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キリスト教およびキリスト教徒

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古今東西の文明を包み込む京都「祇園祭」──禁教時代に「聖書物語」を飾った函谷鉾(「神社新報」2002年1月14日)

古今東西の文明を包み込む京都「祇園祭」──禁教時代に「聖書物語」を飾った函谷鉾(「神社新報」2002年1月14日)

 日本三大祭りのひとつ、京都・八坂神社の祇園祭について書こうと思います。

 昨年(平成13年)9月11日のアメリカでの同時多発テロ事件に端を発するアフガニスタン戦争はすでに最終局面を迎え、今度は他のイスラム諸国を標的とする第二段階に進みそうな気配です。「文明の衝突」という表現を否定する人は多いのですが、そうした側面は否定しても否定し切れないようにも思います。

 テロ事件の容疑者にはアフガン人は

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影をひそめた「国家神道」批判──「終戦記念日」カトリック大司教談話を読んで(平成22年8月29日)

影をひそめた「国家神道」批判──「終戦記念日」カトリック大司教談話を読んで(平成22年8月29日)

 日本のカトリック教会(司教団)は、過去30年間にわたり、広島の原爆記念日から終戦記念日までを、平和のための祈りと行動の期間と位置づける「平和旬間」と定め、平和アピールを続けてきました。

 今年は司教協議会会長の池長潤大司教名で談話が発表されました。その内容は、これまでと同様、カトリック2000年の歴史を偽るかのような観念的で危険な平和主義ですが、「国家神道」批判が影をひそめたのは目新しい傾向で

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身もだえる多神教文明の今後──続・空知太神社訴訟最高裁判決が意味すること(2010年04月19日)

身もだえる多神教文明の今後──続・空知太神社訴訟最高裁判決が意味すること(2010年04月19日)

 当メルマガはこのところ毎週末、畏友・佐藤雉鳴さんの「『教育勅語』異聞──放置されてきた解釈の誤り」をお届けしています。

 教育勅語は、冒頭、「朕(ちん)惟(おも)ふに、我が皇祖皇宗国を肇(はじ)むること宏遠に、徳を樹(た)つること深厚なり」で始まりますが、佐藤さんの指摘によれば、驚くべきことに、この解釈が当初から一貫して誤ってきたというのです。

 つまり、「徳を樹つる」の「徳」とは、天皇統治

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日本の聖地から特定宗教に成り下がった神社──空知太神社訴訟判決が意味すること(2010年4月5日)

日本の聖地から特定宗教に成り下がった神社──空知太神社訴訟判決が意味すること(2010年4月5日)

 お知らせです。

 4月17日(土)午後2時から、日本武道館で「外国人地方参政権に反対する1万名大会」が開かれますので、ご参加ください。

 前に書いたように、民主党の小沢幹事長は、永住外国人に地方参政権が与えられれば、日韓併合の歴史に起因するわだかまりも解け、帰化も促進され、共生の道が開かれる、と主張しています。しかし、話はまったく逆であって、以前から帰化は促進されています。法案は「わだかまり

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空知太神社訴訟は裁判のやり直しを──天皇学への課題 その3(2010年03月16日)

空知太神社訴訟は裁判のやり直しを──天皇学への課題 その3(2010年03月16日)

▽1 多数意見による「違憲」判断

 結論からいえば、空知太神社訴訟は裁判のやり直しをすべきだと私は考えます。合憲か違憲かを判断する以前の問題として、事実認識において、神社関係者も見落としている重要なポイントがあると思うからです。

 空知太神社訴訟は一審の札幌地裁、二審の札幌高裁とも「違憲」でした。いずれの判決も目的効果基準に立ち、公機関と宗教との関わりが全面禁止されているわけではないと断りなが

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市有地内神社訴訟で最高裁が憲法判断か?(2009年9月17日)

市有地内神社訴訟で最高裁が憲法判断か?(2009年9月17日)

 最高裁大法廷がどうやら来春にも、政教分離問題に関する重要な憲法判断を示すことになりそうです。

 このメルマガの読者ならご存じのように、日本の政教分離政策は異様なダブル・スタンダードが続いています。つまり、こと神道に関しては完全分離主義、厳格主義が押しつけられ、それ以外の宗教については、ゆるやかな分離主義、限定分離主義に任されています。

 たとえば、憲法89条は、宗教団体のために公金を支出した

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空知太神社訴訟で市長に上告しないよう要求したキリスト者(平成19年7月9日月曜日)

空知太神社訴訟で市長に上告しないよう要求したキリスト者(平成19年7月9日月曜日)

 クリスチャン・トゥデイによると、北海道砂川市の市有地にある神社が憲法の政教分離原則に違反するかどうかが争われている裁判で、日本キリスト教協議会(NCC)靖国問題委員会は先日、砂川市長が上告しないよう声明を発表しました。

 声明文の全文はNCCのホームページに載っています。

http://ncc-j.org/diarypro/archives/224.html

◇1 砂川市発祥の地に鎮まる最

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孔子廟「違憲」判決を批判する「反靖国」キリスト者の薄っぺら声明(令和3年4月2日、金曜日)

孔子廟「違憲」判決を批判する「反靖国」キリスト者の薄っぺら声明(令和3年4月2日、金曜日)

すでに書いたように、2月24日、最高裁大法廷は、沖縄・那覇市が所有する公園内に立地する孔子廟(設置者は一般社団法人久米崇聖会)について、市が土地使用料を免除していたのは、憲法の政教分離原則に違反するなどとの重要な判断を示した。それから半月後、「信教の自由」「政教分離」にとりわけ敏感なキリスト者が厳格主義に立つ声明文を発表した。今日はそれをご紹介したい。

すなわち、先月11日に発表された、日本バプ

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御代替わりを攻撃する日本キリスト教協議会リポートの不信仰(令和3年2月28日、日曜日)

御代替わりを攻撃する日本キリスト教協議会リポートの不信仰(令和3年2月28日、日曜日)

▽1 聖書は「王」への敬意を要求している

日本のプロテスタント教会・教団・関係団体で組織される日本キリスト教協議会(NCC。東京・新宿区)が今月23日、令和の御代替わりについて「総括」する文書を発表した。

取りまとめたのは靖国神社問題委員会(委員長=星出卓也・長老教会牧師)で、いわゆる靖国問題をテーマとする特別委員会によるリポートであるところに、すべてが言い尽くされている。端的にいって、本来の

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キリスト者に育てられ、キリスト教国の影響を受けられた昭和天皇──天皇・皇室の宗教観 その3(「月刊住職」平成27年11月号)

キリスト者に育てられ、キリスト教国の影響を受けられた昭和天皇──天皇・皇室の宗教観 その3(「月刊住職」平成27年11月号)

 中国や朝鮮では、王朝が交替するたびに国の宗教が代わった。だが日本では、万世一系の天皇を中心に、諸宗教が平和共存する多元的宗教空間が保たれた。

「およそ禁中の作法は神事を先にす」(順徳天皇『禁秘抄』)を原則とする皇室では、仏教に帰依された天皇もまた神道祭祀を厳修された。「私をおいてほかに神があってはならない」(十戒)とする一神教世界ではあり得ない現象だ。近代になると、皇室はキリスト教文化を積極的

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コンクラーベで思い出した白柳枢機卿の信仰──百地章日大教授の拙文批判を読む その6(2013年03月16日)

コンクラーベで思い出した白柳枢機卿の信仰──百地章日大教授の拙文批判を読む その6(2013年03月16日)

 百地章日大教授が月刊「正論」3月号にお書きになった拙文批判について、検証しています。今回は、先生が専門とされている政教分離について、ほんの少しだけ考えてみます。

 その前に、新しいローマ教皇が選出されましたので、そのことについて書くことにします。

▽1 5人の日本人枢機卿

 第265代ローマ教皇ベネディクト16世の退位に伴い、教皇選挙(コンクラーベ)が行われ、13日、アルゼンチン人のブエノ

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「戦前の迫害」はあったのか──教会指導者と行政による歴史の改竄(平成19年6月10日日曜日)

「戦前の迫害」はあったのか──教会指導者と行政による歴史の改竄(平成19年6月10日日曜日)

 メルマガを読んでくださっているクリスチャンの読者から、戦前のキリスト者が受けた「迫害」について、何度かメールをいただきました。たいへんありがたいことです。正直にいえば、私も以前はこの読者と同様に、キリスト者たちがつらい体験をした、という歴史をほとんど疑いもなく信じていました。

 けれども、戦時中、著書が発禁処分になるなど、当時の代表的神道人が受難を経験していたということを知り、歴史の事実は常識

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「大和撫子の恩人」パトリック・バーン神父──厳寒の北朝鮮で殉教す(平成20年6月14日号)

「大和撫子の恩人」パトリック・バーン神父──厳寒の北朝鮮で殉教す(平成20年6月14日号)

(画像はバーン神父。メリノール会HPから拝借しました。ありがとうございます)

 敗戦後、靖国神社の焼却が噂されていたとき、「殉国者はすべて靖国神社に祀られるべきだ」とマッカーサーに答申し、同社を救い、一方、キーナン検事に何度も面談して昭和天皇訴追の断念、天皇制の存続を認めさせたビッテル神父のことはよく知られています。

 しかし、もう1人、日本を救ったカトリック神父がいることはあまり知られていな

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当てはまらないカトリック司教の靖国批判。糸永司教にしてもなお(平成19年12月20日木曜日)

当てはまらないカトリック司教の靖国批判。糸永司教にしてもなお(平成19年12月20日木曜日)

 この一年ほど、日本のキリスト教、とくにカトリックの指導者に対する批判もしくは問題提起を、一般のメディアで何度か書いてきました。この10年ほど、キリスト教について学んできて、靖国批判や歴史批判をする司教様方の政治的言動があまりにひどいものと映ったからです。(それらは私のサイトに掲載してありますので、ご関心のある方はどうぞご覧ください。)

 しかしけっして教会指導者すべてが左傾化し、異端化している

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