20190906道教と日本書紀

日本書紀はなぜ冒頭に淮南子を引用したのか

日本書紀冒頭の「古に天地未だ剖れず」が淮南子の「天地未剖」を受けて書かれていると言う事は、古来より指摘されてきた事のようです。

小学館「日本古典文学全集」の日本書紀の注釈にも淮南子にこの文言があることが記されています。

僕自身も、こうした解説を参照にして、中国の古典からの引用であると書いてきたのですが、淮南子そのものを読んだ事はありませんでした。

今回、淮南子自体を読んでみようと思い、明治書院「新釈漢文大系」の淮南子を読み始めました。

読みはじめてわかったのは、淮南子は道家の立場に立って書かれていると言う事です。

諸子百家の中には孔子につらなる「儒家」や韓非子につらなる「法家」等もいます。

日本書紀はなぜ様々な諸家の中で、道家系の淮南子を引用したのでしょうか?

日本書紀が成立した当時は、中国の文化を輸入し、律令国家を作っていた時代でした。日本書紀は漢文、すなわち、唐代の文書語で書かれています。

おそらく、唐や新羅側の「読み手」を意識せざる得なかったとも言われています。

ですから、日本書紀が漢籍を引用しながら、日本の成り立ちを説明しようとしているのは、分かるような気がします。

ほら、漢籍にもこう書いてあるではないですか?と説得力を持たせようとしたのでしょう。

しかし、では、様々な漢籍の中で、冒頭部に「道家」系の淮南子を選んだのでしょうか?

これは大変に興味深い問題だと思いました。

「日本」の国号成立は、壬申の乱を受けての事のようです。

そして、壬申の乱で勝利した大海人皇子の和風諡号は、「天渟中原瀛真人天皇(アメノヌナハラオキマヒトノスメラノミコト)です。日本書紀に掲載されているのは、この和風諡号で、漢風諡号の「天武天皇」は後世のものです。

この和風諡号の中にある「真人」と言うのは、道教で神様や仙人に近い人と言う意味で使われている用語でもあるため、道家思想の影響を指摘する人もいるようです。

また、「天皇」と言う言葉も道教の「天帝上皇」から来ているのではないかと言う説があるようです。

ですから、日本書紀自体が道家思想を用いて、「日本」や「天皇」について外国の読者に対しても説明しようとしたと見る事も可能かもしれません。

そう考えると、日本書紀の冒頭に引用されたのが、道家系の淮南子であった事も説明つくかもしれません。

この点については、もしかすると、誰か専門家が既に考察を試みていて、僕が不勉強でその考察を読んでいない可能性もかなり高いです。

いずれにしても、もう少し勉強が必要だなぁと感じました。







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