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綾波派はもうオタクとして生を終えるしかないし、アスカ派は多分もう誰もオタクなんかやってない

 偏見だと思われるかもしれないですが、多分国勢調査したらこれは事実になると思っている。学生時代に綾波派だったオタクが家庭を築いて、休日は遊園地で家族サービスしていることなんて、想像できない。綾波レイに囚われて、モニターの前で青白い光を浴びていてほしい。でも逆にアスカ派だったオタクがそんな風になっている姿もなんとなく思い描けない。多分アスカ派はもう誰もオタクなんかやってないし、誰も直近の庵野監督のシン・シリーズについて日夜議論を交わしたりもしない。シンエヴァンゲリオンも観てないし、皆子供に付き合って、仮面ライダーを見る程度の人間になっている。多分。
 何が言いたいって、真っすぐなオタクほどもうオタクじゃなくなっていくよねってこと。まるで綾波派がこじらせているみたいな言い方だけど、こんな場末のnoteのブログだから言わせてもらう。そうだよ。綾波派になるオタクなんて皆どうしようもなくこじらせてるよ。どうしようもないよ。
 ○○は俺の嫁!という文化が死に絶えた今、これを真っすぐに出来たタイプのオタク程もうオタク文化なんて卒業して、結婚している気がする。綾波派はこれを斜に構えて、嫁とかそんなんじゃない。そんな既存の安いものじゃない。俺と綾波は…としていたのではなかろうかと勝手に思ってみる。僕はエヴァもこの文化もリアルタイムの世代じゃないから本当のところの空気感は知らないし、知りたいとも思わない。
 別にどっちの人生が良いとも思ってない。もはや信仰のごとく綾波レイに囚われる人生も、オタクだったこともきれいさっぱり忘れて、家庭を守る良き父親をよろしくやっている人生もどっちもいいだろう。でもまだアニメとか観てるんだ変わらないね~と祈り続けるオタクの前で言っちゃうほどには忘れていてほしくはないな。
 人はどうしようもなく変わっていく。それはどうしようもないことだし、変わらないことが良いことであるわけでもないから、ただ受け止めるしかないのだろう。でも美少女に自分都合に勝手な想いを寄せた時間だけは変わらずに片隅に置いておいてほしいな。何もかも綺麗さっぱり変わるものだとしても、アスカも綾波も画面の中の二人が変わることはないのだから。

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