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今年の夏、俺は確かにリヴィアのゲラルトだった

 夏とかいう品性に欠ける馬鹿が考えた季節が終わった。まだ少し暑いかもしれないけど、峠は越えたし終わったことにしよう。本当に夏だけは二度と来ないでほしい。暑いとただでさえ無気力で、やる気に欠ける人間がいつも以上に何も出来ない。本当に困る。言い訳がましい怠け者の意見にすぎないと言われればそうであるけれども、今年の夏は異常だったと思う。キリスト教に言う、人類は原罪を負って生まれてきたということも今年の夏に教えられた。多分、人間は地球に死ねと言われている。そんな暑さだったと思う。

 色んなことがままならなくて、苛立っている。今だって使用感が最悪なキーボードを何とか叩いてこの文章を打ち込んでいる。三回に一回ぐらいはSのキーボードが反応しなくて、ストレスを感じる。流石に買い替えのタイミングだけど、働いてなさすぎてまったく金がないからしばらくこのキーボードとも付き合っていかなければならないだろう。と思っていたが、キーボードすら我慢する人生って何なんだと思いアマゾンで新しいやつを購入した。今では俺の人生とは対照的になんかめっちゃキーボードが光っている。勢いで買い物はするべきじゃない。

 夏はポケモン!じゃなくてウィッチャー3!と言わんばかりに、ゲームをしていた。2023年の夏、俺はリヴィアのゲラルトだった。ウィッチャーとかいう魔物を狩ることを生業としている奴らになり、あまりにも中世すぎるファンタジー世界を冒険していた。今年の夏、俺は確かにリヴィアのゲラルトだった。手から炎を出せたし、衝撃波も出せた。空は飛べなかった。
 ウィッチャー3の凄いところは、そのディテールへの拘りにあると思う。例えば、村人から怪物を何とかしてくれという依頼を受注し、サブクエストを開始する。すると進めていく中で、その怪物には知性があって話し合いでもう二度と村に近づくなというか、やっぱり殺すかの選択が出てくるのである。ここで、自分は村にもう近づくなという対話の道を選び、怪物は二度と現れない状況を達成したため報酬を受けとろうと村に戻る。
 と、ここまではゲーマーならまぁこんなもんかと予想が付く範囲だが、ここからが凄かった。なんと村人が、ウィッチャーの話なんか信用できん。証拠を見せろと迫り、証拠がないなら金は払わないと言い出すのである。嫌な方向にディテールが詰まり過ぎているだろおい。あまりにも中世の民衆すぎないか?対話で追い払ったため証拠はなく、リヴィアのゲラルトは泣く泣く報酬を諦めざるを得なかったのだ…
 こうしたリアルがそこかしこに詰まっていて、パターン化されきったゲーマーの脳を破壊するところが自分は凄い良かったと思う。ああこのゲームは俺を楽しませるためには存在していない。ただ俺はリヴィアのゲラルトという男の人生をps4を通して追体験しているんだ…と感じられたのは良かった。久しぶりに別の人間の人生を感じるというフィクションの良さを再確認できたゲームだったと思う。
 皆も人間の嫌なところを全て体感できるウィッチャー3をプレイしてみてください。君もリヴィアのゲラルトにならないか?


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