マガジンのカバー画像

原典を読みながら環境・農業問題について考えてみる

141
聖書や日本書紀、平家物語などを読みながら、「日本」について外国人に説明するにはどうしたらいいかとか、農村部の論理と都会人の論理がどう違うかと言ったことについてのヒントを考えていま…
運営しているクリエイター

#日本書紀

条里制の起源と日本社会の「沼地」的あり方の関わり?

条里制の起源と日本社会の「沼地」的あり方の関わり?

皆様は「田んぼ」と言われて、どんな風景を思い浮かべるでしょうか?谷間の「谷内田」と言われるような場所でしょうか?、段々畑のような斜面に展開する田んぼでしょうか?それとも、平野部に広がる真四角な田んぼでしょうか?

日本列島に稲作がもたらされた当初、この真四角な田んぼは作られていませんでした。
当初は、自然の湿地帯等を改良して稲を植えるやり方が基本だったようです。
それがある時期から「条里制」と言っ

もっとみる
これからは「ミャオミャオ時代」

これからは「ミャオミャオ時代」


転換後の時代をどう呼ぶか?

今は時代の転換点のようです。新しい資本主義だとか、ポスト資本主義だとか、人によって言い方は違いますが、何か「今まで」の社会のあり方が変わり、「これから」のあり方が産まれてくる…
おそらく、そうなのでしょう。
ただ、それを「新しい」とか「ポスト」とかと言うのは、「今まででないもの」と言っているだけの事です。
「これからの時代」の特徴を捉えて、「平安時代」とか「鎌倉時代

もっとみる
聖書やお経について学べば、キリスト教や仏教を理解したことになるか他

聖書やお経について学べば、キリスト教や仏教を理解したことになるか他

僕は、旧約聖書と新約聖書全部を4-5年掛けて音読しました。平家物語もしました。

日本書紀や萬葉集は音読はしませんでしたが、一応、全部読みました。史記とか老子・莊子のような漢籍も読んでいます。

数年前から仏教の勉強をしてみようと思い、仏典も読むようにしています。

ただ、ここで問題なのは、仏典(お経)を読んだら、仏教を理解したことになるのかと言う事です。

いや、読んだだけじゃダメだ、ちゃんと理

もっとみる
「ハキダメキク」は抜くべきか?他

「ハキダメキク」は抜くべきか?他

「鉄の古代史(奥野正男)」に岡山県の雄町遺跡から出土した食用植物種子のリストが載っています。

炭化籾、マクワウリ、スイカ等とならんで、エノコログサ、タデ、タカサブロウ、ハコベ、カタバミ、カナムグラなどの雑草種子も書かれています。

え?、タカサブロウ?、カナムグラ?、食用種子?

そんなものを貯蔵していたの?、カナムグラの種子をわざわざ?、一瞬目を疑いました。

よく読むと溝遺構出土とありました

もっとみる
中世のカブと大根はどうだったのだろう?

中世のカブと大根はどうだったのだろう?

近松門左衛門の五十年忌歌念仏の農民・佐治右衛門のセリフには大根を育てていることは出てきますが、カブは出てきません。

もちろん、たまたまこのセリフに出てこなかっただけで当時の農民が育てていなかったと言うことにはなりませんが・・・

大根、カブと言うと、日本書紀では仁徳天皇の歌に大根が出てきます。また、古事記では仁徳天皇が青菜のスープを飲んだと言う記事がありますが、この青菜はカブのことだという説があ

もっとみる
日本書紀はなぜ冒頭に淮南子を引用したのか

日本書紀はなぜ冒頭に淮南子を引用したのか

日本書紀冒頭の「古に天地未だ剖れず」が淮南子の「天地未剖」を受けて書かれていると言う事は、古来より指摘されてきた事のようです。

小学館「日本古典文学全集」の日本書紀の注釈にも淮南子にこの文言があることが記されています。

僕自身も、こうした解説を参照にして、中国の古典からの引用であると書いてきたのですが、淮南子そのものを読んだ事はありませんでした。

今回、淮南子自体を読んでみようと思い、明治書

もっとみる
古事記の神統譜は日本書紀第二別伝、第四別伝を「合成」した形になっている

古事記の神統譜は日本書紀第二別伝、第四別伝を「合成」した形になっている

古事記本文の書き出しは、日本書紀第四別伝の後段とほぼ同じであると述べました。

この後、古事記本文は以下のように神々の名を記しています。

次に国稚く浮かべる脂の如くしてくらげなすただよへる時、葦牙の如く萌騰る物によりて成れる神の名は宇麻志阿斯訶備比古遅神。次に天之常立神。

次に成れる神の名は国之常立神。次に豊雲神。

この順序は日本書紀第二別伝に似ています。

第ニ別伝はこう記します。

古に

もっとみる
しずくが滴って「淡路島」となる平家物語

しずくが滴って「淡路島」となる平家物語

平家物語・剣の巻では、イザナギ・イザナミによる国産みは次のように始まっています。

第七代伊弉諾・伊弉冉より天の浮橋のもとにて初めて和合の交わりあり。下界なきことを思ひ、天の逆矛をもって大海の底をさぐり給ふ。ひきあげまします矛のしたたり島となる。「あは、地よ」とのたまえば、淡路島と申しけり

これは日本書紀本文の国産み物語の展開とかなり違います。

平家物語・剣の巻でも、日本書紀本文でもイザナギ・

もっとみる
「天の浮橋」で和合があったと言う平家物語神学

「天の浮橋」で和合があったと言う平家物語神学

平家物語・剣の巻でイザナギ・イザナミが登場するまでの神々の系譜を見てきました。

いよいよ、剣の巻での「国産み」の様子を見ていきたいと思います。

第七代伊弉諾・伊弉冉より天の浮橋のもとにてはじめて和合のまじわりあり。

それまでは体がない、体があっても顔つきがない、顔つきがあっても男女の別がない、性別があっても交わりがない神々しか登場してこなかった。

イザナギ・イザナミに至って、はじめて男女の

もっとみる
神々の「進化」を記す「平家物語神学」

神々の「進化」を記す「平家物語神学」

平家物語巻11第107句「剣の巻」は、以下のような神々の系譜を載せています。

それ神代と言うは、天神のはじめ、国常立尊は色はありて体なし。虚空にあるごとく、煙のごとし。
国狭槌尊より体はありて面目なし。豊斟渟尊より面目ありて陰陽なし。第四より陰陽ありて和合なし。埿土煑尊埿土、沙土煑尊、大戸之道尊、大苫邊尊、面足尊・惶根尊等なり。

この系譜は、日本書紀本文と一致(独り神に関する限り、第一別伝とも

もっとみる
平家物語の神統譜と日本書紀別伝

平家物語の神統譜と日本書紀別伝

平家物語巻11第107句「剣の巻」が記す

神々の系列は、(1)国常立尊、(2)国狭槌尊、(3)豊斟渟尊、(4)埿土煑尊埿土・沙土煑尊、(5)大戸之道尊・大苫邊尊、(6)面足尊・惶根尊

で、この後、伊弉諾(イザナギ)、伊弉冉(イザナミ)が登場してきます。

この登場の順番は、日本書紀本文と同じで、古事記本文とは違います。

では、日本書紀に「一書に曰く」と記された別伝と比較するとどうなるのでしょ

もっとみる
平家物語の「神統譜」は日本書紀本文に一致し、古事記本文には一致していない

平家物語の「神統譜」は日本書紀本文に一致し、古事記本文には一致していない

平家物語巻第11、107句「剣の巻」は、国常立尊に続いて、

以下のような神々の系譜を語ります。

国狭槌尊より体はありて面目なし。豊斟渟尊より面目ありて陰陽なし。第四より陰陽ありて和合なし。埿土煑尊埿土、沙土煑尊、大戸之道尊、大苫邊尊、面足尊・惶根尊等なり。

日本書紀本文は、国常立尊の後、

次に国狭槌尊。次に豊斟渟尊。

次に神有り、埿土煑尊埿土・沙土煑尊、次に神有り、大戸之道尊・大苫邊尊。

もっとみる
中世における日本神話~平家物語が語る「草薙の剣」

中世における日本神話~平家物語が語る「草薙の剣」

平家物語巻第11第107句「剣の巻」は、壇ノ浦の戦いで海中に没した三種の神器のうち、「草薙の剣」について述べています。

この部分の記述は、当時の人たちに、日本神話がどのように受容されていたかを知る貴重な手がかりのように思われます。

剣の巻は、草薙の剣が登場するまでの経緯についてこのように語り出します。

それ神代と言うは、天神のはじめ、国常立尊は色はありて体なし。虚空にあるごとく、煙のごとし。

もっとみる
神様の別名を記す構文の違いに意味はあるか?

神様の別名を記す構文の違いに意味はあるか?

天地開闢の頃、国常立尊などが生れてきた後の日本書紀の記述は、神様のまたの名をいろいろ記しています。前回はこの「またの名」を省略して書いてみましたが、省略せずに書き下し文で書いてみると次の通りです。

次に神有り、埿土煑尊埿土・沙土煑尊、此には于毗尼と云う、沙土煑尊。沙土、此には須毗尼と云う。亦は埿土根尊・沙土根尊と曰す。次に神有り、大戸之道尊、一に云く大戸之邊、大苫邊尊、亦は大戸摩彥尊・大戸摩姬尊

もっとみる