが、思いのほかその地下室の中は人が一人暮らすには十分な広さを有していた。  男はその部屋で電球を点けて、日中は(といっても部屋には日光が差し込むはずもないため、男にとっては時計の上での日中である)、読書をして過ごし、夜には気のすむまで書き物をするか、古びたDVDデッキで映画を鑑賞する日々を過ごしていた。そして

          短編小説「地下室」

          短編「紫の月」

           男は紫の光の下で照らされていた。家々が寝静まっているのを、河川敷の少々小汚いベンチに座りながら、男はその紫の光源を眺めていた。その光はは梅雨も明けた雲一つない空から、彼の眼へと届けられていた。満月が紫の色彩で光を放っていたのである。  それは紫陽花といったような花などが持っているような味わいのある紫ではなかった。どこか人を不安にさせるような、禍々しい、人が毒という語を耳にした時に脳裏で連想するといったような類の紫色であった。  男は河川敷のベンチに腰掛ける前に寄ったコンビニ

          短編「紫の月」

          所感 ex2

          所感 ex2  訳の分からないことばかり起こる。全てを自らの責任と呑み込んで、生きていくのか。飛べない、飛べないのだ。何も。 人には人の地獄があるらしい。宗教の最終目標はつまるところ楽になることだ。皆みんな苦しいらしい。それでも生まれてくる命はめでたいらしく、赤ちゃんは可愛がられ、泣き声にがなり立てる老人は弾圧される。苦しみの再生産でなくて何であろうか。  反出生主義者の二番煎じのようなことばかり考えてしまう。全てがいつか露となり、蟲のような死に方をするのに、どうしてここまで

          所感 ex2

           なつなつのあつ、ふむふむのさゆ

           色々落ち着いたのでまたこの未だに使い方の分かっていないサイトに帰ってきた。試験を何個か受け、もう頭をノイズで埋め尽くす毎日から解放された。通れば無職から抜け出せるかも。別にやったぜともならない。  おちフルがきたないハナヤマタなのか、それともハナヤマタが綺麗なおちフルなのか、世界は謎に満ちているなぁとか思っていたら、六月も半分終わっていた。既に暑い。夏到来。なつなつのあつです。  日本はずっと秋で止まっていてほしい。夏は品性の欠片もない下衆が考えたに違いない。誰も得していな

           なつなつのあつ、ふむふむのさゆ

          エロぐらいでしか人は救われない。言葉で人は救えない。

           毎日何かをしている人間を当ブログでは非常に尊敬しています。だって僕はこんな文章でさえも気づけば一日おきが限界になっていたから… 引きこもりにとって最近あったこととは、最近触れたインターネットコンテンツと同義なので、その中から一つ選んでちょっと話をしようかな。 ネットにどっぷり浸かっているオタクなら今や知らぬ者は無しの知名度を誇るこのチャンネル。一時期承認欲求の行き着く先について賛否両論の嵐が吹き荒れ、インターネットを席巻しました。そういえば最近もまだやってるのか?と街

          エロぐらいでしか人は救われない。言葉で人は救えない。

          所感

           去年の秋ぐらいに書いた雑記を消すのがなんとなく惜しくてここに残しておきます。    ついに秋が来てしまった。ここでついにという言葉を使わなければならないほどに、何かに追われ続ける人生を歩んできた。そして追われ続け、いよいよ捕まり雁字搦めである。  好きな作品「シメジシミュレーション」という漫画でもがわ先生が、何のために使い道のない穴を掘るのか、いや人生自体がそうなのか…と結構なペシミストぶりを華の女子高生二人の前で宣ってしまうシーンが私は好きだ。使い道のない穴を掘るという行

          世界の中心で愛をさけぶなら、世界の片隅で怨嗟を綴ろうかな

           愛ばかりがデカい顔して、巷を闊歩している。身勝手な体感だがもはやj-popとはラブソングしかないのだろうかというぐらいに、日夜皆愛を歌っている。もう恐らく世界で語る必要があることは愛だけなのだろう。誰もコンビニで弁当を購入し、店員が箸を入れ忘れたことに家に帰ってから気付いたあの瞬間のやり場のない苛立ちなどは歌わない。やっぱり世界の中心で叫ばれるのは愛なのらしい。  今は片田舎の団地でひっそりと無職として生きている。はっきり言って愛とは無縁である。こうして世界の片隅で怨嗟を日

          世界の中心で愛をさけぶなら、世界の片隅で怨嗟を綴ろうかな

          綾波派はもうオタクとして生を終えるしかないし、アスカ派は多分もう誰もオタクなんかやってない

           偏見だと思われるかもしれないですが、多分国勢調査したらこれは事実になると思っている。学生時代に綾波派だったオタクが家庭を築いて、休日は遊園地で家族サービスしていることなんて、想像できない。綾波レイに囚われて、モニターの前で青白い光を浴びていてほしい。でも逆にアスカ派だったオタクがそんな風になっている姿もなんとなく思い描けない。多分アスカ派はもう誰もオタクなんかやってないし、誰も直近の庵野監督のシン・シリーズについて日夜議論を交わしたりもしない。シンエヴァンゲリオンも観てない

          綾波派はもうオタクとして生を終えるしかないし、アスカ派は多分もう誰もオタクなんかやってない

          迷える子羊にエモいことを言う。そうして皆祈り、神が生まれる

           世は大説法時代である。やれ勉強のコツだ、転職する際の会社の見極め方、こういう女はやめておいたほうが良い、嫌になり逃げ込んだ先の音楽は迷える子羊たちにエモいとされていることを並べ立てる。あなたは悪くないんだよ、悪いのは腐った世の中だ。俺は悪くないけど、世の中だって間違っちゃいない。LOVE&PEACE。皆も一人一つスマホじゃなくて、核爆弾のスイッチを持とう。  皆が教祖になり、皆が説法をありがたく拝借し、手を合わせて繰り返す祈りのポーズ。人はそうして万人に対して神になり、迷え

          迷える子羊にエモいことを言う。そうして皆祈り、神が生まれる