最近の記事

Donna Huddleston "The Exhausted Student"

from Art Review March 2020 Article by Kathryn Lloyd  しばしば若い女性の群像を描くドナ・ハドルストンのドローイングは揺らぎ、思春期から成年期への移行期のような発達途上の状態をタブロー上の沈黙の生へと抽出する。イギリスの初個展のため、アイルランド系オーストラリア人の彼女は自身のバイオグラフィを振り返り、チェーホフ、ラファエロ、ベラスケス、そしてテネシー・ウィリアムズを参照した演劇専攻の学生だった時の経験から物語を編み出した。

    • SUPERMARINE (3-後半)

       PB9の注文は来なかった。ペンバートン=ビリングは戦争期間中、工場を英国政府に無償で提供した。だが彼らがそれを断った時、PBは彼の愛した飛行機会社への興味を失ってしまい、イギリス海軍航空隊へ入隊した。ドイツの飛行機工場への爆撃計画でより名声を得られるだろうと踏んでのことだった。後年、PBは彼がどのように敵の列の背後で罠にはまり、観賞用のライオン像でドイツ兵の頭をぶん殴って逃げたかという話をすることになる。そのライオンは来客を彼の生還ストーリーで楽しませるためにPBの居間の飾

      • SUPERMARINE (3-前半)

        ヒューバート・スコット・ペインは1911年の暮れにヨットの取引をしていたペンバートン=ビリングのアシスタントになるためにサウザンプトンにやってきた。冒険好きな若者であったスコット・ペインはその仕事の面白さに気づき、変わり者の彼の親方のために世界中を旅してヨットを収集して届けた。  ノエル・ペンバートン=ビリングに関連した仕事には避け難いことだが、その道には災難があった。ある時スコット・ペインはマルセイユに一文なし、移動手段もない状態でいたのだ。善き戦いを愛す頑丈な男であっ

        • Éntomos

          from Art Review April 2019  Max L. Feldman "Éntomos at Prague City Gallery, Colloredo-Mansfeld Palace" チェコのアーティスト、アンナ・フラチョヴァと彼女の同世代のハンガリーのアーティストゾフィア・ケレステス、ともに彫刻家の二人はいくつかの共通するコンセプトを共有している。 彼女らは己を表出させるが、その方法は極めて異なる。彼女らの薄気味悪い彫刻にある相互の関連は、シュルレ

        Donna Huddleston "The Exhausted Student"

          SUPERMARINE (2)

          スーパーマリーンの創設者ノエル・ペンバートン=ビリングの晩年の姿。彼の奇抜さと”飛べるボート”の革新的なアイデアはスピットファイア以前のスーパーマリーンにアイデンティティを与えた。 1. The Man of Supermarine ノエル・ペンバートン=ビリングはイギリスの中でも最高峰の奇人の一人に数えられる。様々な学校から追い出されたが、とりわけ13歳のときに校長室に火を放ったときにはついに家を飛び出した。 羽毛の枕ふたつ、コルネット(トランペットと似たような楽器

          SUPERMARINE (2)

          What ‘Bad Art’ Really Means

          by Martin Herbert (Art Review) 我々が見る展示の多くで我々は大抵一度きりしか見ない。それらの持つ面白さのほとんどは見逃したかもしれず、そしてそのために引き返すのは安っぽくて皮肉な、放棄のスリルである。 ベルリンビエンナーレの期間の初め、ベルリンのギャラリー地区をブラブラしていると4つの会場で展示を鑑賞している人々によく遭遇した。”あれ、どうだった?”と訊きたかった。このような、ある一場面を見たことがあるからだ。”よくないね” ——大抵、一区画

          What ‘Bad Art’ Really Means

          Mike Nelson "Sounding Off"

          by Patrick Langley from Art Review テートで、友人と私は錆びた機体や静止した油ぎった機械で構成されたマイクネルソンのインスタレーションの合間をふらついていた。展示は哀愁の様相を帯びていた。——終戦後の英国の歴史のその重さは廃物置き場、工場の内臓部の摘出とそれらが支えた仕事から再生利用された産業物のオブジェクトによって創り出された—— しかし根幹から主軸へかけて銀糸で紡がれ、ラスのなかで微かに震えているはずの蜘蛛の巣は見られなかった。 私は思

          Mike Nelson "Sounding Off"

          SUPERMIRINE

          Prelude もう二度と見ることのない日々がある。 1931年9月13日、青と銀のレース用海洋飛行機が英国カルショット城横のハンガーから現れた。 古代チューダー王家の要塞とこのアール・デコ調の航空機との対比は、この瞬間を逃すまいと現れた報道機関の記者達のカメラによって捉えられた。この海洋飛行機は他のどの飛行機より早く、パワフルで、何より同じ時代の人間が考えたとは思い難いほどに未来的であった。そしてそれは同時に最も危険であることを意味していた。 既にその数ヶ月前、コンテスト

          SUPERMIRINE

          和訳:Magali Reus "The Everyday, Stranger" 後半

          どんな類いのアートが好きか、という問いについて、私はまだ答えていない。(冷蔵庫を開けるたびに陥るような)世界から私を根本的に隔離するようなものがいい。  しかしそれこそが私がレウスの作品を賞賛する正確なところだ。彼女はあの深い裂け目をこじ開け続けている。これはレアリズムのひとつの傾向だと言えよう。我々のように見ることの方が好ましいという立場でなく、この物質世界について自分の言葉で語ろうという試みだ。今日、それは簡単なことではないだろう。だからこそハンドメイド的な作品や手工業へ

          和訳:Magali Reus "The Everyday, Stranger" 後半

          和訳:Magali Reus "The Everyday, Stranger" 前半

          by Rosanna Mclaughlin / Art Review November 2018 “なんで認めないの?私たちがクルーズ船に乗ってるって。” 妻が言った。 2018年春、私たちはサウスロンドンギャラリーで開かれたマガリ・レウスの展覧会 ”As mist, description,” の中で、ちょうど突き当たりのあたりにいた。 彼女はまた、ギャラリーの文章の注意書きにこの重要な情報がないことに憤ってもいた。 部屋の周りのアッセンブラージュの中で、沢山の身近なもの

          和訳:Magali Reus "The Everyday, Stranger" 前半

          和訳:写真と彫刻/オブジェクトの先へ 後半

          FROM artpress461 ティエリー・フォンテーヌに対してエラッド・ラスリーの展示では、このル・プラトーのギャラリーのひとつであるここ以外ではどこも彫刻と写真は価値を同等に分かち得ないと提唱する。 言うまでもないが、1977年にテルアビブに生まれ、ロサンゼルスを拠点に絵画、写真、パフォーマンスも行うこのアーティストは、オブジェクトとして写真を扱う作品で知られている。 扱いやすい小さいフォーマットで機械的にプリントされたこれらの作品は、通常フレーミングされており、そ

          和訳:写真と彫刻/オブジェクトの先へ 後半

          フンボルトコレーク東京2019

          フンボルトコレーク東京@東大駒場(5/18,19)に行ってきたので備忘録。 美に対して身体的な捉え方によってアプローチしていく経験美学。ライプニッツやベンヤミンの思想を中心に展開された。実際に人が美を経験した時に身体にどのような反応が数値として出るのかの発表もあって大変面白かった。 一番最初の岡本和子先生の研究。長く続いたいわゆる西洋的で抽象的な美の捉え方は未だ成功していないとして、経験美学的な角度でベンヤミンを読み解く(ベンヤミンのマルセイユのかなり具体的、身体的比喩を例に

          フンボルトコレーク東京2019

          和訳:写真と彫刻 /オブジェクトの先へ 中盤

          ・写真と彫刻/存在論の等価値 ティエリー・フォンテーヌは写真のみの展示で立体物はないが、あったとしてもその作品は写真作品として成り立っていたであろう。improbable light bulb(Lumieres,2012)でも彼は写真によって彫刻を彫像しているし、彼の近年の作品、蝋でできた泣いているアフリカのマスクのような彫刻の写真(その宗教的混交も置換によって見出された)ではもっとシンプルに、彼の作品の中核で対峙し変換しあう。 必要性を超えて彼が写真分野へ来たのではないか

          和訳:写真と彫刻 /オブジェクトの先へ 中盤

          和訳:写真と彫刻 /オブジェクトの先へ 前半

          FROM artpress461 今日、写真と彫刻の間にある関係性は写真のオブジェクトによって分極化されている。 しかし d’lle-de-France でのThierry Fontaineによる展示、Le Plateau での Elad Lassry による展示では銘々の手法でこの二つの表現媒体の関係性の新しい道が提示されている。 http://www.cpif.net/fr/programme/thierry-fontaine-les-pluriels-singuli

          和訳:写真と彫刻 /オブジェクトの先へ 前半