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フンボルトコレーク東京2019

フンボルトコレーク東京@東大駒場(5/18,19)に行ってきたので備忘録。
美に対して身体的な捉え方によってアプローチしていく経験美学。ライプニッツやベンヤミンの思想を中心に展開された。実際に人が美を経験した時に身体にどのような反応が数値として出るのかの発表もあって大変面白かった。
一番最初の岡本和子先生の研究。長く続いたいわゆる西洋的で抽象的な美の捉え方は未だ成功していないとして、経験美学的な角度でベンヤミンを読み解く(ベンヤミンのマルセイユのかなり具体的、身体的比喩を例に挙げて。どちらかというと汚い比喩の中にある美観は安部公房みたいだ)。具体的な事物から読み手の身体、五感に訴えるだけでなくさらにここに歴史的なもの加わり美、エロスが発生する。そう考えるとまさにお話の中で最初に引用していた小林秀雄的な捉え方のように思った。
一番興味深く聞いたのはフェーレンバッハ氏のダヴィンチのイメージの力(potenzia)のお話。
イメージを感覚器官で受け取ることを打撃(percussione)と呼び、駆動力によって転移された力が刻印(impressione)を残す。
第一の脳室においてここの感覚による知覚を導き合わせ、表象イメージへと加工する。第二の脳室では分析能力である知性と理性が結びつき、第三の脳室で加工された内的イメージを保存し、運動刺激を身体へと媒介する、というプロセスによってダヴィンチは力による衝撃の転移を説明した。知性で捉える見方が多い中、ダヴィンチの功績は中間地点に知性とイメージを結合させ、加工させる場を設定した点にあると言う。イメージを力の強さで測るのは自分の中で新しかった。
さらに一瞬で視覚から知覚させる絵画が(他のどのメディアよりも)いかに鑑賞者に対して強い力を持っているか、一瞬で力が転移されるそれこそが衝撃だと語る。
(メディアの話がちらほら出るけど個人的にはどちらが優れているか甲乙つけるのは建設的でないというかなんというか、微妙に思っている。自分もやったことあるけど。)
全体的に美を受け取る側の話が多く、何か違う見地のお話はないのかなと思っていたらカティヤ・ドルシュナーさんの発表、抽象絵画の中でどのように色が決定がされているかの研究。統計は既存の作品の一部の色の選択を作家でない人に選択させたものなので画家の無意識にあるイメージがどのようなものかにはまだ到達しないとは思うものの、こういった研究は絵画の画面上での無数の決定による成り立ち、制作者の無意識のうち少なくとも経験的/感覚的な部分を明らかにするのではないかなと思ったのでもっとやってほしいなと思いました。(質疑応答の時間に後で発表したアーティストの方が何か質問していたが早口で全く聞き取れなかった。)
2日目の最初の発表の森本庸介先生のお話がすごく美しく印象に残ったので、とりあえず暗い春の古書を買った。映画も何処かで見られると良いな。しかし帰りの電車で見たおじさんのナイーブな一面を覗き見てしまったような気持ちになった。(1日目の帰りの電車で同じ車両にいらした)
ところで数学者の岡潔が小林秀雄との対談で自身の体感から、絵の調和とか不調和は生理、とくに胃の生理と結びついているように思うと発言しているのだけど、こういう内臓感覚についての視点はないのでしょうか。ダヴィンチが言うような脳の働きのスゴさは疑いようがないのだけれど、私はもっと肉体的な、とくに臓物が個別に持つ感覚に何か計り知れないものがあるような気がしている。(こういった話は解剖学の三木成夫氏の本が面白いので、影響を受けていると思う)それも結局は脳が知覚するものだと言うならそれまでだけど..
病院のCTと3次元的イメージの捉え方のお話もあった、わたしは来週CT撮って胃カメラ飲むっち。。

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