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神様の別名を記す構文の違いに意味はあるか?

天地開闢の頃、国常立尊などが生れてきた後の日本書紀の記述は、神様のまたの名をいろいろ記しています。前回はこの「またの名」を省略して書いてみましたが、省略せずに書き下し文で書いてみると次の通りです。

次に神有り、埿土煑尊埿土・沙土煑尊、此には于毗尼と云う、沙土煑尊。沙土、此には須毗尼と云う。亦は埿土根尊・沙土根尊と曰す。次に神有り、大戸之道尊、一に云く大戸之邊、大苫邊尊、亦は大戸摩彥尊・大戸摩姬尊と曰す。亦は大富道尊・大富邊尊と曰す。次に神有り、面足尊・惶根尊。亦は吾屋惶根尊と曰す、亦は忌橿城尊と曰す、亦靑橿城根尊と曰す、亦は吾屋橿城尊と曰す。次に神有り、伊弉諾尊・伊弉冉尊。

いくつか気づいた点としては、最初の3対、埿土煑尊埿土・沙土煑尊、大戸之道尊・大苫邊尊、面足尊・惶根尊については、対に含まれる神様のどちらか、または両方に別名の記述があります。最後の「伊弉諾尊・伊弉冉尊」については両方記されていないわけです。

つまり、いわゆる「イザナギ、イザナミ」と同時に登場する他の神様には少なくとも一対のうち片方には別名が書かれているが、「イザナギ、イザナミ」自体には全く別名が書かれていないと言う事です。

また、別名の書き方にも違いがあり、最初の埿土煑尊埿土・沙土煑尊については、「亦は埿土根尊・沙土根尊と曰す」と2つまとめて別名を紹介しています。

一方、大戸之道尊・大苫邊尊については、まず「一に云く大戸之邊」と大戸之道尊についての別名が記され、それから大苫邊尊について「亦は大戸摩彥尊・大戸摩姬尊と曰す」と記しています。

そして、次の面足尊・惶根尊については、まず「次に神有り、面足尊・惶根尊」と一対の神様を紹介しています。

その後、一対のうち最初に記された面足尊については別名の紹介がなく、二番目に書かれた惶根尊について「亦は吾屋惶根尊と曰す、亦は忌橿城尊と曰す、亦靑橿城根尊と曰す、亦は吾屋橿城尊と曰す」と別名を紹介しています。

別名なしは、面足尊と伊弉諾尊・伊弉冉尊、別名ありのうち、別名が一つだけなのは、埿土煑尊埿土・沙土煑尊、大戸之道尊。大戸之道尊と対をなす大苫邊尊は4つあります。惶根尊は3つの別名を持ちます。

1対のどちらか以上に別名がある3対の神様のうち、埿土煑尊埿土・沙土煑尊は男性神・女性神とも別名がひとつづつです。大戸之道尊・大苫邊尊、面足尊・惶根尊は男性神より女性神の方が別名が多くなっています。

そして、別名が1つだけの埿土煑尊埿土・沙土煑尊については、「亦は埿土根尊・沙土根尊と曰す」と「亦は・・・曰す」構文で書かれています。

大戸之道尊も別名は一つですが、「一に云く大戸之邊」と「一に云く」構文です。

大苫邊尊は「亦は大戸摩彥尊・大戸摩姬尊と曰す。亦は大富道尊・大富邊尊と曰す」と「亦は・・・曰す」構文です。

惶根尊は「亦は吾屋惶根尊と曰す、亦は忌橿城尊と曰す、亦靑橿城根尊と曰す、亦は吾屋橿城尊と曰す」と「亦は・・・曰す」構文。

大戸之道尊が「一に云く」構文である以外は、ここの段は全て「亦は・・・曰す」構文です。

なお、後でまた取り上げたいと思いますが、イザナギ・イザナミがオオヒルメムチを生んだ際には、「一書に云はく、アマテラスオオミカミといふ。一書に云わく、アマテラスオオヒルメムチといふ」と「一に云く」構文でも「亦・・・曰す」構文でもなく、「一書に云わく」構文になっています。


こうした構文の違いに何か意味があるのかないのか、この辺も注視していきたいと思います。


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