見出し画像

『痛みと悼み』 十九

 気がついたときにはミサは終わっていた。
 緊張していためぐむがその間に覚えていたのは、いくつかの話と賛美歌を歌ったことだった。めぐむは渡された小さく2つに折られた薄い紙に書かれた歌詞を見ながら歌った。「いつくしみ深き」と表題が書かれていた。それは、昔小学校の音楽の授業で聞いたことのある歌だった。皆に少し遅れるようにして声を出しながら、めぐむは、自分が久しぶりに声を出して歌っていることにふと気がつく。深く長い呼吸の中で歌うと、慣れていないためなのか最後の「アーメーン」と長く伸ばした歌詞のところで少し目眩がしたが、何だか新鮮な感覚だった。
 そして長イスに座ると、聡二さんの聖書を引用した話が続く。日々の恵みに感謝する言葉を、自分のある日の失敗と感想を交えながら、わかりやすい言葉で、時に聖書の一節を引用しながら語りかけるように続く。
 最後に再び賛美歌を歌ってミサは終わった。
 聡二さんの話は、教会の牧師らしくない−めぐむの教会のイメージでは、もっと難しい、難解な聖書の言葉を神の命令として押し付けるものかと思っていた−と感じた。この街に暮らす、日雇い労働やホームレスの人たちとの交流で感銘を受けた面白かった話と、その中でともに感じた喜び、少しだけ目線を上に向けて祈ろうというような話だった。
 めぐむは話に聞き入るというよりも、あの富永兄弟の兄瑛一さんが世界を相手に出し抜き逃げ切ろうとしているという話と、この話の対比に、兄弟への興味の方がまさって話が頭に入らなかった。
 


 ミサが終わると、聡二さんは、挨拶をしたり談笑をする人たちを見送った後、祭壇の前の最後列の長イスに座っていためぐむのところにやってきた。
「退屈じゃなかった。」
「いえ、初めてでしたが、新鮮でした。」
「新鮮。それは、良かった。人は、新しい経験が何かの糧になる。」
聡二さんは、そう言ってマスクの下からニコリと笑う。その笑顔を見て、この人があの本を取りに来たことを、その理由を知りたいと思ったが、今は、まだ、聞けない。
「この教会は、いつから始められたのですか。」
「ここの教会は、このあたりの働く人たちのために、随分昔からあるんだ。先代の牧師さんたちが始めたのが50年前。私が任されたのが、25年前かな。私が大学の神学部を卒業して見習いのようなことを終えた後、すぐにここを任された。」
「神学部に行っておられたのですか。」
「そう、これでも神様について真面目に勉強していた。母は、大反対だったがね。」
そういうと、聡二さんはまた笑う。そこには、母の意に反して自分が牧師になったこと、敬われてこの教会にいることに、少しの恥ずかしさと小さな誇りが見えたように思う。
 めぐむは、やはり、あの本のことを尋ねたくなった。そして、できるならば、この人の母親多恵さんのこと、そして、あのメモの意味を知りたいと思う。
「お母様は、牧師になられることに反対されていたのですか。」
「そうだね。あの家を見てもらったら分かるように、ウチは資産家と言われる家でね、母はまるで家長のようだった。そして、子供たちに対して、自分としての望むものがあった。」
 何か恥ずかしい過去を語るような、少し固い口調。
「望むもの。」
「そう、家産を守り、それを増やし、そして、家を広げる。形だけなのにね。」
 形だけ。
 聡二さんの言葉の意味を、めぐむは計りかねる。資本主義、そんなことばを思い出す。それは、この社会の、ある意味、引力のような自然法則。重力に従ってりんごが落ちるように、たくさん持つ人がさらに集めようとする。
 めぐむの知らない世界だけれど、それを、この人は、形だけと言う。
「それに反されたのですか。」
「ふふ、込み入った話だから結論だけ言うとそんな感じだね。だから、家から出て、結婚もしていない−結婚はしていないが、まあ、長年連れ添ったパートナーはいるけどね、あそこで皆と楽しそうに話をしているおばさんだ、と聡二さんは右手の手のひらで押し頂くように指した−母からすると、期待を裏切った息子だ。そこが、兄とは違う。」
同じ顔をした違う兄弟、めぐむは、あの瑛一さんを思い浮かべる。