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桜通りの17番地に連れていって

「桜通りの17番地に行きたいって?」と、テレビ画面越しに話しかけてくれたのは愉快な男性バート。私はかれこれ20年くらい前から何度もその言葉をかけてもらってきた。と同時に、魔法をかけてもらってきた。


Ⅰ.メリー・ポピンズと子どもの頃の私

ディズニー映画『メリー・ポピンズ』は物心ついたころにはすぐそばにあって、もう何度観たかもわからない。ナニー(日本語では乳母兼家庭教師)として雇われた女性がまるで魔法使いのように非現実的な出来事を次々起こしていく。というそのファンタスティックな作品を観はじめた当時わたしはまだ子どもだったが、どうしたらうちにもメリーが来てくれるか ではなく どうしたらじぶんがメリーになれるかばかり考えていた。
彼女に会いたい!ではなく、彼女になりたい!と思っていたのだ。
そんなメリー・ポピンズになりたくて仕方がない子どもにとってメリーになる練習は常に最優先事項。
自転車に乗る練習よりもメリーになる練習の方がずっと大事なのだった。両親曰く、幼稚園児の私は公園で補助輪の付いた自転車に跨ったまま"コンパクトミラーを開いて化粧直しをする"という一連の仕草をひとりで演っていたらしい。これはメリーが雲の上に座って行う仕草なのだが…これを人目も気にせず演るだなんてよっぽど入り込んでいたのだろう。側から見たら割とクセの強い子どもだったかもしれない。そんなことばかりしていたせいで小学校高学年になるまで補助輪無しの自転車に乗れなかった。というのは今となっては笑い話。
雨傘や日傘を開けばそのまま空を飛んでいけるかもなんて思っていたし、メリーゴーランドに乗ればそのまま競馬に出ることになるかもとも思っていたし、訓練をしたらいつか鏡の中の自分と歌をうたってハモることだってできそうだとも思っていた。
今思えば私の帽子好きもメリーの影響かもしれない。
とにかく彼女になりたくて、立っているときの足は彼女のお決まりのポーズとも言えるバレエの1番ポジションのようなかたちを真似ていた。

帽子や傘などのアイテムを持つこと、そして仕草や立ち方を真似ることは、なかなか魔法が使えずにいた子どもの私がメリーに近づくための第一歩だったのである。
いつか成長して大人になり、メジャーで身長を測って目盛を見ながら「思った通りね、メリーポピンズ。何でもできる素晴らしい人。」と言う。そんな未来を思い描いていた。

Ⅱ.ディズニーのパワー

物語の舞台であるロンドンでミュージカル化されて以降日本でも日本人キャストによる公演が行われたり、続編『メリーポピンズ・リターンズ』という映画が公開されたりして今でこそ認知度の高い作品になっているが、私が子どもの頃に『メリー・ポピンズ』の"中身"はあまり世に浸透していなかった気がする。
ディズニーランドでメリーに会ったことはあるけどあの人どういう人だっけ?
作中歌は知ってるけどどんなストーリー?
といった具合に、あまりにも作品の"中身"を知らない人が多すぎた。
その"中身"がとんでもなく素敵だというのに…!
ウォルト・ディズニーが制作した実写アニメーションは、歌やダンスも相まってとても華やかに仕上げられている。しかし勿論ただ華やかなだけではない。実写とアニメーションの融合により、夢と現実が入り混じる様が繊細に鮮明に表されている。 Mr.バンクスが子どもたちに貰った2ペンスを指して「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャスな金だ!」と言うシーンや、部屋の片付けをしない子どもたちに対してメリーが「どんな嫌な仕事でも面白いところがあるわ。」と言うシーンでは、子どもながらにそこに込められたメッセージを感じたものだ。
歌やダンスや魔法といったオブラートに包まれているおかげで、その世界観を楽しみながらお金の価値や物事の捉え方について考えられる。
これぞまさに、「♪ちょっぴり砂糖があるだけで苦い薬も飲めるのよ」である。現代で言うところの「♪お薬飲めたね」かな。
こうしてディズニーアニメの魅力を書き出してみると、ミュージカルの魅力をあげているみたいだ。"ディズニーアニメが好きな人の殆どはミュージカルも好き説"は、有力だと思う。

それにしてもP•L•トラヴァースの原作がこんなにも生き生きと、色鮮やかに動き出すとは。実写とアニメーションを融合させる手法も、当時では珍しかったはずだがこの物語にぴったりな手法だ。
ウォルト・ディズニー天晴れ!!
ディズニー映画『メリー・ポピンズ』が誕生するまでを描いた映画『Saving Mr. Banks』(←このタイトルが好きすぎる)も、あわせて観たい作品である。

Ⅲ.リターンズでのリンク

続編映画が公開されると知り、エミリー・ブラント扮するメリーのお顔がどアップで印刷されたセンス絶品なムビチケカードを手に入れて公開初日にひとりで観に行ったのは、割と記憶に新しい。
オーバーチュアの音楽からもう既にディズニー感満載で、ニンマリしてしまう。作中の楽曲のいろんな部分に前作のメロディがパラパラと鏤められていて、気がつく度にSupercalifragilisticexpialidociousな気分になる。まるで隠れミッキーを見つけたときのように。
そしてそして"前作でいうこの曲のポジションにこの曲が使われている!"というように忠実に前作の道筋をなぞっていることから、作品の持つ根本的なテーマやメッセージが受け継がれていることが窺える。
ザッとあげていくと、
・♩愛しのロンドンの空 は 前作でいう♩チムチムチェリー
ジャックが歌う姿が、前作のバートを彷彿とさせる。
・♩君はどこへ は 前作でいう♩古い鎖をたち切って と♩私のくらし 
三曲まとめて聴くといろんな家族のカタチを感じられる。
・♩想像できる? は 前作でいう♩お砂糖ひとさじで
お片付けができない子どもたちには"子ども部屋片付けっこ"と題してゲーム感覚で楽しむ方法を教える。心が歳をとりすぎた子どもたちには想像力で生活を楽しむ方法を教える。
・♩ロイヤルドルトンミュージックホール は 前作でいう♩楽しい休日
どちらも絵の中の道を進んでいくときの曲。
バートが描いた絵の中に入った時(前作)は「転んで絵を汚しちゃダメよ〜」とメリーが言っていたが、陶器の絵の中に入った時(リターンズ)にも「そ〜っと歩いてね。上等な陶器に傷をつけては困るわ。」と言っていて、いかにも!!と感動した記憶がある。
・♩本は表紙じゃわからない は 前作でいう♩スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス
どちらも、ジャックとメリー、バートとメリーという大人ペアが歌とダンスで魅せる曲。
"こういう話があってさ"というように、どちらの曲にも物語が含まれている。
・♩幸せのありか は 前作でいう♩眠らないで と♩2ペンスを鳩に
いわゆる子守唄。いろんなヒントをくれる子守唄。
・♩ひっくりカメ は前作でいう♩笑うのが大好き
メリーの叔父であるアルバートおじさんの家では、笑うと体が浮かび上がってしまう。メリーの従姉妹であるトプシーの家では第二水曜日になると周りのもの全てが逆さまになってしまう。
・♩小さな火を灯せ は 前作でいう♩踊ろう、調子よく
前作では煙突掃除屋たちによるタップ、リターンズでは点灯夫たちによるラップが見どころとなる曲。
・♩舞い上がるしかない は 前作でいう♩凧をあげよう
風船と凧。どちらも空中を漂う様を感じられるザ・ハッピーエンドなワルツ。
"空中を漂う"から連想するのはやはり、風船と凧と傘をさしたメリーポピンズ!

とまあ こんなかんじ。

リターンズはリメイクでなく飽くまでも続編ということなので、親子の血の繋がりやそれぞれの人の成長、破れてしまった凧や銀行に預けた2ペンスなどなど前作から繋がっていることはここには書ききれないほどたーーーくさんある。というわけでそのあたりは割愛。

Ⅳ.原作は人生の教科書

私が原作を読みはじめたのは大学生になってから。
ちょうど子どもと大人の狭間にいるような時期だった。岩波少年文庫から出ていた4冊をまとめて買って一気に読んだ。読めば読むほど夢中になって、哲学的で面白くって、あっという間に読み終えた記憶がある。もともと児童文学からはじまっていることもあってか、とても読みやすい。
第1作は『風にのってきたメアリー・ポピンズ』
第2作は『帰ってきたメアリー・ポピンズ』
第3作は『とびらをあけるメアリー・ポピンズ』
第4作は『公園のメアリー・ポピンズ』

概ね、第1作があの映画『メリーポピンズ』の物語で第2作が『メリーポピンズ・リターンズ』の物語(相違点は多々あり)だ。しかし、一冊の本で一つのお話が紡がれているかんじではなく一冊にいつくかのお話が詰め込まれているかんじで、本には映画やミュージカルで一切取り上げられていない物語が沢山遺されている。
ミュージカル版は第1作と第2作の物語のいいとこ取りをしているように感じられて、個人的にとても好きなストーリー構成。
原作から入った人は映画を観て「こんな感じに掻い摘んで纏めたのか」と思ったかもしれないが、映画から入った私は逆に「こんなにも奥深かったのか」と感動した。
ひとつひとつのお話がとても面白い。マザーグースやギリシャ神話からの引用も沢山!一見子ども向けのようで、実は結構大人向け。そんな印象を受ける。
読めば読むほど、これは児童書というよりも大人のための人生の教科書だと痛感する。
"空想の世界と現実の世界を繋いでくれる魔法の本"とも言えるかもしれない。
人間(特に大人)だけの空間に嫌気がさしたり疲れたりしたときにはもってこいの本だ。

Ⅸ.ロンドンの空

それにしてもロンドンの空は魔法に満ちているなぁ。と、思う。
ピーターパンが飛んだ空もメリーポピンズが飛んだ空もロンドンの空なのだから。きっと何かあるに違いない。
『メリーポピンズ』の原作では、月、星、星座など空にまつわるものが沢山登場する。それがとても好きだったりする。
お話を読んでいると、すごーーーく遠くに感じていた空がもうすぐそこにあるような感覚になるのだ。

星に色を塗ったり
太陽とダンスを踊ったり
星座のサーカスを楽しんだり

空はもうひとつの世界。"another world"であり、どんなことでもできる。

星まで手を伸ばすよりも
あなたが空へ
飛び込めばそこは
星空の中

ミュージカル『メリーポピンズ』劇中歌詞より引用

まさにこれだ。
なんと、まあ、心を打つ歌詞だこと。

ある時は東風に乗って傘をさして現れ
ある時は空で暴れていた凧を掴んで現れ
ある時は打ち上げ花火とともに現れ
…と、メリーは色んなふうにロンドンの空を飛んで地上に舞い降りる。
空へ戻るときだって、メリーゴーランドに乗って空へ昇っていったりしちゃうんだから。ほんとうに、"どんなことでもできる"のである。

見上げると、"何かが起きるかも"とワクワクさせてくれる空。それが、ロンドンの空なんだろうなぁ。まあきっとロンドンに住んでる人たちはそんなこと思ってもいないだろうけれど。
とかそんなことを思いながら私は日本の空を見上げ、この空があのロンドンの空と繋がっていることに小さく感動するのだった。


もう20年以上、このようにわたしは"メリーポピンズ"の沼にヒタヒタと浸かっている。

この沼から抜け出すことなどできないし、
抜け出したくない。
そう思っている。


❤︎最後まで読んでくださりありがとうございます。

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